スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。
昨日の平塚記念の決勝 。並びは新田‐山崎‐和田の北日本,吉田‐浅井‐山口の中部,稲垣‐南の近畿で近藤は単騎。
浅井と新田が出ていきましたが,外の新田が誘導の後ろに入って前受け。4番手に吉田,7番手に稲垣,最後尾に近藤の周回に。残り3周のバックを出るあたりから稲垣が上昇。近藤も続いてホームで新田を叩きました。後ろになった吉田がホームから動いていき,バックまでに稲垣を抑えて前に。新田も外を上がっていきましたが,吉田はペースを落とさず,稲垣が牽制するような動きもあったのでまた引いて7番手。一列棒状で打鐘を迎えました。南の後ろに入っていた近藤が少し車間を開けていたため,後方となった新田には苦しい展開。バックから稲垣が捲っていきましたがすかさず浅井が対応。稲垣のスピードを落とした浅井はそのまま自力で発進して後ろを離して優勝。外から捲り追い込んだ近藤が2車身差の2着。稲垣の後ろから内に入って浅井を追った南が4分の3車輪差で3着。
優勝した三重の浅井康太選手 は3月の松山記念 以来となる記念競輪18勝目。平塚記念は初優勝。吉田はこのところ好調で,その番手を得て有利になりました。新田は吉田よりは力はありますが,後方に置かれることに。打鐘前に新田が上がっていこうとしたあたりがおそらくこのレースの最大のポイントで,そのときに吉田が出させないようにうまく駆けたのが,浅井の勝因になったといえるでしょう。浅井も脚力は新田に遜色ないわけですから,無風で番手周りということになれば,後ろを離してしまうのは当然といえます。
異常があったといってもそれらについては何か特別な話があったわけではありません。要するに気にしなければならないような異常ではなかったということです。
これはK先生 に限ったことではありませんが,診察 の終りには大概は何か気になることはありませんかという主旨の質問をされます。僕はこの日まではそれに対して何かあると答えたことはありませんでした。もちろんそれはそう答えなかったという意味ではなく,気になるようなことは何も生じなかったということです。ですがこの日は違いました。
この診察を受けたのは7月6日でしたが,6月の後半,具体的にいうと6月24日から,耳鳴りがするようになっていたのです。僕はこの日は川崎 で,帰路にバスも使ったのですが,そのバスに乗っていたときが最初でした。
ただ,僕の耳鳴りというのは,一般にイメージされるものとは違うかもしれません。少なくとも僕のイメージでいう耳鳴りというのは,高音なのですが,僕の耳鳴りというのは重低音,たとえば冷蔵庫がときに低音を出すことがあるかと思いますが,それに似たような音だったのです。さらに,これも僕のイメージですと耳鳴りは両方の耳で鳴るのですが,僕のは左耳だけが鳴り,右耳は少しも鳴らなかったのです。
このことで生活に支障を来していたわけではありません。まず第一に,この耳鳴りというのは常に鳴っていたのではなく,鳴っていないときもあったからです。次にこれによって物音や人の声が聴きにくくなるということもありませんでした。むしろそれまでは鳴っていたとしても,音や声が聞こえると鳴らなくなる,というか耳鳴りの方が聴こえなくなるような状態だったのです。したがって耳鳴りがするのはきまって静かなときだったことになります。すると夜にベッドに入ったときに耳鳴りがするということはあったのですが,だからといってそれで眠れないということもなかったのです。
このとき,K先生と話しているときも鳴っていました。前日の朝からは静かなときはずっと鳴り続けていたのです。実は僕の感覚でいうと,鳴っているというより聴こえているという方が近いくらいでした。
第11回ヴィクトリアマイル 。
ウインプリメーラ,スマートレイアー,シャルール,レッドリヴェールの4頭が前に行く構え。最終的にレッドリヴェールがハナを奪い,3コーナーにかけて後ろを離していくことに。単独の2番手にスマートレイアー。逃げ争いから早めに引いたウインプリメーラとシャルールはその後ろに。5番手にいたのがカフェブリリアントでしたが,この馬は3コーナー手前から外を上昇していき,直線の入口では先頭に立つというレース。抑えることができなかったためと思われます。その後ろはマジックタイム,ルージュバック,レッツゴードンキ,ウリウリ,トーセンビクトリーの5頭でほぼ一団。ストレイトガール,クイーンズリング,ミッキークイーンの順で追走になり,ショウナンパンドラがさらにその後ろ。前半の800mは45秒7のミドルペース。
直線の入口で先頭はカフェブリリアント。スマートレイアーはその外に。ウインプリメーラとマジックタイムの間を突いて進出してきたストレイトガールが,そのカフェブリリアントとスマートレイアーの間に進路を選ぶと一気に突き抜け,やや内の方に寄っていきましたが残り200m付近ではではほぼセーフティーリードに。2着に2馬身半の差をつけて快勝。馬群を割って内目を回ったミッキークイーンと外を回ったショウナンパンドラの2頭が2着争い。写真判定で2着はミッキークイーン。ハナ差の3着にショウナンパンドラ。
優勝したストレイトガール は昨年のスプリンターズステークス 以来の勝利で大レース3勝目。第10回 からのヴィクトリアマイル連覇を達成。今年の初戦となった阪神牝馬ステークスで9着に敗れて今日は評価を落とす形。僕も軽視してしまったのですが,前走は能力を十分に発揮できなかっただけのようです。年齢を重ねてこれくらいの距離の方が力を発揮できるようになっているということはあるかもしれません。実績からして勝って不思議のない能力がある馬だったのも間違いないでしょう。父はフジキセキ 。母の父はタイキシャトル 。祖母の半兄に1999年の京成杯と神戸新聞杯を勝ったオースミブライト ,半妹に2003年の関屋記念,2004年の中山牝馬ステークスと福島牝馬ステークスを勝ったオースミコスモ 。5代母がラバテラ 。
騎乗した戸崎圭太騎手は昨年の全日本2歳優駿 以来の大レース制覇。ヴィクトリアマイルは連覇で2勝目。管理している藤原英昭調教師は昨年のスプリンターズステークス以来の大レース制覇。第3回 ,10回に続き連覇でヴィクトリアマイル3勝目。
いつもよりは時間を要してしまいましたが,診察まではまだ間がありましたので,小港まで出て外食をしました。病院に戻ったのは午後2時過ぎでした。診察の予約時間は午後2時半だったのですが,実際に診察をすることができたのは午後3時前になってからでした。
この日のHbA1c は7.0%でした。4月 よりは改善していたということになります。これはもっぱら気候の影響といっていいでしょう。暖かくなってくればくるほど,血糖値を安定してコントロールすることができる日が増えてくるというのが僕の傾向であったからです。
K先生は数値目標としては6%台というのを示していましたが,このくらいの数値であれば何かを強く言われるというようなことはありません。むしろ僕の血糖値の管理はⅠ型糖尿病の患者としては良好であるという意味の発言の方が多かったほどです。ですがこの日は積極的な措置を採用することになりました。もちろんそれは注射するインスリンの増量です。僕の一日の血糖値の傾向としては,昼食前には高く,それが夕食前には安定してくるというケースが目立ってきていました。そこで昼食前の時点で血糖値を安定させられるなら,HbA1cの値もさらに良化させられるのではないかというのがK先生の判断だったのです。そのために,朝食前に注射している超即効型のヒューマログを,0.02mgだけ増量することになったのです。この日の朝までは0.1mgの注射をしていたのですが,翌朝からは0.12mgの注射をするようにというのがK先生の具体的な指示でした。
