スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。
10月31日の京王閣記念の決勝 。並びは新田‐佐藤の福島,藤井‐柴崎の中部,中釜‐東口の近畿,晝田‐香川の瀬戸内で北井は単騎。
少しばかりの牽制となりましたが晝田がスタートを取って前受け。3番手に新田,5番手に中釜,7番手に藤井,最後尾に北井で周回。残り3周のバックから藤井が上昇開始。北井は続かなかったので,中釜が東口の後ろにスイッチ。ホームで藤井が晝田を抑えると,中釜が上昇して藤井の前に。バックから北井が発進。中釜を叩いて先行。新田が北井を追う形になり,ラインの切れ目に差がある縦長の一列棒状に。バックから北井との差を詰めにいった新田がコーナーの出口で北井を捲り,マークの佐藤と直線勝負。差は詰まりましたが凌いだ新田が優勝。佐藤が1車輪差の2着で福島のワンツー。佐藤の後ろにいた中釜が流れ込んで半車身差で3着。
優勝した福島の新田祐大選手 は4月の高知記念 以来の優勝で記念競輪11勝目。京王閣記念は初優勝ですが2015年の日本選手権 を京王閣で優勝しています。ここは力では北井と新田が上位ですが,北井は単騎になりましたので新田が有利でした。北井が単騎でかましていったのは意外でしたが,そのときの位置の関係から追うことができたので,展開も有利に運べました。北井はかますにしてもタイミングがあまりに早かったように思います。ただ,もしも追い掛けてくるのが新田でなかったら,あれだけ早い段階で捲られることはなかったかもしれませんので,作戦として理解できないものではありません。道中の並びがかましていくにはあまりよくなかったということになるでしょう。
簡単ですが,ライプニッツ Gottfried Wilhelm Leibnizに関してはこれまでに何度も言及してありますので,今回はこれだけにしておきます。
『スピノザーナ11号 』はこの後,平尾昌宏の「メンデルスゾーンとスピノザ主義の水脈」,後藤正英の「スピノザ『神学政治論』からメンデルスゾーン『エルサレム』へ」と,メンデルスゾーンMoses Mendelssohnに関連する論文が続いています。スピノザとの関連でメンデルスゾーンが主題になっているものは,僕が知る限りでそう数が多いわけでなく,これらは希少でありかつかなり有益なものであるといえるでしょう。ただし僕はメンデルスゾーンの思想についてはほとんど知るところがないので,メンデルスゾーンについて論考できる力は持ち合わせていません。まず最初に,なぜ事情がそのようになっているのかということを説明しておきます。
メンデルスゾーンがスピノザと関連して探求の対象となるとき,それはいわゆる汎神論論争 との関連を抜きにして考えることができません。ただ,この論争にメンデルスゾーンが参加するとき,それはメンデルスゾーンの本意であったというより,止むを得なかったという側面があるように見受けられるのです。いい換えれば,メンデルスゾーンはある積極的な理由があって汎神論論争に参加したわけでなく,消極的な事情から汎神論論争に参加せざるを得なかったという面があるように思われるのです。しかしこれは僕にそのように見えているというだけであって,実際にはそうでなかったかもしれません。このような意味で,メンデルスゾーン自身がスピノザの哲学をどのように解していたのかという研究は,貴重なものですし,また有益なものとなってきます。仮に汎神論論争に参加したこと自体はメンデルスゾーンにとって本意ではなかったのだとしても,メンデルスゾーンがスピノザの哲学と触れたとき,そこに積極的なものが何もなかったということはあり得ないのであって,その積極性が具体的にどのような事柄であったのかということは,様ざまな角度から検証されるべきことであろうと僕は考えます。つまりこの点では,汎神論論争の当事者としてのメンデルスゾーンという観点だけに注目するべきではないのです。
弥彦競輪場 で争われた昨日の第32回寛仁親王牌の決勝 。並びは小松崎‐佐藤‐渡部の福島,古性‐南の大阪,犬伏に諸橋で和田と河端は単騎。
佐藤がスタートを取って小松崎の前受け。5番手に古性,7番手に和田,8番手に犬伏,最後尾に河端で周回。このまま上昇の動きがなく打鐘を迎えました。打鐘後のコーナーから犬伏が発進。諸橋がダッシュについていかれなかったので単騎の捲りに。犬伏は前の隊列から少し離れた外を回ったのでなかなか前に追いつけず,バックに入って古性の横あたりまで来たときに古性が発進して犬伏は不発に。古性が前を捲ると佐藤が古性マークの南を牽制。南が外に浮いたので南を追走していた和田が落車。後ろの動きとは関係なかった古性が優勝。番手を奪った佐藤が1車身半差で2着。佐藤マークの渡部が1車身差で3着。
