スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。
いわき平記念の決勝 。並びは新山‐新田‐佐藤の北日本,窓場‐神田の近畿,山田‐井上の西九州,嘉永‐伊藤の熊本。
神田がスタートを取って窓場の前受け。3番手に山田,5番手に嘉永,7番手に新山の周回に。残り3周のバックを出ると新山が上がっていこうとしましたが,この動きをみて嘉永も上昇。コーナーに入るところで窓場と嘉永は併走のような状態になり,新山はさらにその外から。バックに入るとうまく内を突いた山田が先頭に。新山は構わず外から発進し,山田を叩いて打鐘。4番手に山田,6番手に窓場,8番手に嘉永という一列棒状に。後方になってしまった嘉永はホームから発進しましたが,これはスピードを欠きました。バックから山田が発進。番手で待ち構えていた新田も発進し,一時的に併走での争いとなりましたが,踏み勝った新田が先頭で直線に。あとは後ろを引き離していき新田が優勝。新田マークの佐藤,ホーム最後尾から間を割った伊藤,発進した山田,山田の外から捲り追い込んだ窓場で2着争い。大外の窓場が内の3人を差し切って1車身半差で2着。山田が半車輪差の3着で佐藤が8分の1車輪差の4着。伊藤が半車輪差で5着。
優勝した福島の新田祐大選手 は昨年10月の京王閣記念 以来の優勝で記念競輪12勝目。いわき平記念は初優勝。このレースは新山がどういうレースをするかが注目でしたが,後ろ攻めからのかまし先行になりました。力がある選手ですが,1周半以上の先行では厳しかったです。うまく4番手を取った山田には展開は悪くなかったのですが,番手から出た新田に踏み負けることに。ここで踏み勝てたのが新田にとっては大きかったことになります。山田はうまい動きで4番手を取りましたが,もしかしたらそのときにいくらか脚力を消耗していたのかもしれません。
『スピノザー読む人の肖像 』の第1章で,『デカルトの哲学原理 Renati des Cartes principiorum philosophiae pars Ⅰ,et Ⅱ, more geometrico demonstratae 』に関する注意点が書かれています。このことはこの本を読んだことがある人にとっては分かりきったことだといえなくもないのですが,よく考えてみると,どんな人であれその内容をよく知らないままに本を読むのであって,あまり注意せずに読み進めれば,当初の思い込みをそのまま正しいことと思い込んでしまう可能性があります。なので僕もここでその注意点をあげておきます。
よく知られているように,『デカルトの哲学原理』は,スピノザが同居させていたライデン大学の学生であるカセアリウス Johannes Caseariusにデカルト René Descartesの哲学を教授し,それをカセアリウスが口述筆記したものが基になっています。スピノザは自分の思想を教えるにはカセアリウスにはまだ早すぎると思ったのでデカルトの哲学を教えたのですが,そのとき,こちらはその理由はよくわかりませんが,『哲学原理Principia philosophiae 』の第二部から教え始めました。この部分が『デカルトの哲学原理』の第二部に該当します。第二部が終わったのでスピノザは第三部を教え始めました。それが『デカルトの哲学原理』の第三部に該当しますが,これは始まってすぐに未完のまま終わっています。それはつまり,そこでスピノザがカセアリウスにデカルトの哲学を教えることをやめたということです。スピノザの事情だったのかカセアリウスの事情であったのかは分かりません。
これを出版するようにスピノザに勧めたのはマイエル Lodewijk Meyerです。それにあたってマイエルは,第一部もあった方がよいと考えました。スピノザもその進言に従って,二週間で第一部を書き上げました。つまり執筆の順序でいけば,『デカルトの哲学原理』は,第二部,未完の第三部,第一部となっています。このときに注意しないといけないのは,『デカルトの哲学原理』の第二部と第三部は『哲学原理』の第二部と第三部,といっても第三部は未完なのですから断定できるわけではありませんがおそらく第三部に対応しているのですが,第一部は『哲学原理』の第一部に対応しているわけではないということです。この部分は『哲学原理』より広く,デカルトの哲学の形而上学に対応しているのです。
川崎記念の決勝 。並びは深谷‐郡司‐松谷‐堀内‐福田の南関東,清水‐松浦の中国に恩田で稲川は単騎。
郡司がスタートを取りに行きましたが,内から松浦が追い上げ返して誘導の後ろに。清水の前受けとなり,4番手に稲川,5番手に深谷で周回。残り2周のホームの入口から深谷が発進。そのまま清水を叩いて先行態勢。福田は続くことができませんでした。清水は3番手まで引いて松谷の内で粘って競り合い。この競り合いは残り1周のバックまで続きましたが,清水が奪い,3番手が清水で4番手が松浦という隊列に。無風だった郡司は深谷との車間を開け,直線で踏み込んで優勝。マークになった清水が4分の3車身差の2着で清水の内に進路を取った松浦が4分の1車輪差で3着。
優勝した神奈川の郡司浩平選手は前回出走の岸和田のFⅠの完全優勝に続いての優勝。記念競輪は昨年9月の松阪記念 以来の19勝目。川崎記念は2017年 ,2019年 ,2021年 ,2022年 と優勝。開催されていない年もありますので,4連覇での5勝目。ほかに2021年の全日本選抜競輪 も当地で優勝。このレースは南関東ラインがあまりに手厚く,ほかの選手がどのように対抗するのかというレース。清水の選択は3番手での競りで,うまく位置を奪うことはできたのですが,奪うまでに時間が掛かってしまいましたので,郡司を差すだけの余裕は残っていませんでした。郡司にとっては楽な優勝だったのではないかと思います。
7月29日,土曜日。妹の土曜レクリエーション の日でした。
7月30日,日曜日。米の残量が少なくなってきましたので,Kさん に電話をして送ってもらうように依頼しました。この電話のときに,福江島に住んでいる叔父の話になりました。以前に説明したように,叔父は福江島で癌が発見され,抗癌剤の治療を受けています。このことはそのときにもいったように,叔父本人から僕に伝えられたわけではなく,叔父の娘,つまり僕からみたら死んだ従妹 の以前の夫から伝えられたものです。これはおそらく叔父が僕やロサンゼルスの伯母には秘匿しておきたいがために,ほかに頼れる人に連絡したからだと思います。Kさんは叔父にとって頼れる人のひとりでしたから,叔父が癌になって抗癌剤の治療を受けているということは知っていました。Kさんが僕の家を訪ねてきたのは2019年の12月のことで,僕の家から福江島の叔父にも会いに行きました。Kさんはその翌年にも叔父に会いにいったそうなのですが,その時点ではすでに具合が悪そうだったとのことです。Kさんはその後に叔父が抗癌剤の治療に入っていることを伝えられ,そのときに一身上のことについてはすべて弁護士に任せているといわれたのですが,それ以降は叔父から何の連絡もないとのことでした。僕の家にも叔父,あるいはその弁護士から何かを伝えられているわけではありませんから,それ以上のことをKさんに伝えることはできませんでした。いずれにせよ,僕のところにもKさんのところにも連絡がないというのは,叔父の希望が反映されたものであるということは間違いありませんから,そのままでよいのだろうと思っています。というか,こちらからは連絡を取ろうにも取ることができない状態になってしまっていますので,そうするほかないというのが本当のところでもあります。
Kさんは秋田市に住んでいるのですが,この少し前に秋田は大雨の影響で甚大な被害が出ているというニュースが伝えられていましたので,その点について尋ねましたが,Kさんが住んでいるところは秋田市といっても市内の中心部ではなく,何か生活に支障を来してしまうような被害が出てはいないとのことでした。
和歌山記念の決勝 。並びは坂井‐永沢の東日本,寺崎‐古性‐東口‐藤田の近畿,山田‐山口‐阿竹の西国。
東口がスタートを取って寺崎の前受け。5番手に坂井,7番手に山田で周回。残り3周のバックの出口から山田が上昇開始。残り2周のホームで山田が寺崎を叩いて誘導が退避しました。阿竹の後ろに坂井が続き,阿竹との車間を開けて寺崎を牽制。6番手に引いていた寺崎はバックに入り,打鐘のタイミングから発進。山田がややスピードを落としてしまっていたこともあり,近畿勢が残り1周のホームでは山田を叩き,藤田と山田の車間が開いてしまいました。8番手になった坂井はバックから捲っていったものの時すでに遅し。近畿勢の優勝争いになり,寺崎との車間を開けていた古性が直線で踏み込むと寺崎を差し切って優勝。マークの東口が半車身差の2着。逃げた寺崎が1車身半差の3着に残り,4番手の藤田も4分の3車輪差の4着に流れ込んで近畿勢の上位独占。
優勝した大阪の古性優作選手は寛仁親王牌 以来の優勝。記念競輪は昨年7月の福井記念 以来の9勝目。和歌山記念は初優勝。このレースは脚力で古性が最上位。さらにラインが手厚く,番手を狙われる可能性も低そうですし,坂井も山田も逃げるというタイプではないので,相当な確率で優勝するだろうと思っていました。寺崎がかなり後ろの方にいるのに山田がスピードを落としてしまったため,楽にラインで出きることができましたから,その時点で優勝は決まったようなものでしょう。古性は自力も使える上に番手戦も苦にしませんから,怪我でもない限りは今年も大活躍するでしょう。
6月5日,月曜日。内分泌科 の通院の日でした。
病院に到着したのは午後2時15分でした。中央検査室で採血を待っている患者はひとりもいませんでしたので,注射針の処理だけ済ませ,先に採血をしてから採尿をしました。
この日は内分泌科での待ち時間が長く,診察が始まったのは午後3時45分でした。HbA1cは7.3%でした。5月 よりも高くなっていましたが,これは5月に注射量を減少させた影響が出たものでしょう。その措置を採ったのは,低血糖の頻度が多くなっていたからですが,今回は全体の1.9%が低血糖ということで,前回の5.8%からかなり減っていました。低血糖は激減したのに対し,HbA1cは微増にとどまりましたので,このままでいいだろうというのが医師の診断でした。ですから注射するインスリンの量の増減は,この日は行いませんでした。
この日はほかにふたつの異常が出ていました。ひとつはアルブミンで,4.1g/㎗の下限を下回る3.9g/㎗でした。アルブミンの数値が下限値を下回るという異常はこのところ立て続けに出ているものです。もうひとつがP/C比で,これが上限値の150に対して300と上回っていました。P/C比の異常が出たのは,2022年4月の通院 のとき以来です。そのときにもいったかもしれませんが,P/C比がこのように数値で表示されるということは通常はありません。他面からいえば数値が出ているときは異常が出ているときです。通常はNORMALという表示になっていて,これが異常がないことを示します。これ以外に僕の場合は判定不可という表示になっていることもありました。どういう理由なのかは不明ですが,P/C比が判定できないというケースが生じる場合があるのでしょう。
薬局に寄って帰りました。この日はインスリンも注射針も在庫が揃っていました。診察の開始が遅れた関係で,この日は午後4時50分の帰宅になりました。
6月8日,木曜日。総講でお寺に行きました。総講のときはほとんどの場合は住職が来るのですが,この日は不在でした。これは住職が入院中であったためです。6日に手術を受けたばかりでした。
大宮記念の決勝 。並びは太田‐宿口‐平原‐中田‐山田の埼玉,清水‐稲垣の西日本,北津留‐井上の九州。
山田がスタートを取って太田の前受け。6番手に清水,8番手に北津留で周回。残り2周のホームから北津留が上昇開始。ペースを落として誘導との車間を開けた太田にバックで並び掛けました。打鐘から太田が発進。北津留はあっさりと引いて周回中と同じ並びの一列棒状に。そのままバックに戻って宿口が番手から発進。さらに清水が発進するとこのスピードが抜群で,稲垣は離れましたが,平原の牽制もほとんど影響なく,バックのうちに宿口を捲り切りました。平原が清水にスイッチして清水を追いましたが,直線でもやや差が詰まったという程度で清水が優勝。平原が4分の3車身差で2着。引いての捲り追い込みになった北津留が4分の3車輪差の3着で平原マークの中田が4分の3車輪差で4着。
優勝した山口の清水裕友選手は11月の防府記念 以来の優勝で記念競輪10勝目。大宮記念は初優勝。このレースはラインの編成に偏りがあったので,埼玉勢にとっては有利だったのですが,前を回る太田は実績でも脚力でも格下の選手ですから,どれくらい頑張れるのかということが最大の焦点でした。うまく山田がスタートを取っての前受け。北津留は上昇しましたが,抑えようという気があったとは思えないような走行ですぐに引きましたので,展開は埼玉勢に絶好となりました。宿口も清水が来る前に発進したのですから,作戦通りの展開であったと思います。それを清水の脚力が打ち砕いたという結果で,清水が強かったといえるレースだったのではないでしょうか。
着替えてから検査が開始になるまではそれほどの時間を要しませんでした。
MRI検査は僕にとっては初の体験でした。まずストレッチャーに横たわり,身体を固定されます。それから心電図の測定器を装着されました。そしてヘッドフォンを着用します。これはMRI検査のときには大音量を伴うことがあるからです。ヘッドフォンからはヒーリングミュージックが流れていました。検査を担当する技師からの指示もこのヘッドフォンから聞こえるようになっています。ときにそうした指示が入りますので,僕はその指示に従います。検査中は主に三点が僕には伝えられました。ひとつはストレッチャーが動くけれども身体は動かさないようにというものです。それから,息を吸って,吐いて,止めてといったもので,これらの指示にはそのまま従います。もうひとつは次の測定に要する時間で,これは指示というのとは違います。各々の検査に要する時間というものは異なります。短いものだと30秒,長いものは5分ほどでした。なお,測定している間は轟音になりますので,その間は流れているヒーリングミュージックも聴こえないくらいでした。他面からいえば流れているヒーリングミュージックの音量というのはその程度のものであったということです。
