スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

施設整備等協賛競輪飛龍賞&経験則

2021-11-29 19:51:35 | 競輪
 武雄競輪場で争われた昨日の飛龍賞の決勝。並びは坂本‐内藤の北日本,原田‐高原の徳島,荒井に五十嵐,上田‐松岡辰泰‐松岡貴久の熊本。
 坂本がスタートを取って前受け。3番手に荒井,5番手に上田,8番手に原田で周回。残り3周のバックから原田が上昇。このラインに上田が続きました。原田は坂本に並ぶところまでいったのですが,坂本が突っ張りました。原田は引いて五十嵐の後ろに。上田はバックから発進。打鐘で坂本を叩いて先行。坂本はどこにも飛びつけずに4番手。少し離れた6番手に荒井,かなり離れた8番手に原田という縦長の一列棒状に。バックから荒井が発進。最終コーナーで松岡辰泰が番手から発進しましたが,それを乗り越えて荒井が優勝。松岡辰泰が半車身差で2着。荒井マークの五十嵐が半車輪差で3着。
 優勝した佐賀の荒井崇博選手は前回出走の佐世保のFⅠを完全優勝したのに続いての連続優勝。GⅢは一昨年4月の武雄記念以来の16勝目。2008年,2010年,2014年にも武雄では記念競輪を優勝しています。このレースは現状の脚力からは原田が最有力とみていたのですが,位置取りがあまりに悪くなってしまい,まったく勝負になりませんでした。荒井は原田に次ぐ脚力ですから,前とそれほど差がない6番手であれば十分に圏内。地元でしたが熊本勢とは分かれて自力の勝負を選択したのが,結果的に幸いしたといえそうです。

 理論と思考についてはスピノザの哲学と齟齬を来すものではありません。しかし経験は違います。第二部定理四〇備考二でスピノザは経験による認識cognitioについては第一種の認識cognitio primi generisに分類しています。したがって第五部定理二八でいわれているように,それは第三種の認識cognitio tertii generisで人間の精神mens humanaが事物を認識するcognoscereことの基礎とはならないのです。
                                        
 ただし,事前にいっておいたように,近藤が直感の基礎として経験をあげているとき,この経験を,第二部定理四〇備考二でいわれている意味での経験と等置する必要はありません。近藤がこの部分で経験と理論と思考が直感の礎になるといっているとき,これは麻雀の世界,とりわけ麻雀のプロの世界での文脈を考慮しているのであり,そのままスピノザの哲学に照合させて解釈できるわけではないのです。むしろ近藤はこの文脈の中で,たまたまの経験を法則化したものと直感とは異なるといっています。つまり,直感というのは経験則のことを意味するのではないといっているのです。これは単純な経験の蓄積が直感の条件となるのではないという意味であり,それはつまり,第一種の認識は第三種の認識を生み出すことはないというスピノザの主張に合致しているといえるでしょう。基本的に近藤はこの路線の主張をしていると解するべきであるというのが僕の考え方であり,したがってこの点でも近藤の主張はスピノザの哲学の正しさを実証するものであるのです。
 一方では理論と思考と経験が直感の基礎部分であるといい,また他方では経験則の蓄積は直感とは異なると近藤はいっていて,これだけでみると近藤が何か矛盾したことをいっているというように思えるかもしれません。おそらく麻雀の世界のことが分からない場合には,そのように思えてしまう度合が強くなってしまうかもしれません。これは,この文脈で近藤が最も主張したいことがどういうことであるのかということと関係します。実はここで近藤が最もいいたいことは,何が直感の基礎になるのかということではないのです。実際に近藤がいいたいのは,麻雀に関する事柄なので,それについて僕の方から説明します。
 麻雀にはオカルトとデジタルという区分があります。
コメント
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