スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

兵庫チャンピオンシップ&第二部定理四三備考の意味

2016-05-04 19:16:14 | 地方競馬
 第17回兵庫チャンピオンシップ
 先手を奪ったのはケイティブレイブ。エイシンニシパが2番手。レガーロが3番手でしたが,発馬直後に後方になってしまったゴールドドリームがこの外まで追い上げ,2頭の併走に。イーストオブザサン,グランセブルスの順で続きました。スローペースであったと思われます。
 2周目の向正面で前の2頭が後ろを離していきました。ここからゴールドドリームが追い上げて単独の3番手。3コーナーの手前でエイシンニシパは追走できなくなり,ゴールドドリームは単独の2番手に。コーナーではレガーロが外の3番手で,グランセブルスとイーストオブザサンが追い掛ける形に。ゴールドドリームがコーナーでは鞭を入れていたのに対し,逃げていたケイティブレイブはまだ余裕がありました。その見た目の通り,直線ではケイティブレイブがゴールドドリームを突き放し,逃げ切りの圧勝。7馬身差の2着にゴールドドリーム。直線で内を伸びたグランセブルスがレガーロを捕えて3馬身半差の3着。
 優勝したケイティブレイブは重賞初勝利。初戦の芝を除くとダートでは2勝して着外なし。ただ前々走のオープンでは2着馬に敗れていたので,勝つまでは厳しいかなと考えていました。うまく先手を奪ってペースを落としたこと,2着馬が発馬で安目を売ってずっと外を回る競馬になったことなど,展開面の綾が大きく左右した結果だったとは思います。それでも大きく差をつけていますから,それだけの力があると再評価しなければならないでしょう。父は2001年の東京スポーツ杯2歳ステークス,2004年の富士ステークス,2005年の高松宮記念を勝ったアドマイヤマックス。母の父はサクラローレル。母の半兄に1999年の北海道スプリントカップ,2000年のガーネットステークスと黒船賞と群馬記念とかしわ記念と朱鷺大賞典,2001年のガーネットステークスととちぎマロニエカップを勝ったビーマイナカヤマ
 騎乗した兵庫の川原正一騎手は第1回以来16年ぶりの兵庫チャンピオンシップ2勝目。管理している目野哲也調教師は兵庫チャンピオンシップ初勝利。

 『スピノザの方法』では,スピノザの哲学で,たとえば第二部定理七で観念の連結といわれるときの連結は,ある観念が別の観念を発生させる連鎖を意味すると指摘されています。國分がいうように,このことはスピノザが観念を対象として,いわば観念をひとつの形相的なものとして考える場合に,それを事物すなわち観念されるものの世界を通して考えるのではなく,観念の世界だけで自己完結的に考えるということを意味します。観念がそのように考えられなければならないことは,第二部定理五から明らかだといえるでしょう。
                                 
 ここから理解できるのは,たとえば人間の精神がある事物を認識するという思惟作用は,写生をするとか写真撮影をするとかいうような営みとはまったく異なり,観念世界の内部においてある観念が用いられることによって別の観念が発生し,この繰り返しによって観念の連鎖が創出されるということです。つまり観念の世界は,観念されるものの世界からは,一方が原因で他方が結果であるという意味においては完全に切断されているのです。これは第一部定理三から明らかです。つまりスピノザの哲学では,観念と観念されたものの間には因果関係を認めることはできません。要するにある観念が存在するには,第一部公理三によって何らかの原因が必要とされますが,それは観念されたものであるのではなく,その観念とはまた別の何らかの観念なのです。このことも前の第二部定理五から明らかだといえますが,とくに人間の精神が何事かを認識する,すなわち現実的に存在する人間の精神のうちにある観念が発生するという場合についていうなら,第二部定理九からより明らかだといます。
 第二部定理四三備考にみられるような,観念は画板の上の無言の絵ではないというスピノザの比喩は,これらのことをすべて意味しているというのが國分の基本的な考え方です。すなわちまず観念は絵ないしは写真ではないということです。つまり観念されたものの世界を写し出すものではないのです。もうひとつが観念は無言ではないということです。つまり観念は他の観念から発生し,他の観念を発生させるダイナミズムを有しているのです。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする