スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

泗水杯争奪戦&コレギアント派

2015-08-02 19:02:06 | 競輪
 初日の特選が波乱の連続で,どうなってしまうのだろうと思わされた四日市記念の決勝。並びは近藤-小埜の千葉に佐藤-大森の北日本がマークする東日本,柴崎-浅井の三重,村上-中村の近畿で柏野は単騎。
 村上がスタートを取って前受け。3番手に柴崎,5番手に柏野。結果的に柏野は三重追走のレースに。6番手から近藤で周回。残り2周のバックに入ってようやく近藤が発進。一気にかます作戦だったのでしょうが,誘導との間隔を開けて待っていた村上も引けず打鐘から突っ張り先行に。近藤はホームでは浮いて圏外。小埜が柏野の後ろに。柴崎はバックで発進。自力に転じた小埜が浅井の横まで来ていましたが,浅井はうまくどかして柴崎を追走。村上の抵抗はあったものの捲った柴崎を差して浅井が優勝。柴崎が1車身差の2着で地元ワンツー。浅井の後ろからコーナーは内を回り,直線は柴崎の外に出た柏野が4分の1車輪差で3着。
 優勝した三重の浅井康太選手は先月の前橋記念に続いて記念競輪15勝目。四日市記念は施行時期に変更が多いのですが,昨年2月今年2月を連続制覇していて三連覇となる3勝目。このレースは近藤が動くのがあまりに遅すぎました。あそこから動いて前を叩こうというのはさすがに無理で,経験不足だったとしかいいようがありません。村上が打鐘から脚を使っての先行になり,3番手の柴崎には絶好。楽に捲れなかったのは村上の力でしょう。バックで一旦は柴崎を追わないように見えた瞬間があったのですが,小埜を弾いて直線で突き抜けたところをみると,浅井には前の様子を窺う余裕があったようです。

 スピノザのレインスブルフへの移住の直接的な契機となったと思われるコレギアント派は,キリスト教の宗派のひとつです。信者が集って聖書を読み,教えについて語り合うのが主たる信条であったようです。
 大変に大雑把にいうと,カトリックが教会至上主義であるのに対し,プロテスタントは聖書至上主義です。ですからコレギアント派というのはプロテスタントの流れを汲む一派になります。しかしこの当時のオランダで一定の信者を有し,政治的には反動的勢力と緊密に結びついていたプロテスタントのカルヴィニストからすると,コレギアント派は異端的なプロテスタントにほかなりませんでした。カルヴィニストにとって,聖書を解釈するのはあくまでも牧師であり,説教を通して信者に伝えられるのが正統とされる考え方であったからです。コレギアント派というのは,単に教会の権威を否定しただけでなく,牧師の権威も否定していたことになります。プロテスタントを聖書至上主義と解するなら,プロテスタントの中でも最も急進的な信条を有していたのがコレギアント派であると考えてよいと思います。
 ファン・ローンによれば,ライデンのカルヴァン派の牧師たちは,コレギアント派を激しく非難したようです。しかし当局は牧師の訴えを斥け,コレギアント派の信者が独自の意見をもつ権利を守りました。このためにレインスブルフはコレギアント派の拠点となり得たのです。ローンがスピノザのような人物が住むのにレインスブルフは適した場所であると説明しているのも,こういった事情からです。
                     
 一方,スピノザが『神学・政治論』で個人の宗教的信条について述べている主張は,見事にコレギアント派の主張と合致しています。基本的にスピノザは,宗教的には敬虔であるか否かということだけが問題とされるべきであり,その尺度は当人の行動のうちにしかないという考えです。したがって,もしも当人の行動がキリスト教の教えに反していない限り,その人間は敬虔であるとみなされるべきであり,その人間が宗教的にどのような信条を有しているか,つまり聖書をどのように解釈しているかは自由であると考えていたのです。
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