優勝した大阪の古性優作選手は7月の福井記念 以来の優勝。ビッグは6月の高松宮記念杯 以来の7勝目。寛仁親王牌は初優勝。このレースは脚力では古性が断然というメンバー構成になりましたので,あとは位置取りがどうなるかがポイント。福島ラインの後ろを回り,だれも福島ラインを抑えに来なかったのでそのまま福島ラインが先行するという展開は,このラインの番手の佐藤にとって最高でしたが,このラインを追走していた古性にとっても悪いものではありませんでした。犬伏は自分が勝てるところから発進したということだったのでしょうが,それまでに何も動きがありませんでしたので前に追いつくところまで至りませんでした。これは厳しくいえば,自分の脚を過信しすぎていたということになるでしょうし,作戦負けともいえるでしょう。
現実的にAという人間とBという人間のふたりの人間が存在すると仮定します。このときAの現実的本性 actualis essentiaとBの現実的本性は異なります。このことも第三部定理二 から明らかです。この定理Propositioによれば事物と事物の本性は一対一で対応し合うことになっています。このことは当然ながら事物の現実的本性にも適用されます。したがってAの現実的本性とBの現実的本性が一致するということは,AとBが同一人物であるということを意味しなければなりません。これはAとBというふたりの人間が存在するという前提に反します。したがって,Aの現実的本性とBの現実的本性は異なるのです。
個物res singularisの現実的本性は,自己の有esseに固執します。それは,自己の存在existentiaに固執するperseverareという意味でもありますし,自己の力potentiaに固執するという意味でもあります。本来的にはこのふたつは一致するのですが,引き裂かれてしまった場合は,自己の存在に固執する場合もあるでしょうし自己の力に固執する場合もあるでしょう。したがって,Aは存在に固執し,Bは力に固執するという場合があり得ます。僕が示した実例でいえば,Aは副作用を忍耐して延命治療を受けるけれど,Bは副作用を回避するために延命治療を固辞するという場合があり得るのです。そしてここが重要なことですが,それはAの現実的本性でありBの現実的本性なのです。つまりどちらを選択するとしても第三部定理七 に一致するということになるのです。よって,ホッブズThomas Hobbesは生命を維持するために力を行使することが自然権jus naturaeを行使することだといっていますが,AもBもその力を行使していることになります。つまり,生命を維持するということを,単純に生命を永らえることであると解することはできません。少なくとも存在するということが力の発現であるということを肯定するaffirmare場合には,力を維持するということが生命を維持するということと同じ意味になるので,文字通りに生命を維持するというように解釈することはできないのです。
ここのところはスピノザとホッブズの間で一致するのですが,スピノザはそれを個物の現実的本性とみなすのに対し,ホッブズはそれを自由意志voluntas liberaに帰するので,乖離が生じてきます。
小田原競輪場 で開催された昨日の小田原城下町音頭杯の決勝 。並びは宿口‐河野‐磯田の関東,北井‐大塚の神奈川に大森で柴崎と山本と久田は単騎。
大森がスタートを取って北井の前受け。4番手に宿口,7番手に山本,8番手に柴崎,最後尾に久田で周回。残り3周のバックから北井が誘導との車間を開け始め,残り2周のホームの入口では誘導を斬りました。一列棒状のまま打鐘まで進み北井がそのまま先行。バックに戻って宿口が発進。大塚が牽制しましたがそれを乗り越え,直線で北井を差して優勝。後方から外を捲り追い込んだ山本が半車身差の3着。捲った宿口にスイッチした大森が8分の1車輪差で3着。
