スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

農林水産大臣賞典かきつばた記念&対象との関係

2016-05-03 19:25:48 | 地方競馬
 第18回かきつばた記念
 スノードラゴンがかなり押していましたが,逃げる気まではなかったよう。外から交わしたタガノトネールの逃げになり,マークするようにレーザーバレットが2番手に。スノードラゴンは内のラブバレットと並んでの3番手。この後ろにノボバカラとブルドッグボスが並んで続きました。最初の600mは37秒2のミドルペース。
 向正面で前の2頭が後ろを離していく形に。ノボバカラが内からラブバレットとスノードラゴンを交わして3番手に上がり,外に出て前の2頭を追撃。ブルドッグボスはコーナーで内からラブバレットとスノードラゴンを交わして4番手。直線は逃げるタガノトネールとずっとマークしていたレーザーバレット,この2頭の外に出たノボバカラと2頭の内を突いたブルドッグボスの4頭の争い。先行した2頭は苦しくなり,伸び脚に優った大外のノボバカラが優勝。インを立ち回ったブルドッグボスが2馬身差の2着。タガノトネールは交わしたレーザーバレットが1馬身半差で3着。
 優勝したノボバカラは重賞初勝利。ただ前々走で準オープンを勝ち,前走でオープンも連勝していましたから,有力だろうとみていました。発馬後に少し不利があったのではないかと思いますが,前の2頭が飛ばしていく展開になったため,その争いに参加しないで済んだ分,むしろ幸いしたかもしれません。ただ展開に乗じて勝ったというわけでなく,このメンバーでは能力も上位だったということだと思います。トップクラスで戦えるかはまだ分かりませんが,このレベルのレースでは大活躍が見込めるでしょう。距離はもう少し伸びても大丈夫と思っています。父は2007年のシンザン記念と弥生賞,2008年の京都記念を勝ったアドマイヤオーラで祖父がアグネスタキオン
                                    
 騎乗したミルコ・デムーロ騎手と管理している天間昭一調教師はかきつばた記念初勝利。

 第二部定理四三備考などでスピノザが絵画に言及するとき,マルタンがフェルメールの絵画に見出すような芸術的価値に無頓着であるなら,マルタンが立てたスピノザの哲学とフェルメールの絵画の間の共通の公式は成り立つという考えに対して有利であることを僕は認めます。けれどもスピノザがこれを,僕が現代風にアレンジしたような,観念は対象を撮影した写真のようなものではないという意味でいっている点はやはり強調しておかねばなりません。それ自体で明白なように,写真というのはどんなものであれ被写体が存在しなければあることも考えることもできないようなものです。スピノザは絵画をそれと同じようにみなしているのです。したがって観念されたものがなくても考えることができる観念とは,まったく違ったものだといわなければなりません。マルタンはスピノザが存在したから「天文学者」という作品が完成したと考えているのであり,この意味においては何らの対象なしに絵画が実在的有であることはできないということを認めていると解さなければならないのです。だからマルタンにとってどんなに有利な材料が出てきてはいても,マルタンが立てるような公式をスピノザは認めないであろうという僕の見解は変わらないのです。
 これは『スピノザの方法』でも論じられていることですが,スピノザが第二部定理四三備考で,観念は画板の上の画のように無言ではないというとき,そこにはふたつの意味が込められているのです。僕は絵画ではなく写真の比喩を用いる理由について述べた後で,このふたつのことをあらかじめ示唆しておきました。ひとつは対象がなければあることができないようなものではないということであり,もうひとつは観念は撮影された写真のようには静的なものではないということ,いい換えれば観念とは動的なものであるということです。僕が「天文学者」のモデルがスピノザであるというマルタンの仮説に対して最終的にどうして否定的な見解を有するのかということについて説明することはあと僅かですが,ここでのスピノザのいい回しに含まれている意味は哲学的に重要と思いますから,最後にそれだけ考察しておきます。
コメント
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