この日はほかにみっつの異常が出ていました。ひとつはナトリウムで,132mEq/ℓと下限値を下回っていました。これは4月に続いての異常です。そして中性脂肪が46mg/dℓと,やはり下限値を下回っていました。検査詳細情報を受け取った範囲の中でいうと,これは2014年の12月 ,つまりこの時点でいえば前年の12月以来の異常だったことになります。最後がクロールClで,これが95mEq/ℓとやはり下限値を下回っていました。こちらは2013年2月に同じように下限値を下回って以来の異常でした。
「白鳥の歌が聴こえる 」を僕がそう多く聴いていないのは,それに託された想いが別にふたつあって,それら各々の想いを代表する曲がそれぞれあるからです。そのふたつの想いとは,何かしてあげたいのだけれどもしてあげられないというもどかしさと,してあげられないことに対する謝罪の想いです。このうち,後者の想いを強く感じた場合には,僕は「白鳥の歌が聴こえる」ではなく「波の上」を聴くのです。
遠いエデン行きの貨物船が出る
帰りそこねたカモメが堕ちる
手も届かない 波の上
この曲のこの歌詞の部分が,僕がいう想いを代表します。ただ,僕にはこの部分にはひとつだけ不明な点があるのです。それはこのように歌っている歌い手が,どこに存在するのかということです。
歌い手は岸壁に立って,エデンに向かう貨物船を見送っていると解することができます。そして波,これは貨物船の航行によって生じる波かもしれませんが,その波の上に堕ちていくカモメを見つめているのかもしれません。
しかし歌い手はエデンに向かう貨物船に乗っているとも考えられます。つまり船上から,乗り損ねてしまったカモメが堕ちていくのを見つめているのかもしれないのです。
いずれにしても,カモメは自分の手の届かないところに堕ちていくのです。それを救うことができない悲しみと謝罪とが,この部分に混在していると僕は感じるのです。
7月3日,金曜日。妹の作業所の保護者会がありました。これは文字通りに作業所に通っている障害者の保護者が集うというもの。とはいっても何か重要な案件について話し合うというようなものではなく,親睦を深めるということが主目的になっています。要するに保護者で集まって昼食を摂るというようなもの。もちろん主目的がそれなのであって,たとえばバザー のボランティア の要件などで話し合いが必要な場合には,会合も兼ねています。これは定期的に開催されているもので,母も支障がない限りは参加しています。僕はこの日は屏風ヶ浦で,午後4時頃には帰宅しました。
7月4日,土曜日。妹の土曜出勤 でした。この日はビデオの鑑賞会。ベイマックスを観たようですが,妹にはよく分からなかったのではないかと思えます。
7月6日,月曜日。この日は内分泌科の通院でした。
みなと赤十字病院に着いたのは午後12時45分頃でした。いつものように保険証の確認を済ませた後で診察票を機械から出して中央検査室に。このとき,採血を待っていた患者はひとりだけだったのですが,手違いがあったようですぐには検査をすることができませんでした。
どんな検査をするのかということは,前回の通院のときに,次回の通院日を設定したときに主治医が決定します。この日はその決定されていた検査内容はいつもと同じで何の問題もなかったのですが,外来の患者に対する検査として規定されてなく,入院患者への検査と規定されていたようなのです。僕も入院中に多くの検査を受け,そのうちのいくつかは中央検査室で実施されたので,入院患者がここで検査をする場合があるということはよく知っていました。ですがこのときは通院での検査ですから,外来の患者に対する検査であるというように登録し直す必要が生じたのです。登録自体はコンピュータへの入力ですからそう大変なわけではありません。それでも少し時間が掛かりましたので,とりあえず注射針の処理だけ先に済ませてしまい,検査ができるようになるまで少しだけ待つことになりました。患者が増えることはなかったので,先に採血し,後から採尿しています。
先週の兵庫チャンピオンシップ を逃げて圧勝したケイティブレイブ の父はアドマイヤマックス です。
母は1984年の新潟3歳ステークスと京成杯3歳ステークス,1987年の七夕賞を勝っているダイナシュート で3代母がファンシミン 。
2歳10月の新馬を勝つと東京スポーツ杯2歳ステークスを連勝。ラジオたんぱ杯2歳ステークスで3着に敗れた後,故障があって休養。
セントライト記念で復帰して2着。菊花賞に向かいましたが11着と大敗。この後,京阪杯を使いましたがこれも3着でした。
4歳の初戦に選んだのが安田記念。ここでアグネスデジタル の2着になって,マイルから短距離路線にシフト。しかし関屋記念が3着,セントウルステークスが4着,スプリンターズステークスがデュランダル の3着と,好走はするもののなかなか勝ちきれませんでした。暮れには香港マイルに遠征するも4着。
ここからまた長期の休養があり,復帰したのは翌年の10月、オープン特別で4着の後,富士ステークスで重賞2勝目。マイルチャンピオンシップはデュランダルの6着,さらにCBC賞も使いましたが5着でした。
6歳の初戦にダートの根岸ステークスを選択するもメイショウボーラー の14着。芝に戻し阪急杯で4着の後,高松宮記念で待望の大レース制覇を達成しました。京王杯スプリングカップはアサクサデンエン の4着。安田記念もアサクサデンエンの12着と敗れ,春シーズンを終了。
秋はスプリンターズステークスで復帰。ここは香港の強豪馬の前に3着。マイルチャンピオンシップで6着になった後,香港スプリントで大敗し,競走生活を終えました。
成績的には超一流とはいえませんが,母系は種牡馬としての強みになり得るでしょう。重賞の勝ち馬もケイティブレイブで5頭目ですから,このクラスの種牡馬としては成功といえると思います。
6月25日,木曜日。妹が通っていた養護学校の同級生の保護者たちの食事会があり,母は横浜に出掛けました。だれもが障害者の子どもをもつ親たちの集まりですから,当然ながらこれは昼食会です。僕はこの日は本牧だったのですが,帰りに妹に会いました。僕が行くところは妹の作業所よりは遠く,施設よりは近い場所です。ただどちらにしても乗るバスは同じなので,妹の作業が終了する時間の近くに僕が帰れることになると,こうしたことがまま生じることになります。ただ,バスの中で会うということ,つまり僕が乗っているバスに作業所から帰る妹が乗ってくるとか,逆に施設から帰ってくる妹が乗っているバスに僕が乗り込むというようなケースは非常に少ないです。本牧方面から帰るためには根岸駅で別のバスに乗り継ぐのですか,そのときに会うというのが大方のケース。つまり妹が待っている間に僕が着くか,僕が乗り継ぎを待っている間に妹が着くかのどちらかがほとんどです。会えば一緒に帰ります。家に着いたのは午後4時半頃でした。もちろん母は先に帰宅していました。
6月26日,金曜日。母がI歯科 に。この日に新しい詰め物を入れました。予約は午前11時でした。I歯科は,午前中の予約の場合,手間がかかる作業の場合は大抵が昼休み前の最後の時間帯になります。どれだけ時間が掛かっても後の患者に迷惑が掛からないようにするための措置だと思います。その場合は正午か午前11時半になるのが普通です。11時であったということは,この作業はさほどの時間を要さないと判断されていたのでしょう。実際にその見立ての通りであったようです。僕はこの日は長者町でしたが,かなり早く,午後3時半前には帰宅しました。