測定が終了し,ロッカールームで私服に着替えました。着替えたところで午後3時25分でしたから,僕が病院に到着してから1時間くらいです。検査前および検査後にいくらかの時間がありますから,実際に検査をしていたのは40分前後だったのではないかと思います。
使用済みの注射針を持参していましたので,中央検査室 に寄って注射針の処理 をしました。またこの日は到着時刻が予約時間の直前になっていましたから,保険証確認 を済ませていませんでした。なので保険証確認を済ませてから会計をしました。帰宅したのは午後4時35分でした。
4月13日,木曜日。総講がありましたのでお寺に行きました。
4月14日,金曜日。午前9時40分に,妹のグループホームの担当者であるSさんから電話がありました。これはゴールデンウィーク中の予定の確認のためのものでした。午後は妹を通所施設に迎えに行きました。
12月30日に立川競輪場 で争われたKEIRINグランプリ2023 。並びは新山‐佐藤の北日本,脇本‐古性の近畿,清水‐松浦の中国で真杉と深谷と山口は単騎。
佐藤がスタートを取って新山の前受け。3番手に深谷,4番手に清水,6番手に真杉,7番手に山口,8番手に脇本で周回。このまま残り2周まで動きがなく,新山は誘導との車間を開けて後続の動きを待ちました。バックの手前から脇本が発進。新山も突っ張って打鐘から先行争い。ホームで脇本が叩いて先行。後方になった清水が発進すると,その前に単騎の深谷が発進。清水はいききれなかったので松浦が深谷にスイッチ。脇本は直線の入口まで粘りましたが,捲った深谷が差して先頭に。うまくマークした松浦が深谷を差して優勝。深谷が4分の3車輪差で2着。この両者を追って大外から伸びた真杉が半車輪差で3着。
優勝した広島の松浦悠士選手は7月のサマーナイトフェスティバル 以来の優勝。ビッグはそれ以来の9勝目。グランプリは初優勝。このレースは脇本と古性の近畿勢が最有力でしたが,新山が前受けから突っ張ったために,叩くのにだいぶ脚力を消費してしまったようです。古性は追走でしたが,捲りを止めるだけの余力が残っていなかったのでしょう。このために好位からの捲りになった深谷に展開が向いたのですが,清水がある程度まで動いたので,スムーズにスイッチした松浦に優勝が転がり込みました。深谷にラインがあれば結果はおそらく異なったでしょうから,グランプリを獲得するのにはやはりラインの力も求められるということだと思います。
事前にいわれていたことですが,4月から主治医は異動します。なのでこの日がこのときの主治医による最後の診察 でした。
薬局 に寄って帰りました。インスリン も針も在庫がありました。
3月24日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。午後8時35分にピアノの先生から電話がありました。3月はピアノのレッスンの日が,この週の土曜か日曜のどちらかということで,決定していませんでした。このときの電話で,翌日にレッスンを行うことに決まりました。開始時刻もこの電話で伝えられました。
3月25日,土曜日。妹のピアノのレッスンがありました。午後5時半からでした。
3月27日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
3月31日,金曜日。妹をグループホームに迎えに行きました。昨年度は3月30日が終業で,31日は休みになっていたので,通所施設ではなくグループホームへの迎えになりました。このとき,地域支援担当主任のSさんがいて,ふたつほど話がありました。ひとつは妹の給与の受け取りです。給与の受け取りには印鑑が必要ですが,年度末には給与が支給されるということは分かっていましたので,印鑑を持参していました。なのでスムーズに給与を受け取ることができました。もうひとつは,グループホームの滞在をこれまでもよりも長くしてほしいという依頼でした。これはグループホームの経営の関連です。
グループホームというのは,利用者が365日ずっと滞在していれば,安定して経営できるようになっています。これはそのような制度設計になっていて,利用者の滞在時間に応じて税金による支援があるからです。しかし,利用者がグループホームにいない場合は,それに比例して税金による支援が減額されます。このために,グループホームとしては経営を安定させるために,利用者にはなるべく長くグループホームに滞在していてほしいのです。逆に利用者のグループホームへの滞在時間が短くなると,グループホームは経営難に陥ることになります。この時点でグループホームの経営がどのようになっていたのかは分かりませんが,依頼があったということは経営が厳しかったということなのだろうと思います。
12月28日に立川競輪場 で争われたヤンググランプリ2023 。並びは吉田‐橋本の茨城,太田‐山根の岡山,犬伏‐上野の四国で中野と北井と志田は単騎。
太田がスタートを取って前受け。3番手に志田,4番手に吉田,6番手に北井,7番手に犬伏,最後尾に中野で周回。残り3周のバックから犬伏が上昇を開始。中野が続き,中野の後ろに北井がスイッチしました。残り2周のホームで犬伏が太田を叩くと,3番手に続いていた中野が動いて犬伏を叩いて打鐘。後方の吉田が発進して先頭に。すると犬伏が発進。志田が犬伏の後ろになって上野は志田の後ろに。最終周回のホームで犬伏が吉田を叩いて先行態勢に入りましたが,太田がすぐに追い上げてきて先行争い。これを制したのは太田。そのまま逃げ切った太田が優勝。最終周回のバックでは最後尾になってしまった北井が最終コーナーで内を突いて伸びてきて4分の3車身差で2着。志田に位置を奪われた上野が志田の動きに乗じて外を伸び,タイヤ差で3着。
優勝した岡山の太田海也選手は4月に松山でFⅠを優勝して以来の優勝。グレードレースは初優勝。このレースは太田と北井と犬伏が脚力で上位。展開はあまり関係なく,脚力での決着になるかと思っていましたが,犬伏と太田が先行争いを演じることになったため,叩かれた犬伏が脱落しました。北井が後ろになってしまったのは着差から考えても太田にとっては幸運でしたが,犬伏を叩いて先行しての逃げ切りですから,大きく評価してよいと思います。競技が中心のため競輪への出走は少なくなっていますが,すでに記念競輪であれば優勝候補になるくらいの選手になっていると思います。
『スピノザーナ11号』の検討が終わりましたので,日記に戻ります。『スピノザーナ11号』を読み終えたのは昨年の3月15日でしたので,それ以降の日記です。
3月17日,金曜日。午前10時10分に,支援計画書 を作成してもらっているKさんから電話がありました。グループホーム を訪問する機会に,妹の受給者証をコピーすることの可否を問うものでした。断る理由はありませんから許可しました。このようなやり取りは,実質は形式上のものです。受給者証のコピーを取る場合は,保護者の許可が必要という制度になっているため,Kさんが受給者証のコピーを必要とする機会には,必ずこのような電話が掛かってくることになるのです。
3月19日,日曜日。彼岸会がありましたのでお寺に行きました。
3月20日,月曜日。内分泌科の通院でした。