優勝した埼玉の宿口陽一選手は昨年の京王閣記念 以来となるGⅢ3勝目。このレースは北井が前受けして,後方からの動きがなかったので単調なレースに。単騎の選手が動けなかったのは,北井がかましを警戒して早い段階から後ろの動きを封じたためではあるのですが,そのために北井はオーバーペースとなってしまい,宿口の捲りを許したというレースになりました。一列棒状となっている間はそれほどペースを上げなくてもかましには対応できる筈なので,北井が負けたのは自滅という印象。4番手を確保できていたことが宿口の勝因になるでしょう。
工藤に対するインタビューに関連する考察はこれで終了とします。
このインタビューの後に掲載されているのは,「ホッブズとスピノザにおける「自然権」」という,伊豆蔵好美による論文です。この論文には「イエレス宛書簡を手がかりとして」という副題がついています。ここでいわれているイエレス Jarig Jellesに宛てた書簡というのは書簡五十 のことです。この書簡の中でスピノザは,ホッブズThomas Hobbesとの間にある国家論の相違について語っています。
ただしこの論文は,僕がみる限り,スピノザの視点からというよりはホッブズの視点から書かれています。要するに,スピノザが示している国家観は,ホッブズからみるとどのようにみえるのかという観点の方が重視されています。実はホッブズは『神学・政治論 Tractatus Theologico-Politicus 』を読んでいて,その読後の感想として,剣の柄までぐっさりとやられてしまったということばを洩らしたとされています。『神学・政治論』に書かれているほど大胆に書く勇気が自分にはないとホッブズは感じたようです。ただこれはその大胆さに驚いたというほどのことであって,必ずしもホッブズがスピノザの国家観に同意したというように解する必要はないでしょう。ただ,ホッブズがスピノザの国家論を全面的に否定するnegareということもまたおそらくないのであって,部分的にスピノザとホッブズの国家観に共通する部分があるのは間違いありません。
先述した書簡五十の冒頭で,スピノザはホッブズとの相違について,スピノザは自然権jus naturaeをそっくりそのまま残しているという意味のことをいっています。これはつまり,ホッブズは国家Imperiumにおいては自然権というのを残していないという意味です。このこと自体は正しいといえます。つまりスピノザは少なくともこの点に関してはホッブズのことを正しく解していたということです。しかしこの相違に関しては,自然権というもの自体をスピノザとホッブズが異なって解釈していたからだと考えることができます。このことがこの論文の冒頭部分で触れられています。僕はホッブズの国家論そのものについて論じることはできませんが,自然権については考えておきたいことがあります。なのでそのことだけは考察します。
久留米競輪場 で開催された昨日の熊本記念の決勝 。並びは新山‐菅田‐永沢の北日本と松岡‐嘉永‐中本‐塚本の熊本で郡司と山田は単騎。
中本がスタートを取って松岡の前受け。5番手に郡司,6番手に新山,最後尾に山田で周回。残り2周のホームに入る手前から新山が上昇。松岡が突っ張ったのでバックで新山は引くことになりました。この間に山田が郡司の後ろにスイッチしたので,新山が7番手まで下がった一列棒状になって打鐘。動きがないままバックに入って嘉永が発進。これで新山は不発。直線は嘉永の番手から出た中本が嘉永を差し切って優勝。嘉永が4分の1車輪差の2着に残り熊本のワンツー。塚本の後ろから外を追い込んだ郡司が4分の1車輪差で3着。
優勝した熊本の中本匠栄選手は2020年の共同通信社杯 を勝っていますが記念競輪は初優勝。このレースは久留米での開催とはいえ地元といえる熊本勢が4人ということで,松岡の先行が有力。分断もなさそうなので最有力候補は番手の嘉永。脚力上位は郡司と新山ですが,ラインが4人なのでそのふたりよりも嘉永の番手の中本が優勝候補の2番手ではないかと考えていました。結果的に僕が考えていたような結果となりましたので,4人でラインを組むことができたということが大きかったといえるでしょう。
同一説を主張するなら,その根拠は『エチカ』そのものの中に見出すことができます。第二部定理七備考 で,延長Extensioの様態modiとその様態の観念ideaは同一物であるとスピノザはいっているからです。延長の様態は,無限様態modus infinitusを除けば物体corpusを意味しますので,物体とその物体の観念は同一物であるとスピノザはいっていることになります。