6月27日,土曜日。妹のピアノのレッスン。この日は午後5時半からでした。現在はこの時間が最も遅い時間です。
6月28日,日曜日。ガイドヘルパー を利用しました。前週がカラオケでしたからこの日はボーリング でした。
7月2日,木曜日。長者町からの帰途にまた同級生に会いました。同級生同士で結婚したものがあるということを初めて知りました。ちょっとした驚きでした。
姫路市で指された第27期女流王位戦 五番勝負第一局。対戦成績は里見香奈女流王位が8勝,岩根忍女流三段が8勝。
振駒 で岩根三段の先手。里見王位が4手目に角交換 。先手の三間飛車に後手が銀で押さえ込みを企てる力将棋。後手が先に角を手放し,その代償に先手からの動きを難しくして膠着状態に持ち込みました。
ここで先手は▲8九角 と打ちました。先に後手が角を打ったのも,代償を得られるとはいえ優位に立てるという種のものではないだけに思い切った手と感じますが,打ち場所だけでいえばこれはそれ以上に思い切った手と思えます。
△3三銀▲5六歩△4四銀までは成り行きから必然の進行に思えます。そこで▲4六歩と突いたのですが,この手は軽率だった可能性があると思います。
自陣に角を打ち込まれる心配がなくなった後手は△7四歩▲同歩△8四飛と動きました。先手の▲6六銀はこの局面では最善手だったと思います。
△7四飛▲7五歩△8四飛▲6七角までは流れから必然でしょう。後手は△1四歩と突きました。後に端を攻める狙いもあるし自玉も広くなりますから,単に手待ちだったとしても最も得な手だったと思います。
先手は▲8五角と角で歩を取りました。後手も△5六角と取り返すことに。
この後,この角は3八の銀と交換することで働きを終えました。先手の角も7六,5四,7二,6三と動いて5二の金と交換になったのですが,そこまでの手数が多すぎました。結果的に打った角が捌けるまでの手数の分が後手の勝因になったような気がします。
里見王位が先勝 。第二局は26日です。
月曜日にショートステイ,同じ週の木曜日に宿泊訓練 でしたから,妹としてはこの週はハードな日程だったことになります。このうち,ショートステイのときは荷物 の関係で迎えを依頼していたのですが,宿泊訓練のときは依頼してありませんでした。ですが実際に必要とされる物は宿泊訓練の方が多かったので,木曜日に妹を送って行った母にとってはなかなか大変であったようです。
6月12日,金曜日。宿泊訓練を終えた妹が帰宅しました。荷物が多かったので,この日は母が迎えに行っています。金曜日は作業着なども持ち帰るので,ほかの曜日より荷物が多くなっています。その程度なら妹ひとりで問題ありませんが,それに宿泊用の荷物も加わりますから,妹だけでは無理と判断したものです。僕はこの日は長者町で,午後4時45分頃の帰宅になりました。
6月14日,日曜日。母と妹が美容院へ。この日も午後1時の予約で,午後3時半頃に帰宅しました。
6月17日,水曜日。母がI歯科へ。これは午前11時の予約。詰め物のための型を取りました。そして先週の時点では緊急処置的に入れておいた取れてしまった詰め物は外し,応急的な仮の詰め物を入れました。外れてしまうおそれがあるので,ガムとかキャラメルといったものは口にしないようにと言われたそうです。もっとも母は普段からそうした粘着質の菓子を食べることはありませんから,どうということもない禁止事項ではありました。
この日は妹の指定歯科 の予約も入っていました。こちらは午後3時から。母は自分の歯の治療のために歯医者に行き,帰って昼食を摂った後,妹を作業所まで迎えに行き,今度はみなと赤十字病院に行ったということになります。僕はこの日は川崎で帰ったのは午後5時20分くらい。そのときは母と妹はすでに帰っていました。
6月21日,日曜日。ガイドヘルパーを利用しました。この日はカラオケでした。
6月22日,月曜日。妹がこども医療センターへ。予約は午後1時。診察だけだったとのことです。僕はこの日は長者町で,午後3時45分頃には帰宅していましたので,まだ母と妹は戻っていませんでした。
第五部定理二五 は,第三種の認識 cognitio tertii generisで個物を認識することが,現実的に存在する人間の精神にとっての最高の徳であることを示します。なぜなら第五部定理二四 により,精神は個物をより多く認識することにより,それだけ多く神を認識することになるからです。しかし第五部定理二五の論証としてはこれだけでは十分ではありません。第五部定理二四によって第五部定理二五が論証されるのであれば,前提条件がひとつ要請されるからです。いうまでもなくそれは,神を認識するということが精神にとっての最高の徳であるということです。この前提条件は,第四部定理二八で示されています。
「精神の最高の善は神の認識であり,また精神の最高の徳は神を認識することである (Summum Mentis bonum est Dei cognitio, et summa Mentis virtus Deum cognoscere. )」。
この定理は精神の最高の善と最高の徳の両方を示していますが,ここでは第五部定理二五との関係から,最高の徳であるということだけ証明しておきます。
第四部定理二四 から分かるように,精神にとっての徳は,理性 ratioによって事物を認識するということです。いい換えれば精神の能動 actioによって事物を認識することです。したがって,精神の最高の徳というのは,精神が働くことによって何かを認識することになります。このとき,もしもAよりもBの方が完全であるなら,Aを認識するよりもBを認識する方が,精神にとってはより大きな徳であるということが帰結します。認識自体が徳であるなら,より完全なものを認識する方が大きな徳になるのは当然ですから,これはそれ自体で明らかだといっていいでしょう。
ここから帰結するのは,もしも精神が最高に完全 なものを認識するなら,それが精神にとっての最高の徳であるということになります。しかるに神の本性を示す第一部定義六 から,神は最高に完全であるという神の特質が必然的に流出します。よって神を認識することこそが,精神にとっての最高の徳であるということになるのです。
当日の天候の影響もあり,予定していたルーヴル美術館展に行くことができなくなってしまったのは,去年の5月24日の金曜日のことでした。この日,渡米中だった母から僕のパソコンにメールが届いていました。それはロサンゼルスの伯母が自宅で吐血したために,先週の土曜から4日間にわたって入院したというものでした。その間に内視鏡やCTを使っての検査を行ったのですが,はっきりとした原因は不明だったようです。ただその後はそういう事態は起こりませんでしたから,退院したということなのでしょう。心配ではありましたが,その後もとくに問題は生じず,現在まで至っています。
6月1日,月曜日。母と妹が帰国しました。自宅に着いたのは午後9時半頃のことでした。
6月6日,土曜日。妹のピアノのレッスンがありました。この日は午後3時から。これは前日の夜に先生から電話があり,午後5時半の予定が変更になったものでした。
6月8日,月曜日。この日から妹がショートステイ に。南区の施設で1泊でしたから,翌日には帰りました。