病院に到着したのは午後2時15分でした。6日に検査のために通院していましたので,この日は保険証の確認の必要はありませんでした。なのですぐに予約票を機械から出して中央検査室へ向かいました。
中央検査室ではだれも採血を待っていませんでした。なので採血をしてから採尿をしました。6日に注射針の処理も済ませてありますから,この日は注射針は持参していませんでした。
診察が始まったのは午後3時40分でした。HbA1cは7.5%でした。数値としては2月 と大して変わっていません。ただ,昼食前と夕食前は低血糖の割合がそれぞれ15%を超えていました。これは多すぎますので,朝食前と昼食前に注射している超速攻型のインスリンであるヒューマログの注射量を,それぞれ0,01㎎ずつ減らすという措置を講じることにしました。この日に出ていたそれ以外の異常はアルブミンで,4.0g/㎗と,下限値の4,1㎎/㎗を下回っていました。この異常は2月に引き続いてのものですが,数値としては改善していたことになります。
6日の検査の結果はすでに出ていたのですが,脚部の動脈硬化の検査の結果が悪かったので,MRIを使っての再検査を要請されました。日程を調整して,この診察の間に検査のための予約を入れてもらいました。
玉野競輪場 で争われた昨日の広島記念の決勝 。並びは野口‐大槻の東日本,皿屋‐浅井‐山内の中部,町田‐山田の西国で佐々木と稲川は単騎。
町田がスタートを取って前受け。3番手に稲川,4番手に佐々木,5番手に皿屋,8番手に野口で周回。残り3周のバックの出口から野口が上昇。町田は誘導との車間を開けて待ち,併走から野口がホームで叩きました。3番手になった町田はバックから発進。野口を叩き返して打鐘。稲川,佐々木も続いたので叩かれた野口は内でバックを踏んで後退。後方になった皿屋が発進すると,町田を捲りました。町田の番手の山田が山内をどかして浅井の後ろにスイッチ。稲川が追い込みをかけましたが,浅井が牽制。開いた皿屋と浅井の間を突いた山田が直線で突き抜けて優勝。浅井が1車身半差で2着。稲川の後ろからイエローラインのやや外を伸びた佐々木が半車身差で3着。
優勝した佐賀の山田庸平選手は3月の松山記念 以来となる記念競輪3勝目を完全優勝で達成しました。広島記念は初優勝。このレースは前受けした町田が野口に叩かれた後ですぐさま巻き返していったのですが,これは僕には意外でした。自身の優勝を狙うのであれば,3番手にいた方がよいように思えたからです。結果的に皿屋にあっさりと捲られてしまったのですが,これは早い段階で脚を使ってしまった影響があったからだと思われます。山田はうまく浅井の後ろにスイッチして,これが優勝に繋がったわけですが,完全優勝しているように,この開催はかなり調子がよかったのでしょう。それで機敏な動きをすることができたのだと思います。
オランダで主流であったプロテスタントのカルヴァン派とスピノザの関係は良好なものではありませんでした。それでも,ローマカトリックとスピノザの関係と比較したときには,まだましだったと考えることができないわけではありません。スピノザは当時はフランスに占領されていたユトレヒトUtrechtを訪問したことはありますが,それを除けばオランダから出たことはありません。それでもローマカトリックと無関係であったわけでもないのです。
確たる資料として残っているのは,書簡六十七 のアルベルトAlbert Burghからスピノザへの書簡と書簡六十七の二 のステノNicola Stenoからの書簡,そして書簡七十六 のスピノザからアルベルトへの返信です。このふたりはローマカトリックの信者で,ともにその立場からスピノザに対する批判を書簡として送ったのでした。このうちステノからの書簡は内容としてまともな面を有していますが,アルベルトからの書簡は誹謗中傷といっていいような罵詈雑言によって構成されています。
ステノはデンマーク出身の地質学者で,オランダにわたってきた人です。たぶんスピノザがレインスブルフ Rijnsburgにいたときに知り合って,その当時の関係は良好でした。この頃のステノはプロテスタントの信者だったのですが,後にカトリックに改宗しています。
アルベルトはたぶんスピノザがユダヤ人共同体を追放され,レインスブルフで生活するようになる前からの知り合いです。その頃のアルベルトはまだ子どもで,スピノザが懇意にしていたのはアルベルトの父であるコンラート・ブルフです。したがってアルベルトは幼少の頃からスピノザを知っていたみるのが妥当です。オランダ産まれのオランダ育ちですから,プロテスタントのカルヴァン派の信者であったのですが,カトリックに改宗しました。先に改宗したのはステノで,アルベルトはステノに誘われてカトリックに改宗したとみるのが妥当です。スピノザはアルベルトへの返信で,改宗したステノについて話し合ったという意味のことを書いていますから,アルベルトがステノを知っていたということは間違いないといえます。
スピノザはアルベルトには返事を送りましたが,ステノには送りませんでした。
昨日の佐世保記念の決勝 。並びは小林‐平原‐鈴木の東日本,伊藤‐久島‐荒井‐井上‐塚本の九州で小川は単騎。
荒井がスタートを取って伊藤の前受け。6番手に小川,7番手に小林で周回。小林は残り3周のホームで早くも上昇開始。バックに入るところで伊藤に並びました。伊藤は引かずに残り2周のホームまで伊藤と小林で併走。誘導が退避するタイミングから両者の先行争いに。うまく小林を外に追いやった伊藤の先行で打鐘。小林がいけないとみた平原が下りてきて荒井の後ろに入り,マークの鈴木も続いて井上はその後ろに。小林は立て直してまた伊藤を叩きにいきましたが,番手の久島の横あたりで一杯に。井上が追い上げて平原の外まで上昇すると,それに合わせて荒井がバックから自力で発進。小林がいたこともあって井上がスムーズに荒井に続き,捲り切ったふたりで直線勝負。自力をを出した荒井が凌いで完全優勝。マークの井上が半車輪差の2着で九州のワンツー。井上が上昇するタイミングで追い掛けた小川が流れ込んで1車身差の3着。
優勝した長崎の荒井崇博選手は7月に佐世保のFⅠを優勝して以来の優勝。GⅢは2021年11月の飛龍賞 以来の17勝目。記念競輪は2019年4月の武雄記念 以来の15勝目。このレースはライン構成にかなり偏りがありましたので,九州勢が圧倒的に有利。小林が思いのほか頑張りましたが,平原が早い段階でスイッチしていたために,荒井は外から被せられる展開になりませんでした。井上が追い上げてきたタイミングで発進したのがよい判断で,これで荒井と井上の優勝争いに持ち込むことができました。荒井と井上はもう大ベテランといっていいような選手ですが,ベテランならではの巧みさが光ったレースでした。
工藤は現代人ですから,死んだイエスが生き返ったということを比喩的に解するとしても,あるいはオルデンブルクHeinrich Ordenburgのいい方に倣えば,その信条を支えとしなくても,キリスト教徒であることができると考えていたとしても不自然ではありません。これは工藤が寄稿の後半部分でいっていること,すなわち,スピノザは隠れキリスト教徒であったということとも関連しますので,まとめて考察していきます。