これは直接的に同一説を主張していると読解できますから,平行論を主張する場合はこれをどう解釈するかが問題となります。そのことについて先に説明しておきましょう。
ここでは物体とその物体の観念が同一物であるといわれています。ただし,物体と物体の観念が実在的にrealiter区別されるということはスピノザは認めています。第三部定理二 は,延長の属性Extensionis attributumと思惟の属性Cogitationis attributumが実在的に区別されるということを前提として証明されているといえるからです。
もしもAとBとが何らかの仕方で区別されるのであれば,それは異なるものであって同一物と考えることはできません。第一部定理五 は,AとBとを区別することができないのであれば,AとBは同一物であるということを前提として証明されています。これは逆に,AとBが区別できるのであれば別のものであるといっているのに等しいといわなければなりません。つまりスピノザはこのことも認めているのです。
これらのことから,物体とその物体の観念は区別することができるので,別のものであるという解釈が成り立つでしょう。これが平行論を主張する場合のこの箇所の解釈になります。つまりここではスピノザは物体とその物体の観念は同一物であるといっているのですが,それは文字通りに同一物ということを意味するのではなく,平行論における同一個体 であるという意味だと解釈するのです。
スピノザはこの直前に,思惟する実体substantiaと延長した実体は同一の実体であるといっています。これは,無限に多くのinfinita属性attributumによって構成される神Deusについてそのようにいわれていると解することができます。ただ,ここで思惟する実体といわれているのは,延長の実体を対象として思惟する実体と解さなければなりません。思惟する実体は無限に多くあるといわなければならないからです。
1日の豊橋記念の決勝 。並びは新山に稲川,川口‐岡本の中部,町田‐松本‐香川の瀬戸内で,山田と荒井は単騎。
松本がスタートを取って町田の前受け。4番手に新山,6番手に荒井,7番手に山田,8番手に川口で周回。残り3周のバックの出口から川口が上昇。ホームに戻って町田が突っ張ったので,川口は4番手の新山の外まで下げました。ここから内が新山‐稲川‐山田,外が川口‐岡本‐荒井で併走となって打鐘。この後のコーナーで新山が単独の4番手を確保しました。ホームを過ぎてから新山が発進。町田との車間を開けて待ち構えていた川口がバックで新山を牽制。新山はスタンド近くまで押圧されてしまい不発。内が開いたのでそこに突っ込んできたのが岡本と香川でしたが,これは戻った松本が封じました。直線で松本はさらに町田を差しにいきましたが,これは届かず,逃げ切った町田の優勝。松本が2着に入線しましたが,新山への走行妨害で失格。松本の外から伸びてきた稲川が1車輪差の2着に繰り上がり,稲川のさらに外から迫った荒井が半車輪差で3着。
優勝した広島の町田太我騎手は6月に取手のFⅠを優勝して以来の優勝。GⅢは2021年6月に国際自転車競技支援競輪 を勝っていますが,記念競輪は初優勝。このレースは新山の脚力が断然上位。対して瀬戸内ラインは二段駆けもあり得るという並びで,作戦で対抗するという図式。松本が町田との車間を大きく開けて,番手から出るのではなく新山を牽制するという形になりました。この牽制が大きすぎたために失格となりましたが,これは松本がどの程度まで牽制をすればよいのかが分かっていなかったということだと思います。町田はそれで恵まれることになりましたが,後味としては悪いレースになってしまったように思います。
第二部定理七 に依拠する限り,平行論 を採用しようと同一説を採用しようと,スピノザの哲学の解釈に大きな間違いを生じさせるものではありません。それでも僕が同一説を斥けて平行論を採用するのは,形而上学的な理由によります。その基礎が第一部公理一 です。この公理 Axiomaでいわれているのは,自然 Naturaのうちに存在するのは実体substantiaあるいは実体の属性attributumであるか,そうでなければ実体の変状substantiae affectioすなわち様態modiのどちらかであるということです。