6月10日,水曜日。母がI歯科 へ。母は歯に詰め物をしていたのですが,それが取れてしまったのです。取れたのは渡米する前のことだったのですが,治療には時間が掛かります。しかし渡米中は当然ながら歯科に通うということはできません。治療の途中で渡米することになっても中途半端ですから,取れたものはそのまま放置して渡米し,帰国してから治療するということにしたようです。僕自身は母の歯の詰め物がとれたということは事前には知らされてなく,この日に歯医者に行くということで知らされました。ただ,すぐに新しい詰め物をするというわけにもいかないので,この日はその取れてしまった詰め物を応急処置的にまた詰めて,事後に本格的な治療に入るということになったようです。母の歯科の予約は午前11時。僕はこの日は川崎で,帰宅したのは午後6時20分頃になりました。これは僕の帰宅時間としてはかなり遅い部類に入ります。
6月11日木曜日。妹が施設での宿泊訓練 。この日は朝の迎えを頼んでいなかったので,母が送っていきました。
You Tube space Tokyo で指された昨日の第9期マイナビ女子オープン 五番勝負第三局。
室谷由紀女流二段の先手で角道オープン向飛車。後手の加藤桃子女流王座から仕掛けましたが,適切に対応した先手が優位に。先手は優位さを維持したままの中盤戦を長引かせ,すぐに終盤には入らないような指し方。三局を通してみると,室谷二段はこういう方針で指すタイプなのだと思われます。後手は粘るほかありませんが,たぶん最善の粘り方ではなく,一時的には差が広がっていたのではないかと思いました。
後手が6一の金を自玉に近づけた局面。ここで▲8二歩と打ちました。この手は悪い手ではないと思いますが,こういう手で勝ちにいくのなら,もっと早い段階,たとえば先手が飛車を成り込んだ後くらいの局面で指してしまえばよかったようには思います。
後手は△8八龍と引きましたが▲8一歩成に△6八龍とは取れませんでした。おそらく▲9五角の両取りを警戒したため。それを避けて△4二金と上がりました。ただこの後手の手順は変に思えます。先手は当然▲5八金寄と逃げ,後手は△8一龍とと金を払いました。これは相当に勝てない指し方だと思えるのですが,結果的にはここで龍を引き上げたのが後で大きな効果を産出しました。
▲8二歩は僕には意図が把握できませんでした。対して△7二龍と逃げなければならなかったのかも不明です。そこで▲5一角と打ちました。守りの金に働きかけるのでこれも悪い手ではないように思います。
次に▲5四桂と足されると厳しいので△5三歩と突いたのですが,これは単に桂馬を打たれるのを防いだだけでなく,龍の横効きも通す手。先手はそういう手が指せていないので,この一石二鳥の手で差は確実に詰まった筈だと思います。
▲4六桂と控えて打って▲5四歩と▲3四桂を狙いましたが△4三金を誘発。▲7四歩と取り込んだのはそう大きな手ではないと思えます。△4五銀▲6五龍はおそらく後手が得をしていると思います。△6四歩▲8五龍は後手の狙いが僕には分かりませんでしたが,次の△3二龍で分かりました。こう回りたいために,先手の飛車がダイレクトで後手陣に侵入するのを防いだものでしょう。してみると前に△7二龍と逃げておいた手の意味もこれと関連していたのでしょう。
この手も受けだけでなく後の攻めを見据えた手で,ここは少なくとも混戦,もしかしたら後手の方がよくなっているかもしれません。先手は攻めが難しくなっていて,△3五歩~△3三香で攻撃態勢を築いた後手の勝ちになりました。
加藤王座が勝って 2勝1敗。第四局は18日です。
マルタンがそういう仮説を立てていたとはいえ,僕は「天文学者 」のモデルがスピノザであるとは考えていませんでしたから,およそ1年前に,当日の急な予定の変更の影響で,六本木で展覧されていたその実物の絵画を鑑賞する機会を失ったのは,残念ではありましたがそれほど大きなショックがあったわけではありませんでした。
これまでも,糖尿病共生記の中で哲学的な考察をするということがなかったわけではありません。ですがそのときは,あくまでも糖尿病共生記の範疇であるという意識があり,それほど長く探求し続けるということは避けていました。ですが今回はその共生記の中で,マルタンの仮説を検証するために,とても長い時間を掛けました。そうなった理由というのはふたつあって,ひとつはそれまでは一度として考察したことがなかったスピノザの人生について,ある程度の考察を必要としたからです。そしてもうひとつは,考察の途中である問題が発生したときに,その問題についても丹念に探求していったからです。
これまでの哲学的考察は,ある決まったテーマをひとつ立てて,それに関して深く探求するという方法でした。そのためにそれとは直接的には関係しない哲学的問題が出たときには,無視するというわけにはいきませんから考えはしましたが,それはそのときのテーマにとっての問題が消去されれば十分という程度のものでした。それを今回は,別の問題もいわばひとつのテーマとして,僕自身が納得のいくまで探求していったのです。
そしてこれからも,この方式で進めていくことにします。つまり今までは哲学的探究と糖尿病共生記が,別個の二本立てとしてこのブログの中心を構成していたのですが,これからはそれはやめて,糖尿病共生記を綴っていく中で,哲学的に考察するべき何らかの事柄が出てきたときに,それを徹底的に考察しています。そしてその考察の中でまたそれとは別の考察が必要となったときにも,それを先送りにしたり簡単に済ませたりはせず,それ自体をひとつのテーマとして考察していくことにします。日記の途中で,突如として長い哲学的考察が挿入されるという形になるということです。
昨日の第21回NHKマイルカップ 。
ティソーナとペルソナリテは立ち遅れ。メジャーエンブレムがすぐさまハナへ。逃げる可能性も指摘されていたシゲルノコギリザメは無理せず2番手に控えました。シュウジ,アーバンキッド,ブランボヌールの3頭が集団で3番手。エクラミレネール,イモータル,ダンツプリウスの3頭が中団の前。中団の後ろはシャドウアプローチとレインボーライン,追い上げたティソーナとストーミーシーが2頭ずつ並んで追走。ブレイブスマッシュがいて,トウショウドラフタとカネノイロ,ハクサンルドルフとロードクエストという隊列に。前半の800mは46秒0のミドルペース。
直線に入るあたりでシゲルノコギリザメはすでに苦しそうな気配。コーナーで内目を回った馬がメジャーエンブレムを追い掛けようとしましたが,メジャーエンブレムはその時点でまだ持ったまま。むしろ追った側が苦しくなり,逃げ切ったメジャーエンブレムの優勝。先行グループが勝ち馬に潰される展開となり,直線の入口でも離されていたペルソナリテを除けば最も後ろに位置していたロードクエストが大外から追い込んで4分の3馬身差の2着。中団後方から馬群を割って追い込んだレインボーラインがクビ差で3着。
優勝したメジャーエンブレム は2月のクイーンカップ以来の勝利。大レースは昨年の阪神ジュベナイルフィリーズ に続いて2勝目。瞬発力は欠きますが,スピードの持続能力は高いので,今日のようなレースをすれば,牡馬相手でもこのレベルなら勝てると考えていました。前走は明らかに失敗したレースと思えましたから,騎手の心中にも期するものがあったのではないかと思います。スプリント戦では短いでしょうし,持続能力が高いとはいえ,あまり距離が伸びるのもよくないかもしれません。ただこういう馬は能力は非常に高い可能性もあり,同じ牝馬でいえばダイワスカーレットのような活躍をする可能性もまったくないとはいえないと思います。父はダイワメジャー 。
騎乗したクリストフ・ルメール騎手と管理している田村康仁調教師は阪神ジュベナイルフィリーズ以来の大レース制覇でNHKマイルカップは初勝利。