『神学・政治論Tractatus Theologico-Politicus 』では,キリスト教徒とはだれのことであるのかということが,オルデンブルクがいっているのとはまったく違った観点から主張されています。キリスト教徒とは,何らかの信条によって支えられている人物のことを指すのではないのです。スピノザはそれを,敬虔pietasであるといういい方で示すことになるのですが,これまでにも何度かいってきたように,スピノザがいう敬虔とは,現実的に存在する人間の信条を意味するのではなく,人間の態度とか行動に関連します。したがって,ある人間が敬虔であるか否かを測る尺度というのは,その人間の精神mens humanaの思惟作用であるよりは,その人間の身体humanum corpusの運動motusであるという側面が強くなっています。これは強くなっているというだけであって,それがすべてであるという意味ではありません。スピノザの主張ではある人間の精神というのはその人間の身体の観念 ですから,同一の人間の思惟作用と身体運動の間には,因果関係こそありませんが同一個体ですから,ある人間について敬虔であるという形容が,その人間の身体的運動だけを表現するということはないのです。ただ,スピノザは思惟作用について敬虔というのではなく,身体の運動についてそういうと解しておけば,僕たちには理解しやすいでしょうから,ここでは僕はそのようないい方をします。
スピノザがこのように主張する理由は次のようなものです。これは今回の考察の中でもいっておいたことですが,新約聖書が教えているのは,神Deusを愛することと隣人を愛することのふたつです。このとき,現実的に存在するある人間が,神を愛しまた隣人を愛しているならば,その人は敬虔であるといわれます。これがスピノザがいう敬虔の具体的な意味です。
10日の別府記念の決勝 。並びは守沢‐内藤の東日本,三谷‐浅井の近畿中部,松浦‐佐々木‐渡部の瀬戸内,松本‐大塚の九州。
浅井がスタートを取って三谷の前受け。3番手に松浦,6番手に守沢,8番手に松本で周回。残り3周のバックの出口から松本が上昇していこうとすると,守沢がそれを牽制。先に守沢が動いてホームで三谷を叩きました。これはイン斬りの作戦なので,内藤の後ろを追っていた松本がバックの入口では守沢の前に。3番手に守沢,5番手に三谷,7番手に松浦の一列棒状となって打鐘。このまま松本の先行に。ホームから松浦が動こうとすると先に三谷が発進して松浦はそれに乗る形に。追い上げてきた三谷をバックで守沢が牽制すると,そのまま自力で発進。マークの内藤と前を捲り切りました。大塚がスイッチしようとした動きで接触が発生し,松浦と三谷が落車。内藤が外から守沢を差しにいきましたが届かず,守沢が優勝。マークの内藤が半車身差の2着で東日本ラインのワンツー。大塚が内目から3着に入線しましたが,落車の原因を作ったために失格。4着入線の佐々木が2車身差の3着に繰り上がって確定しました。
優勝した秋田の守沢太志選手は昨年11月の四日市記念 以来の優勝で記念競輪4勝目。別府記念 は2021年の6月に優勝。昨年はありませんでしたので連覇になります。このレースは松浦が佐々木の前を回るということで,展開の予想が難しくなりました。結果的にチャレンジャーの立場だった松本の先行に。その3番手を取ったのが巧みでした。中団から動いてインを斬り,後方の捲りを止めてから自力で発進と,八面六臂の走りでの優勝は見事だったと思います。
こうしたことから分かるように,スピノザの哲学とカトリックの教義が両立するとみた工藤の見解opinioが,正しいかそうでないかを判断するためには,工藤がスピノザの哲学の中に何をみて,カトリックの教義の中に何をみたかということを確定し,それを比較検討していかなければなりません。しかし工藤は,カトリックについて何かを積極的に発言しているわけではないので,こうした比較検討をすることはできないのです。そこでここでは逆に,工藤自身がカトリックの教義がスピノザの哲学と両立するとみていたことに着目して,カトリックの洗礼を受けるに至った工藤が,カトリックの教義のどのような部分に着目していたのかを推測していくことにします。というのは,工藤はスピノザの哲学については多くを語っているわけですから,スピノザの哲学のどのような部分に注目していたか,とくに注目していたのかということはおおよその理解ができます。そうであれば,たぶんカトリックの教義の中にもそれと類似するような部分があって,その部分が工藤に注目され,工藤の受洗に至ったとみるのが自然でしょう。類似するのがどういう部分であるのかまでを特定することは僕にはできませんが,工藤がスピノザの哲学をみるときに,ある特徴があるのは事実ですので,それを明らかにすることによって,特定するためのヒントにはなるでしょう。
『はじめてのスピノザ 』について考察したときに,初心者でない人が入門書を読むということの一般的な意義がどのようなものであるのかということを説明したことがあります。著者の志向というのは,専門的なものよりも入門書の方に表れやすいので,その志向はむしろ入門書の方が理解しやすいということは,そうした意義のひとつです。工藤によるスピノザの入門書は『人と思想 スピノザ 』で,それを利用してもよいのですが,ここではもっと分かりやすくするために,工藤自身の発言の中からそれを示していきます。
『スピノザーナ15号 』には,『スピノザーナ11号 』に掲載された工藤へのインタビューの記録を務めた吉田和弘による,そのまとめが掲載されています。その中からふたつの部分をみていきます。
昨晩の伊東温泉記念の決勝 。並びは吉沢‐武藤の関東,松井‐佐々木‐和田‐五十嵐の南関東,林‐伊藤の九州で渡部は単騎。
松井と武藤でスタートの取り合い。松井が誘導の後ろに入って前受け。松井の後ろに伊藤が続いていたので5番手は林。7番手に渡部で8番手から吉沢の周回に。残り3周のホームから吉沢が上昇開始。バックで松井に並び掛けましたが,松井が突っ張りました。残り2周のホームに入って今度は林が発進。バックから松井と先行争いになりましたが,これも松井が突っ張って打鐘。林が不発になったので伊藤が和田の外に下りてきたのですが,ここは和田が守って伊藤が5番手に。バックに入って吉沢が発進したもののこれは脚が残ってなく,松井には追い付けませんでした。吉沢の捲りがあったので番手の佐々木は外の方から松井を差しにいき,開いた松井と佐々木の間を突き抜けた和田が優勝。松井が4分の3車身差の2着に逃げ粘り,佐々木が1車輪差の3着で南関東の上位独占。
優勝した千葉の和田健太郎選手は9月に京王閣のFⅠを完全優勝して以来の優勝。記念競輪は一昨年12月の佐世保記念 以来の優勝で4勝目。伊東温泉記念は初優勝。この開催は犬伏が途中欠場となってしまったため,松井が断然のシリーズリーダーに。そのラインが4人になりましたから,よほどのことがない限りこのラインから優勝者が出るだろうとみていました。前受けして吉沢,伊藤とそれぞれを突っ張って2着に残ったのですから,松井は確かな力をみせたといえるでしょう。吉沢の2度目のアタックのタイミングから,佐々木の進路が外目になってしまったのは仕方がないと思いますし,あれだけの距離を駆けたのですから松井が逃げ切れなかったのも仕方がないと思います。和田の直線の切れ味が最も強みを発揮する展開になっての優勝といえそうです。