画板に描かれた無言の絵(mutum instar picturae in tabula )というのがどういう意味であれ,スピノザが観念ideaが永遠aeterunusであるように絵画が永遠であるということを認めないと僕が考える理由はお分かりいただけたと思います。このゆえにマルタンJean-Clet Martinの公式は成立せず,よってそれを契機に推理されている「天文学者 De astronoom 」のモデルがスピノザであるという仮説の信憑性も,僕には大変に疑わしいものになっているのです。
コレルスの伝記Levens-beschrijving van Benedictus de Spinoza の第五節では,スピノザは自画像も含めて種々の人物画を描いたとされています。コレルスJohannes Colerusは実際にそれらの絵を見たといっているので,この部分は真実ではないかと思われます。またファン・ローン Joanis van Loonが親友であったレンブラントRembrandt Harmenszoon van Rijnについて書くきっかけをスピノザから与えられたとき,スピノザはレンブラントのエッチングを嘆賞していたと語ったと書かれています。この部分は虚偽でなければならない理由がありません。人物画とかエッチングというのは,確かに描かれる対象なしにはあることも考えるconcipereこともできないものであり,同時代またそれに近い時代に書かれたこれらふたつの記述は,スピノザが絵画をどのようなものと解していたかを窺わせる内容になっていると思います。スピノザが絵画をそのように解するなら,第二部定理四三備考 のように,観念は絵のようなものではないという比喩を用いることと整合性がとれるからです。
同時にこの部分は,スピノザには芸術としての絵画を十分に鑑賞するだけの能力が欠如していたということの証明にもなり得るでしょう。そしてそう解する限り,それはマルタンにとって有利な材料になります。ですが『フェルメールとスピノザ Bréviaire de l'éternité -Entre Vermeer et Spinoza 』の説明の要旨は,スピノザが存在しなければ「天文学者」は存在しなかったというように読むことができるようになっています。精巧なカメラ・オブスキュラ camera obscuraのレンズ を製作してくれたお礼として,スピノザをモデルとした絵をフェルメールJohannes Vermeerが描いたのだとすれば,それはスピノザなしにこの絵画は描かれなかったといっているのと同じだからです。なのでどんなにマルタンに有利な材料があったとしても,僕は「天文学者」のモデルがスピノザであったという仮説を,信じることができないのです。
アメリカのチャーチルダウンズ競馬場で行われたケンタッキーダービーGⅠ ダート11/4マイル。
ラニは今日も発馬が悪く,遅れました。発走後の正面で少しだけ追い上げ後方4番手くらいに。それでも前の集団からは取り残される形。向正面までそのまま進め,鞭を入れて集団の直後まで追いつきました。ただこのときに外にいたので,コーナーも外を回り,直線にかけては大外を回らされることに。そこから最後までじわじわと伸びてはいましたが,レースの勝ち負けに参加するには至らず,9着でした。
アメリカのダートのトップクラスのレースはペースが速くなる傾向があります。このレースも1/2マイルが45秒72,3/4マイルで1分10秒40というラップ。このペースにある程度はついていけ,なおかつ余力を残せるようでないと好勝負は難しいです。ラニのように日本のダートの競馬でも前半の速力が鈍いタイプでは,このようなレースでは厳しいといえるでしょう。ただ,最後まで伸びていたのは事実なので,ペースがそこまで速くならない場合とか,頭数がもっと少ないレースであれば,まったく通用しないというレベルの馬ではないようにも思えました。
國分は事物の観念の自動性がいかなることかについて語っているのであり,事物の本性の観念について直接的に言及しているわけではありません。したがって事物の観念が実在的有であるなら,その事物も実在的有でなければならないことは確かだとしても,事物の本性の観念が客観的有であって事物の本性は形相的有であるということは,言及そのものからは分からないと思われるかもしません。しかし僕の考えはそうではなく,ここでは事物の本性の観念についても,事物の観念を通して間接的に言及されているのです。
國分は第二部定理四三備考の意味 のうち,ある観念が別の観念によって自動的に発生させられるということについては,観念が観念されたものの発生を語るといういい方で示しています。それに対して観念が自動的に別の観念を発生させるということに関しては,観念は観念されたものの特質 proprietasを告げるといういい方で示しています。この後者の記述のうちには,國分が事物の観念と事物の本性の観念とを区別していないということが含まれていると僕は解します。第二部定義二 から,事物とその本性は,一方がなければ他方が,他方がなければ一方があることも考えることもできないといわれているのですから,僕は事物の観念とその事物の本性の観念を区別しないことは妥当であると考えます。
なぜここで國分が事物の観念と事物の本性の観念を区別していないと僕が解するのかといえば,國分が事物の観念は事物の特質を告げるといっているからです。スピノザの哲学では事物の特質というのは,事物の本性から必然的に,あるいは不可避的に流出する事柄です。したがって事物の観念が観念された事物の特質を告げる,いい換えれば観念された事物から生じる結果を告げるのは,事物の観念が事物の本性の観念と同じ,区別しないという意味で同じだからです。つまり事物の本性の観念を原因として必然的に事物の特質の観念が発生すると國分はいっているのであり,これらの観念はいずれも客観的有なのですから,事物の本性も事物の特質も形相的有として存在していなければなりません。そうしないと國分の主張は成立しないと僕は考えるのです。
5日に静岡競輪場 で行われた第70回日本選手権競輪の決勝 。並びは新田‐渡辺‐松坂の東日本と深谷‐吉田‐近藤の愛知で牛山と稲川と中川は単騎。
渡辺がスタートを取って新田が前受け。4番手に中川,5番手に牛山,6番手に稲川,7番手から深谷の周回に。残り3周のバックを通過すると深谷が上昇。ホームで新田の前に。近藤の後ろに稲川。新田は引かずに吉田の番手で粘る形に。ホームで深谷がインを開けると新田が上昇。渡辺が続き松坂はインを上がれませんでしたが外から上昇し渡辺の後ろにドッキング。近藤が離れて吉田の後ろに牛山‐稲川となって打鐘。吉田に4番手に入れてもらった深谷がすぐに発進したので,遅れた近藤も外から吉田の後ろにドッキング。前の新田は深谷の発進に併せながらスピードアップ。吉田はホームで口が開いた渡辺の後ろに入り,松坂と近藤が競り合いに。新田が深谷を併せきったので深谷は不発に。最後尾になっていた中川がホームから発進。深谷の上をいってバックでは捲りきりました。吉田も自力を出したもののスピードが違いすぎ,千切った中川が優勝。4車身差の2着に吉田。新田の後ろから吉田を追った渡辺が半車身差で3着。
優勝した熊本の中川誠一郎選手は協賛競輪を除くと2009年11月の松阪記念 がこれまで唯一のグレードレースの優勝。ただしその実績以上の力量があるのは,オリンピックのメンバーに選出されていることからも明らか。新田のイン粘りは個人的には意外。深谷が内を開けたのは後ろで競らせることを嫌って新田が前に出るように誘ったのかもしれませんが,あの形になってしまうとダッシュ力は新田が上なので,合わされてしまいます。深谷としては失敗のレースだったでしょう。こういう展開になると後方で脚を溜めている選手が有利になりますが,単騎の3人のうち純粋に自力選手といえるのは中川だけでした。稲川か牛山がマークしていれば直線勝負になったかもしれませんが,そういう展開にならなかったのでひとりで抜け出すことに。展開がうまく嵌ったのが最大の勝因ですが,うまく嵌ればGⅠを勝てるだけの脚力があった選手なのも事実だと思います。
『スピノザの方法 』に示されている観念が喋るということの具体的内容は,観念が観念されたものの発生を示し,同時に観念されたものの特質も示すということです。このことは単に観念が思惟の様態として別の観念を発生させるという自動機械であるということからは帰結せず,観念がほかの観念によって発生してくるという意味での自動性から帰結しなければなりません。つまり観念は無言ではないということは,その両方の意味を含んでいなければならないのです。僕もこの國分の見解に同意します。
僕の考えだと,この見解は第二部定理七証明の意味 と密接に関連します。なぜなら観念が思惟の様態として観念されたものの発生を示し得るのは,観念と観念されたものが同一個体であるからです。いい換えれば國分も,第二部定理七 でいわれている物というのを,観念の同一個体としての観念されたものと考えていることになるからです。
さらにこの説明は,國分が観念が実在的有すなわち客観的有であるためには,観念されたものもまた実在的有でなければならないという見解を有していることを強く匂わせているように僕には思えます。観念が観念されたものの発生を示すということは,観念されたものには観念とは別の起成原因があるのであり,その起成原因によって観念されたものは実在するというように解さなければならないと考えるからです。したがっておそらく國分も,事物の本性は事物の本性の観念と同一個体であるという意味で同じものだけれども,事物の本性は事物の観念とは別に,実在的有といわれると解していると僕は判断します。事物の本性の観念は事物の本性の発生を示しますが,事物の本性の起成原因は観念とは別の何かでなければならず,その起成原因によって事物の本性は実在的であることができると考えなければならないからです。もしこれを否定するならば,事物の本性の観念は客観的有ではないと主張するか,そうでなければ知性は事物の本性を認識することが不可能であると主張するかのどちらかでなければならないと僕は考えます。しかし後者はそれ自体で不条理です。そして前者も國分は否定していると僕は解するのです。
昨日の第28回かしわ記念 。
ソルテが先手を奪いました。2番手はコパノリッキーとベストウォーリアの併走。その後ろがハッピースプリントとタイムズアローの併走。直後のモーニンまで,発走後の正面では一団。向正面に入るとコパノリッキーが単独の2番手に。少し差が開いてベストウォーリア。また差が開いて外にタイムズアロー,内にハッピースプリントという隊列に。前半の800mは49秒5のミドルペース。
3コーナーを回るとソルテの半馬身ほど外にコパノリッキーが並んでいきました。3番手もまだ単独でベストウォーリア。これらの後ろにハッピースプリント,サウンドトゥルー,ノンコノユメなど。コーナーの時点でソルテは手が動いていましたがコパノリッキーは持ったまま。直線に入るとコパノリッキーがソルテを交わして抜け出し楽勝。外を回った追い込み馬は届かず,逃げたソルテが3馬身差で2着。3番手を追走のベストウォーリアが1馬身半差で3着。
優勝したコパノリッキー は昨年のJBCクラシック 以来の勝利で大レース6勝目。第26回 以来2年ぶりのかしわ記念2勝目。このレースは何らかの理由でモーニンが力を出し切れず,差し脚勝負の馬もペースのわりに控えすぎました。こうなれば能力上位の1頭で,前でレースができるこの馬の出番。競られたときに弱さを見せる面が顕著になりつつありますが,今日のような展開になれば力を出します。したがって今後も展開面が好走できるか否かの最大の鍵になるでしょう。父はゴールドアリュール 。祖母の従弟に2002年の大阪杯,2005年の大阪杯と毎日王冠を勝ったサンライズペガサス 。
騎乗した武豊騎手 は日曜の天皇賞 に続いての大レース制覇。第9回以来19年ぶりのかしわ記念2勝目。管理している村山明調教師 は2年ぶりのかしわ記念2勝目。
観念は無言ではないということは,スピノザの哲学において思惟の主体 が存在しない,とりわけ精神は自動機械 であるという考え方と強力に結びついているといえます。観念は現実的に存在するなら必然的に何らかの結果を発生させます。これが第一部定理三六 からも第一部定理二五系 からも明白だと僕は考えるのです。ところで第二部定理一一 により,現実的に存在する人間の精神の有は,いくつかの個物の観念によって構成されています。そしてそれらの個物の観念のいずれもが,必然的に原因として何らかの結果を発生させます。そのとき,その結果となるものは第二部定理五 から神の思惟の属性の様態でなければなりません。そして第二部公理三 により,観念が思惟の様態の第一のものですから,個物の観念から発生する結果はやはり観念です。とくに第二部定理九 により,現実的に存在する個物の観念であるということになるでしょう。
このような思惟作用は,現実的に存在する人間の精神のうちで,必然的に生じなければならないのです。いい換えればそれはその人間の精神の決意とは無関係に生じるし,必然性から外れるなら精神の決意とは無関係に発生することが不可能なのです。要するに精神は主体的に何らかの思惟作用をなし得るというわけではありません。このことはその精神が十全な原因であろうと部分的原因であろうと,いい換えればそれがその精神の能動であろうと受動であろうと同じことです。つまり観念は無言ではないということは,観念は存在するなら必然的にある思惟作用,とくに別の観念を発生させるという意味での認識作用をなすという意味であり,それは個物の観念の集積としてのひとつの個物とみなされる精神は自動的に事物を認識するということに直結するのです。
『スピノザの方法 』では,観念は無言ではないというのは,単に観念が必然的に結果を発生させるという意味だけを有するのでなく,ほかの観念によって発生させられるという点での自動性を有するという意味も含まれているとされています。これは確かにそうだと思います。いい換えればそこには主体の排除ということ以上の意味が含まれているといえるでしょう。
昨日の第30回東京湾カップ 。
キングスベンチがゲート内で膠着したような形で大きく出遅れ。外の方からディーズプリモがハナへ。ワールドプリンスが2番手で3番手は内のウワサノモンジロウと外のモリデンルンバの併走。少し差があってスマイルゴーイング,ノーフォロワー,キャッスルアーサー,ガーニーフラップの4頭が集団で追走。センペンバンカ,プレイザゲームと続きました。ハイペース。
3コーナーを回るとモリデンルンバが単独の2番手に。ワールドプリンスは後退して内からウワサノモンジロウ,外からスマイルゴーイングが進出。逃げたディーズプリモはコーナーをタイトに回ったのに対してモリデンルンバはやや膨れて外に。直線半ばでモリデンルンバは一杯になり,スマイルゴーイングのさらに外から追い上げてきたガーニーフラップが2番手に。ですがこの時点でディーズプリモはセーフティリード。一杯になりながらも逃げ切って優勝。1馬身半差の2着にガーニーフラップ。馬群を捌きつつゴール前では内目から脚を伸ばしたプレイザゲームが1馬身半差の3着。