各地に散り散りになったユダヤ人がモーセの律法を遵守することによってユダヤ人であり続けることができたこと,他面からいえばそのことによってユダヤ人の共同体が存続し,ユダヤ民族が他の民族と同化しなかったということはスピノザは認めているのです。そのことを認めた上で,スピノザは律法は人間の法lexであって神Deusの法ではないといっているのです。そして神の法ではなく人間の法だから,ユダヤ人の国家Imperiumが消滅した時点で,この律法は無効になったといっているのです。
ただしこの結論は,論理的に必然的なものであったといえます。というのはスピノザがいうように,律法の有効性が,ユダヤ人がユダヤ人であり続けること,いい換えればユダヤ人がアイデンティティを確立しそれを保持し続けることにのみ有効であったのであれば,それはユダヤ人にとっては意味のあることですが,ユダヤ人でない人には何の意味ももたないことになるからです。もしも律法が神の法であるのなら,その法はユダヤ人にだけ通用するような法であってはならず,万人に通用するような法でなければならないというのが,スピノザにとって神の法と人間の法とを峻別する規準であったのですから,ユダヤ人にとってのみ有効な律法について,それを神の法というのは無理があるからです。実際にウリエル・ダ・コスタ Uriel Da Costaは,ユダヤ教の信者ではあったけれども細かい律法,これはモーセの律法というよりラビたちが決定した生活の諸規則といった方がよいのかもしれませんが,そうした規則というのは必要とはしていなかったのであって,それはスピノザがいうように,律法が人間の法であるということの証明になるであろうと思います。
したがってスピノザは律法が無効であると『神学・政治論 Tractatus Theologico-Politicus 』で主張することになりました。しかしこれは,現実的な意味ももっていた筈です。というのもスピノザはユダヤ人共同体で産まれ育ったわけで,スピノザが自分のことをどのように規定していたのかということは別に,明らかにユダヤ人とみなされるような存在であったからです。つまりこの結論は,スピノザ自身がそういうアイデンティティを必要としていないという宣言とみなせます。
小倉競輪場 で行われた昨晩の第65回競輪祭の決勝 。並びは深谷‐松井‐簗田の南関東,脇本‐南の近畿,太田‐松浦の中国で真杉と北津留は単騎。
松浦と南がスタートを取りにいき,誘導の後ろには松浦が入りました。太田の前受けとなり,3番手に深谷,6番手に真杉,7番手に脇本,最後尾に北津留という周回から,北津留が真杉の後ろに入ろうとしたのですが,脇本が譲らなかったのでまた最後尾に下がりました。残り3周のバックから脇本が徐に上昇。北津留も続きました。脇本は深谷に蓋をしたので深谷が引き,正面に入ると内から北津留が上昇したので,3番手に北津留,4番手に脇本,6番手に深谷,最後尾に真杉という隊列に変化。引いた深谷がそのまま発進。真杉まで続いた4人で太田を叩いて先行となり,打鐘では一列棒状に。ホームに戻って8番手の脇本が発進すると,松浦が牽制。これで脇本は不発となり,太田が発進すると4番手の真杉も発進。さらに松井も番手捲りを敢行しての捲り合戦。先頭で直線に入った松井を外から差した真杉が優勝。松井が半車輪差で2着。コーナーはインを回って直線は真杉の外に出てきた松浦が4分の3車身差で3着。
優勝した栃木の真杉匠選手は前回出走の豊橋のFⅠから連続優勝。グレードレースは8月のオールスター競輪 以来でGⅠ2勝目。このレースは並びから深谷の先行が有力。松井が臆せずに番手から発進できるのかということにやや疑問を感じてはいたのですが,シビアに走りきりました。ですから南関東の作戦は成功したといえ,松井が勝たなければいけなかったレースだったと思います。真杉はこのラインを追走する選択をしたこともよかったですし,現状の脚力では上回っているということでもあるのでしょう。まだ強くなる選手だと思います。
ライプニッツGottfried Wilhelm Leibnizには,神Deusが単に神の自由意志voluntas liberaによって働くagereだけでなく,その自由意志が善bonumに基づいていてほしいという願望があったのではないでしょうか。他面からいえば,神の自由意志によって創造された現にあるこの世界が,最善の世界であってほしいという願望があったのではないでしょうか。そうした願望の表出が,神が善意によって働くということを哲学的論理として示したモナド論にはあるとみることができるのではないかと僕には思えるのです。
なお,こうした願望は,ライプニッツの個人的なものとみることができますが,キリスト教との関係からライプニッツは願望をもつようになったということも可能ではあります。というのは,現にある世界では,その世界のうちに生きている人びとにとって,よいことも起これば悪いことも起こるようになっているからです。これは現にそうであるというほかなくて,このことを理解してもらうためにそれ以上の説明は不要でしょう。
すべてが神の自由意志によって生じるのであると仮定すれば,よいことも神の自由意志によって生じるのだし悪いことも神の自由意志によって生じるといわなければなりません。よってよいことが生じたなら人は神に感謝し,また神を愛するでしょうが,逆に悪いことが起こったなら,人は神に反撥するでしょうし神を憎むようになるでしょう。これは第三部定理四〇系二 や第三部定理四一 で示されているのに類することですが,とくにそうした論理に訴えなくても理解できるところだと思います。したがって,すべてが神の自由意志によって生じるとするなら,人びとは神に反撥しまた神を憎むようになるかもしれないのです。しかしこのことは,キリスト教を布教していくという際には明らかにマイナスに働くでしょう。ここで自由意志によって働くとされている神は,キリスト教が信仰fidesの対象としている神と仮定されているからです。
なので神が自由意志によって働くということ自体を,キリスト教と関連させた上でライプニッツが否定するnegareとしても,それを合理的に説明することはできます。いい換えればその自由意志が善意であってほしいと希望することを説明できるのです。
大垣競輪場 で行われた昨日の施設整備等協賛競輪の決勝 。並びは青野‐山賀‐白戸の南関東,志田‐松村の中部近畿,片岡に阿部大樹,阿部将大‐成松の九州。
阿部将大がスタートを取って前受け。3番手に志田,5番手に青野,8番手に片岡で周回。残り3周のバックの出口から片岡が上昇。残り2周のホームでは阿部大樹の後ろに青野が続きました。誘導が退避するとまず片岡が阿部将大を叩いて先頭に。コーナーから青野が上昇していきバックで片岡を叩いて打鐘。ここから志田が発進。ホームで青野を叩いて先行となったのですが,松村が連携を外したので,番手に青野が嵌りました。バックから青野が番手から発進。そこに後方から阿部将大が捲り上げてきました。直線で青野の番手から踏み込んだ山賀が優勝。青野が4分の3車身差の2着で南関東のワンツー。阿部将大の番手から青野と山賀の間を突いた成松が半車輪差の3着。
優勝した千葉の山賀雅仁選手は2018年9月の青森記念 以来のグレードレース制覇でGⅢ4勝目。このレースは南関東の3人が,神奈川,千葉,神奈川の並びになったので,青野の先行がかなり有力。出走メンバーのうちで逃げて最も結果を残せていたのは青野でしたので,番手の山賀が有利ではないかとみていました。先行したのは志田になりましたが,単騎になってしまったので,大した問題とはなりませんでした。山賀は現状の力量はともかく実績ではこのメンバーでは断然のものがありますから,そういう経験もここでは生きたのではないかと思います。
ライプニッツ はスピノザと文通し,また後に面会したくらいですから,同時代人といっていいでしょう。ですから,ヤコービFriedrich Heinrich Jaobiがスピノザを知っていたということは,ライプニッツのことも知っていたということになります。ただし,ライプニッツによるスピノザに対する批判をヤコービが知っていたかどうかは分かりません。ライプニッツはスピノザの哲学には論理的な欠陥があると主張し,ヤコービはスピノザの哲学は論理的には完璧であると解していたのですから,スピノザの哲学に対する解釈はふたりの間で異なっています。ヤコービはライプニッツのスピノザ批判を知っていて,しかしその批判は的外れであると考えたのかもしれません。あるいはその批判は知らないで,そうした欠陥を発見することができなかったのかもしれませんし,そうした欠陥は存在しないと考えたのかもしれません。ふたりの間で共通しているのは,ふたりの間には神学的観点があったということ,そしてスピノザの哲学を評価していたということだけなのであって,スピノザの哲学に対する解釈は一致していたわけではないのです。
ヤコービとヘーゲルGeorg Wilhelm Friedrich Hegelも同じ時代を生きていたので,同時代人ということは可能です。ただふたりの間には30歳弱の年齢差がありましたので,年長者であるヤコービのスピノザの哲学の解釈に,ヘーゲルの考え方が影響を与えたということは考えにくそうです。一方でヘーゲルの方は,ヤコービのスピノザ解釈のことを知っていて,自身でスピノザの哲学を研究するときに,ヤコービの研究を参考にしたという可能性がないわけではありません。ヤコービもヘーゲルも同じドイツ人ですし,ヤコービのスピノザ研究は優れたものでしたから,ヘーゲルが参考にするに十分に値するものであったとは思います。
ライプニッツやヤコービとは異なり,ヘーゲルは神学的観点に立っていたわけではありません。純粋に自身の哲学的立場からスピノザの反対者,あるいはスピノザの超越者になろうとしたとみるのが妥当です。ですからこの点では,ヘーゲルもまたスピノザの哲学に対する評価は高かったとはいえ,ヤコービやライプニッツと一致していたわけではありません。
12日の四日市記念の決勝 。並びは坂井‐和田の東日本,浅井‐川口の中部,脇本‐南の近畿,小川‐橋本‐栗田の四国。
スタートを取りにいったのは浅井と坂井と小川。小川が誘導の後ろに入って前受け。4番手に浅井,6番手に坂井,8番手に脇本の周回に。それぞれの車間が開くところはあったものの,打鐘周回のホームまで上昇の動きはありませんでした。バックに入って脇本が上昇の構えをみせると坂井がそれを制するように発進して打鐘。ホームで小川を叩いた坂井の先行となり,3番手に小川,6番手に浅井,8番手に脇本という一列棒状に。ホームの出口から脇本が発進しましたが,今度はそれを制して浅井も発進。浅井の外を回らざるを得なくなった脇本は一杯になって不発。自力で前の5人を捲り切った浅井が優勝。坂井マークの和田が浅井と川口の間を突いて半車身差で2着。浅井マークの川口が4分の1車輪差で3着。
優勝した三重の浅井康太選手 は6月の大垣記念 以来の優勝で記念競輪32勝目。GⅢは33勝目。四日市記念は2014年 ,2015年2月 ,2015年8月 ,2018年 と優勝していて5年ぶりの5勝目。今年の4月のベイサイドナイトドリーム も優勝しています。このメンバーでは脚力上位の脇本はこの開催が骨折からの復帰戦。決勝までは無難に勝ち上がってきていたのですが,ここは不発になりました。3日間を走った後でのレースということで,疲労が蓄積していたということもあったでしょうが,まだ決勝では勝てるまでの調子に戻っていなかったということだったのだと思います。浅井は楽な位置ではありませんでしたが,そこから自力で捲り切って勝ったのは,地元開催ということを割り引いても評価できるところで,こちらは復調してきていて,ビッグでも戦える状態に戻っているかもしれません。
メンデルスゾーンMoses Mendelssohnのスピノザの解釈に対して,それは誤りであって,本来はこのように解釈するべきであるという指摘をヤコービFriedrich Heinrich Jaobiがすることがあります。こうした指摘がなされるとき,正しいのはヤコービであって,メンデルスゾーンはスピノザの哲学を誤解しています。こうしたことから理解できるように,スピノザの哲学に対する正しい解釈者はメンデルスゾーンではなくヤコービであるといわなければなりません。こうしたことも,メンデルスゾーンが汎神論論争 に参加したのは,止むを得ない事情があったからで,メンデルスゾーンの本意ではないところがあったと僕に思わせる理由になっています。
ところで,メンデルスゾーンが死んでしまったレッシングGottfried Ephraim Lessingに代わってヤコービに反論するとき,普通はヤコービはレッシングがスピノザ主義者であるといっているけれど,本当はそうではなかったというのではないかと僕は思います。スピノザのことを死んだ犬 と評したレッシングは,そう評したという事実からして,スピノザの哲学に関心を抱いていたというのは事実だと思いますし,実際はヤコービが暴露したようにスピノザ主義者であった可能性もあると僕はみています。しかし表面上は死んだ犬とこき下ろしていたわけですから,もしレッシングが生きていたら,レッシング自身は自分はスピノザ主義者ではないと反論したでしょうし,そのように反論するほかなかったろうと僕は思っています。ところがメンデルスゾーンはそうせずに,たとえレッシングがスピノザ主義者であったとしても,スピノザの哲学は優れた哲学である,少なくとも優れた点を含んでいるというような仕方で,スピノザの哲学を擁護するような方法で反論したのです。
メンデルスゾーンがそのようにした真意は分かりません。もしそこに積極的な理由を探すとするなら,メンデルスゾーン自身のうちにそのような考え方があった,つまりレッシングがそう考えていたのではなく,メンデルスゾーンがスピノザの哲学を好意的に評価していたということになるでしょう。それが実際にどうであったかを確定するために,メンデルスゾーンのスピノザ受容に関する研究は,大きな意義をもつのです。
5日に玉野競輪場 で争われた防府記念の決勝 。並びは高久保‐村上の京都,古性‐稲川の大阪,犬伏‐取鳥‐清水‐松浦の四国中国で中本は単騎。