優勝したディーズプリモ は南関東重賞初制覇。3連勝で出走した前走のクラウンカップは1番人気で3着。初の遠征ということもあったのでしょうが,少し人気を落とし過ぎていたような気がします。結果的にクラウンカップの上位3頭がここも3着までを独占する結果で,そのレースのレベルが高かったということでしょう。好位からの競馬も可能ですが,逃げた方がより力を発揮できるということなのだと思います。どういう理由で牡馬を相手に戦っているのか分かりませんが,勝ったのですから陣営のレース選択も正しかったといえると思います。プロポンチス 系グランドターキン の分枝。母の半妹に2013年の桜花賞 を勝ったイチリュウ と昨年のNARグランプリ 2歳最優秀牝馬で現役のタイニーダンサー 。 Primoはイタリア語で第一。
騎乗した川崎の山崎誠士騎手は桜花賞 以来の南関東重賞制覇。東京湾カップは初勝利。管理している川崎の内田勝義調教師も東京湾カップは初勝利。
第二部定理四三備考の意味 のうち,マルタンJean-Clet Martinの仮説に関して重要なのはもちろん観念ideaは絵ではないという方です。ですがこちらについては事前に多くの説明をしてありますので,補足だけしておきます。
スピノザがいっているのは絵が実在的有ではないという意味ではありません。ただ観念が思惟の様態cogitandi modiとして実在的有であるような意味での実在的有ではないということです。絵であれ写真であれ,それはそれ自体でみれば物体corpusですから,延長Extensioの様態としての実在的有ではあります。ですがそれは描かれた対象や撮影された対象と離れて,いい換えれば因果関係で結ばれずに実在的有ではあり得ないということです。他面からいえば描かれた対象,撮影された対象なしにあることができるものではないということです。
もうひとつの意味,観念が無言ではないという点については,『スピノザの方法 』ではそれに応じた比喩が用いられています。國分がいうにはある意味では観念は喋るのです。もちろんこれは無言ではないということに対応したいい方です。僕が第一の意味について写真の比喩を用いることについて,その是非を問うことは無意味でしょう。同じようにこういう比喩を國分が使用することの妥当性について論じることは無意味ですから,そのことについては考察しません。
観念が喋るというのは,対象を離れて喋るという意味です。この点は留意しておかねばならないでしょう。このことはまず第一部定理二五系 から明らかです。個物res singularisの観念は思惟の様態として神Deusの思惟の属性Cogitationis attributumを一定の仕方で表現します。観念が自動的に別の観念を発生させるのは,そうした表現のひとつであるといえます。逆にいえば観念は思惟の様態である限りにおいて,別の思惟の様態を必然的にnecessario発生させるのであり,発生させないということは不可能なのです。僕は第二部定義三 で,精神mensが思惟するcogitareものであるということのうちに,観念の発生は含まれているということをかつて論じました。ここでいっているのはそれと同じことだと考えてください。
しかしこのことはおそらく第一部定理三六 からより明白でしょう。観念の本性naturaから何らかの結果effectusが生じなければならないからです.
第17回兵庫チャンピオンシップ 。
先手を奪ったのはケイティブレイブ。エイシンニシパが2番手。レガーロが3番手でしたが,発馬直後に後方になってしまったゴールドドリームがこの外まで追い上げ,2頭の併走に。イーストオブザサン,グランセブルスの順で続きました。スローペースであったと思われます。
2周目の向正面で前の2頭が後ろを離していきました。ここからゴールドドリームが追い上げて単独の3番手。3コーナーの手前でエイシンニシパは追走できなくなり,ゴールドドリームは単独の2番手に。コーナーではレガーロが外の3番手で,グランセブルスとイーストオブザサンが追い掛ける形に。ゴールドドリームがコーナーでは鞭を入れていたのに対し,逃げていたケイティブレイブはまだ余裕がありました。その見た目の通り,直線ではケイティブレイブがゴールドドリームを突き放し,逃げ切りの圧勝。7馬身差の2着にゴールドドリーム。直線で内を伸びたグランセブルスがレガーロを捕えて3馬身半差の3着。
優勝したケイティブレイブ は重賞初勝利。初戦の芝を除くとダートでは2勝して着外なし。ただ前々走のオープンでは2着馬に敗れていたので,勝つまでは厳しいかなと考えていました。うまく先手を奪ってペースを落としたこと,2着馬が発馬で安目を売ってずっと外を回る競馬になったことなど,展開面の綾が大きく左右した結果だったとは思います。それでも大きく差をつけていますから,それだけの力があると再評価しなければならないでしょう。父は2001年の東京スポーツ杯2歳ステークス,2004年の富士ステークス,2005年の高松宮記念を勝ったアドマイヤマックス 。母の父はサクラローレル 。母の半兄に1999年の北海道スプリントカップ,2000年のガーネットステークスと黒船賞と群馬記念とかしわ記念と朱鷺大賞典,2001年のガーネットステークスととちぎマロニエカップを勝ったビーマイナカヤマ 。
騎乗した兵庫の川原正一騎手は第1回以来16年ぶりの兵庫チャンピオンシップ2勝目。管理している目野哲也調教師は兵庫チャンピオンシップ初勝利。
『スピノザの方法 』では,スピノザの哲学で,たとえば第二部定理七 で観念の連結といわれるときの連結は,ある観念が別の観念を発生させる連鎖を意味すると指摘されています。國分がいうように,このことはスピノザが観念を対象として,いわば観念をひとつの形相的なものとして考える場合に,それを事物すなわち観念されるものの世界を通して考えるのではなく,観念の世界だけで自己完結的に考えるということを意味します。観念がそのように考えられなければならないことは,第二部定理五 から明らかだといえるでしょう。
ここから理解できるのは,たとえば人間の精神がある事物を認識するという思惟作用は,写生をするとか写真撮影をするとかいうような営みとはまったく異なり,観念世界の内部においてある観念が用いられることによって別の観念が発生し,この繰り返しによって観念の連鎖が創出されるということです。つまり観念の世界は,観念されるものの世界からは,一方が原因で他方が結果であるという意味においては完全に切断されているのです。これは第一部定理三 から明らかです。つまりスピノザの哲学では,観念と観念されたものの間には因果関係を認めることはできません。要するにある観念が存在するには,第一部公理三 によって何らかの原因が必要とされますが,それは観念されたものであるのではなく,その観念とはまた別の何らかの観念なのです。このことも前の第二部定理五から明らかだといえますが,とくに人間の精神が何事かを認識する,すなわち現実的に存在する人間の精神のうちにある観念が発生するという場合についていうなら,第二部定理九 からより明らかだといます。
第二部定理四三備考 にみられるような,観念は画板の上の無言の絵ではないというスピノザの比喩は,これらのことをすべて意味しているというのが國分の基本的な考え方です。すなわちまず観念は絵ないしは写真ではないということです。つまり観念されたものの世界を写し出すものではないのです。もうひとつが観念は無言ではないということです。つまり観念は他の観念から発生し,他の観念を発生させるダイナミズムを有しているのです。
第18回かきつばた記念 。