清水と古性がスタートを取りにいき,清水が誘導の後ろを確保して犬伏の前受け。5番手に古性,7番手に高久保,最後尾に中本で周回。残り3周のバックの出口から高久保が上昇を開始。犬伏が誘導との車間を開けて待ち構えました。高久保は残り2周のホームから犬伏を叩きに出ました。犬伏は当然のように突っ張り,高久保は取鳥の外で併走になって打鐘。この後のコーナーで取鳥が高久保を弾いて高久保は後退。バックに入って取鳥が番手から発進すると古性の捲り。この捲りを清水が牽制し,古性も不発に。返す刀で取鳥を差し切った清水が優勝。取鳥が1車輪差の2着。松浦も8分の1車輪差の3着に続いて中国勢の上位独占。
優勝した山口の清水裕友選手は3月の前橋のFⅠ以来の優勝。記念競輪は昨年の防府記念 以来の9勝目。防府記念は2018年 ,2019年 ,2020年 ,2021年 も制していて,六連覇となる6勝目。このレースはこの並びになった以上は犬伏が先行して取鳥の番手捲りという展開になるのが有力。高久保が思いのほかに抵抗しようとしたのですが,これも近畿の4人が結束せずに京都と大阪で分かれて戦ったので,想定できないものではありませんでした。犬伏が頑張りましたので高久保が早めに一杯になってしまったことで,力量上位の古性の捲りも止めることができました。ここは四国中国勢の結束力が強かったということでしょう。
ここからは僕が汎神論論争 というのをどのようにみているのかを説明していきます。あくまでも僕の見方ですから,実際に汎神論論争がそのようなものであったということを保証することができるものではありません。
汎神論論争の契機となったのは,ヤコービ Friedrich Heinrich JaobiがレッシングGottfried Ephraim Lessingのことをスピノザ主義者であったと暴露したことです。レッシングはスピノザのことを死んだ犬 と非難したのですが,実際にはスピノザ主義者であったとヤコービは暴露したのです。ですがこの暴露は,レッシングの死後に行われたものでした。よってレッシング自身は,ヤコービのこの暴露に対して反論することができませんでした。ヤコービがレッシングの死後にこの暴露を行ったのは,もしかしたらレッシングがすでに反論する機会を失っているということを見越したものであったかもしれません。ただ,もしもレッシングが生きている間にこのような暴露が行われていたとしたら,たぶんレッシングは自身がスピノザ主義者であるということを否定するような反論をしたのではないかと想定されます。実際にレッシングはスピノザのことを批判していたわけですから,そのような仕方で反論する以外の方法をもち得なかったと思われるからです。
レッシング自身は死んでしまっていて反論することができなかったので,レッシングの代理としてヤコービに反論したのが,レッシングの弟子にあたるメンデルスゾーンMoses Mendelssohnでした。このゆえに僕は,メンデルスゾーンが汎神論論争に参戦することになったのは,レッシングの本意であったわけではなく,レッシングの弟子としてレッシングに対する非難に応えるという止むを得ない事情があったから,仕方がなかったのではないかとみているのです。ですから,レッシングがどの程度までスピノザのことを研究していたのかは分かりませんが,メンデルスゾーンの場合はスピノザのことをそれほど深く研究していなかった可能性が残ります。このことは実際にヤコービとメンデルスゾーン の論戦からも想定することができます。ヤコービはスピノザの反対者ですが,間違いなくスピノザのことを深く研究していました。メンデルスゾーンはそれには及びません。
10月31日の京王閣記念の決勝 。並びは新田‐佐藤の福島,藤井‐柴崎の中部,中釜‐東口の近畿,晝田‐香川の瀬戸内で北井は単騎。
少しばかりの牽制となりましたが晝田がスタートを取って前受け。3番手に新田,5番手に中釜,7番手に藤井,最後尾に北井で周回。残り3周のバックから藤井が上昇開始。北井は続かなかったので,中釜が東口の後ろにスイッチ。ホームで藤井が晝田を抑えると,中釜が上昇して藤井の前に。バックから北井が発進。中釜を叩いて先行。新田が北井を追う形になり,ラインの切れ目に差がある縦長の一列棒状に。バックから北井との差を詰めにいった新田がコーナーの出口で北井を捲り,マークの佐藤と直線勝負。差は詰まりましたが凌いだ新田が優勝。佐藤が1車輪差の2着で福島のワンツー。佐藤の後ろにいた中釜が流れ込んで半車身差で3着。
優勝した福島の新田祐大選手 は4月の高知記念 以来の優勝で記念競輪11勝目。京王閣記念は初優勝ですが2015年の日本選手権 を京王閣で優勝しています。ここは力では北井と新田が上位ですが,北井は単騎になりましたので新田が有利でした。北井が単騎でかましていったのは意外でしたが,そのときの位置の関係から追うことができたので,展開も有利に運べました。北井はかますにしてもタイミングがあまりに早かったように思います。ただ,もしも追い掛けてくるのが新田でなかったら,あれだけ早い段階で捲られることはなかったかもしれませんので,作戦として理解できないものではありません。道中の並びがかましていくにはあまりよくなかったということになるでしょう。
簡単ですが,ライプニッツ Gottfried Wilhelm Leibnizに関してはこれまでに何度も言及してありますので,今回はこれだけにしておきます。
『スピノザーナ11号 』はこの後,平尾昌宏の「メンデルスゾーンとスピノザ主義の水脈」,後藤正英の「スピノザ『神学政治論』からメンデルスゾーン『エルサレム』へ」と,メンデルスゾーンMoses Mendelssohnに関連する論文が続いています。スピノザとの関連でメンデルスゾーンが主題になっているものは,僕が知る限りでそう数が多いわけでなく,これらは希少でありかつかなり有益なものであるといえるでしょう。ただし僕はメンデルスゾーンの思想についてはほとんど知るところがないので,メンデルスゾーンについて論考できる力は持ち合わせていません。まず最初に,なぜ事情がそのようになっているのかということを説明しておきます。
メンデルスゾーンがスピノザと関連して探求の対象となるとき,それはいわゆる汎神論論争 との関連を抜きにして考えることができません。ただ,この論争にメンデルスゾーンが参加するとき,それはメンデルスゾーンの本意であったというより,止むを得なかったという側面があるように見受けられるのです。いい換えれば,メンデルスゾーンはある積極的な理由があって汎神論論争に参加したわけでなく,消極的な事情から汎神論論争に参加せざるを得なかったという面があるように思われるのです。しかしこれは僕にそのように見えているというだけであって,実際にはそうでなかったかもしれません。このような意味で,メンデルスゾーン自身がスピノザの哲学をどのように解していたのかという研究は,貴重なものですし,また有益なものとなってきます。仮に汎神論論争に参加したこと自体はメンデルスゾーンにとって本意ではなかったのだとしても,メンデルスゾーンがスピノザの哲学と触れたとき,そこに積極的なものが何もなかったということはあり得ないのであって,その積極性が具体的にどのような事柄であったのかということは,様ざまな角度から検証されるべきことであろうと僕は考えます。つまりこの点では,汎神論論争の当事者としてのメンデルスゾーンという観点だけに注目するべきではないのです。