スノードラゴンがかなり押していましたが,逃げる気まではなかったよう。外から交わしたタガノトネールの逃げになり,マークするようにレーザーバレットが2番手に。スノードラゴンは内のラブバレットと並んでの3番手。この後ろにノボバカラとブルドッグボスが並んで続きました。最初の600mは37秒2のミドルペース。
向正面で前の2頭が後ろを離していく形に。ノボバカラが内からラブバレットとスノードラゴンを交わして3番手に上がり,外に出て前の2頭を追撃。ブルドッグボスはコーナーで内からラブバレットとスノードラゴンを交わして4番手。直線は逃げるタガノトネールとずっとマークしていたレーザーバレット,この2頭の外に出たノボバカラと2頭の内を突いたブルドッグボスの4頭の争い。先行した2頭は苦しくなり,伸び脚に優った大外のノボバカラが優勝。インを立ち回ったブルドッグボスが2馬身差の2着。タガノトネールは交わしたレーザーバレットが1馬身半差で3着。
優勝したノボバカラ は重賞初勝利。ただ前々走で準オープンを勝ち,前走でオープンも連勝していましたから,有力だろうとみていました。発馬後に少し不利があったのではないかと思いますが,前の2頭が飛ばしていく展開になったため,その争いに参加しないで済んだ分,むしろ幸いしたかもしれません。ただ展開に乗じて勝ったというわけでなく,このメンバーでは能力も上位だったということだと思います。トップクラスで戦えるかはまだ分かりませんが,このレベルのレースでは大活躍が見込めるでしょう。距離はもう少し伸びても大丈夫と思っています。父は2007年のシンザン記念と弥生賞,2008年の京都記念を勝ったアドマイヤオーラ で祖父がアグネスタキオン 。
騎乗したミルコ・デムーロ騎手と管理している天間昭一調教師はかきつばた記念初勝利。
第二部定理四三備考 などでスピノザが絵画に言及するとき,マルタンがフェルメールの絵画に見出すような芸術的価値に無頓着であるなら,マルタンが立てたスピノザの哲学とフェルメールの絵画の間の共通の公式は成り立つという考えに対して有利であることを僕は認めます。けれどもスピノザがこれを,僕が現代風にアレンジしたような,観念は対象を撮影した写真のようなものではないという意味でいっている点はやはり強調しておかねばなりません。それ自体で明白なように,写真というのはどんなものであれ被写体が存在しなければあることも考えることもできないようなものです。スピノザは絵画をそれと同じようにみなしているのです。したがって観念されたものがなくても考えることができる観念とは,まったく違ったものだといわなければなりません。マルタンはスピノザが存在したから「天文学者 」という作品が完成したと考えているのであり,この意味においては何らの対象なしに絵画が実在的有であることはできないということを認めていると解さなければならないのです。だからマルタンにとってどんなに有利な材料が出てきてはいても,マルタンが立てるような公式をスピノザは認めないであろうという僕の見解は変わらないのです。
これは『スピノザの方法 』でも論じられていることですが,スピノザが第二部定理四三備考で,観念は画板の上の画のように無言ではないというとき,そこにはふたつの意味が込められているのです。僕は絵画ではなく写真の比喩を用いる理由について述べた後で,このふたつのことをあらかじめ示唆しておきました。ひとつは対象がなければあることができないようなものではないということであり,もうひとつは観念は撮影された写真のようには静的なものではないということ,いい換えれば観念とは動的なものであるということです。僕が「天文学者」のモデルがスピノザであるというマルタンの仮説に対して最終的にどうして否定的な見解を有するのかということについて説明することはあと僅かですが,ここでのスピノザのいい回しに含まれている意味は哲学的に重要と思いますから,最後にそれだけ考察しておきます。
香港のシャティン競馬場で行われた昨日のチャンピオンズマイルGⅠ 芝1600m。
モーリスは外の4番手を追走。前半の800mが48秒66の超スローペースでした。3コーナーを回ったあたりで単独の3番手だった馬の外に並び掛け,前をいく2頭を射程圏内に。直線はその2頭の外に。この時点で手応えに余裕があるように見えたので,勝ったのではないかと思えました。追い出したのは残り300m付近から。残り150m付近で先頭に立ち,そこから差をつけていき最後は2馬身差をつけての楽勝でした。
優勝したモーリス はここが昨年の香港マイル 以来のレース。これで大レース4勝目。休養明けを苦にする馬ではないのでその点はあまり不安視していませんでした。むしろ間隔が詰まっていた暮れよりも状態は良かったようで,それがこの快勝につながったのでしょう。自身はあまり差をつけて勝つタイプではありませんし,超スローペースは差がつきにくいという点も考えると,このメンバーでは能力が図抜けていたということだと思います。どういうレースを使っていくか分かりませんが,今年もかなりの活躍を見込めるでしょう。父はスクリーンヒーロー 。祖母が1989年のクイーンステークス,1990年の金杯とアルゼンチン共和国杯,1991年のアメリカジョッキークラブカップを勝ったメジロモントレー 。デヴォーニア 系メジロボサツ の分枝。
日本馬による海外GⅠ制覇はドバイターフ 以来。香港では昨年の香港カップ以来。チャンピオンズマイルは初勝利。ブラジル出身の香港のジョアン・モレイラ騎手は日本馬に騎乗して初の大レース勝利。管理している堀宣行調教師は香港マイル以来の大レース制覇。
スピノザがフォールブルフ Voorburgで下宿していたときの家主は画家でした。また,死んだときに住んでいたハーグの2軒目の家主も画家でした。こうした事実は『人と思想 スピノザ 』で説明されている当時のオランダの絵画事情を裏付けているといえるかもしれません。おそらくこの頃のオランダにはそれほど多くの画家が存在していたのであり,職業として成立していたのです。ふたりの宿主は現在では画家として名を残している人ではありません。したがって芸術家としての画家というより,職人としての画家であったといっていいのではないでしょうか。
もちろんレンブラントやフェルメールのように,スピノザと同じ時代にオランダで生きた画家の中に,現在でも芸術家として名を残している人がいるのも事実です。ですがそれはレアケースであって,画家が芸術家としてみなされること,同じことですが絵画が芸術としてみなされることは,この当時のオランダではむしろ少なかったといっていいように思います。現にレンブラントにしろフェルメールにしろ,生きていた時代の生活は必ずしも恵まれたものではなかったようなのです。
したがってスピノザが第二部定理四三備考 などで,観念はキャンバスに描かれた無言の絵画とは異なるというときの絵画は,芸術作品としての絵画を意味していないとみておくのが妥当であると思います。これはちょうど,僕が観念とは対象を撮影した写真のようなものではないというときの写真が,写真家が撮影する芸術としての写真をイメージしてそのようにいっているのではなく,僕たちが日常的に撮影するような変哲のない写真を念頭にいっていることと対応します。僕はこのようにいうことで,観念が対象なしに実在し得るということと,また観念は撮影された写真のように静的なものではないということをいおうとしているのであり,写真というものの価値を貶めようとしているのではありません。同様にスピノザも,このような表現で絵画の価値を毀損したいのではないというのは間違いないと思います。ただ,マルタンが絵画に見出す価値とスピノザがみる価値は,明らかに違っているといわなければならないでしょう。