この公理から,ある事物とほかの事物が区別されるなら,どのように区別されなければならないかということが分かります。すなわち第一部定理四 にあるように,ふたつあるいは複数の事物は実体あるいは同じことですが属性の相違によって区別されるか,様態としての相違によって区別されるかのどちらかでなければなりません。実体ないしは属性と様態だけしか存在しないのですからこれは当然です。このとき,実体あるいは属性の相違によって区別されるのであればその区別 distinguereは実在的区別 といわれ,様態としての差異によって区別されるのであればその区別は様態的区別 といわれるのが基本です。
このことから,第二部定理七でいわれている観念ideaともの,すなわち観念と観念対象ideatumは,実在的に区別されるということになります。観念は思惟の属性Cogitationis attributumの様態であって,観念対象は思惟以外の何らかの属性,たとえば延長の属性Extensionis attributumの様態であるというようにこの定理Propositioでは想定されているからです。このとき,観念と観念対象が区別されるというのは,それらが別のものであるがゆえに区別されるのです。これは,もしも区別することができないのであれば同じものでなければならないということから明白でしょう。よって,観念と観念対象は別のものでなければなりません。別のものであるのにそれを同一であるというのは不条理だと僕は考えます。
観念と観念対象は,原因causaと結果effectusの連結connexioと秩序ordoが一致します。この一致によってそれらは同一個体といわれます。しかし同一個体というのは同一物というのとは異なっているのだと僕は考えます。異なったものは同一個体ではあり得るけれども,同一物ではあり得ないというように僕は考えるからです。
昨日の松阪記念の決勝 。並びは菅田‐新田の北日本,郡司に岩津‐坂本の岡山,浅井‐皿屋の三重,山田‐中村の九州。
スタートを取りにいったのは浅井,新田,山田の3人。一番内だった浅井が誘導の後ろに入って前受け。3番手に菅田,5番手に山田,7番手に郡司で周回。残り3周のバックの出口から郡司が上昇を開始。山田はこのラインに続きました。ホームに入って浅井は自ら引いたので,郡司が誘導の後ろに入ることに。続いていた山田が上昇して誘導が退避するタイミングで郡司を叩き先頭に。後方になっていた菅田が巻き返し,打鐘で山田を叩いて先行。菅田が全力で駆けていったので,新田と山田の車間が開きました。浅井は上昇しようとして岩津の隣まで上がっていたのですが結局は引いて8番手に。バックに入ってから郡司が発進。新田が番手捲りで対応しようとしましたが,すでに菅田が失速していたため,加速がついていた郡司のスピードに抵抗することができず,飛びつくこともできませんでした。郡司ラインの3人で捲り切って直線へ。そのまま郡司が先頭を守り切って優勝。迫ったマークの岩津が半車身差の2着。坂本も4分の3車身差の3着に続いて郡司ラインの上位独占。坂本マークのレースになってしまった浅井が8分の1車輪差で4着。
優勝した神奈川の郡司浩平選手は8月の富山記念 以来の優勝で記念競輪18勝目。松阪記念は初優勝ですが,2019年の共同通信社杯 を当地で勝っています。このレースは菅田が先行するということを郡司が読んでいたような立ち回り。3番手が最高でしたでしょうが,5番手ならば捲ることができるとみていたのでしょう。新田は郡司を待って発進しようとしたのですが,菅田がすでに失速してしまっていたため,結果的に無抵抗のような内容に。菅田が失速しかけたところで郡司を待たずに発進するか,もっと菅田との車間を開けておくかするべきだったのではないでしょうか。浅井は前を回ることを選択したので,場合によっては番手への飛びつきも考えているのではないかと予想していたのですが,こちらは思い描いていたのと異なった展開になってしまったのではないかと思われます。
Yを肯定するaffirmare意志作用volitioがXの真の観念idea veraの起成原因causa efficiensであるということはできるのです。しかしそれは,Yを肯定する人間の,あるいは同じことですがXを真に認識するcognoscere人間の,任意の意志作用ではありません。より正確にいえば,その人間の自由な意志voluntas liberaに依存するものではありません。このことはYを肯定する意志作用がいかにしてこの人間の精神mens humanaのうちに発生するのかをみてみれば,より容易に理解することができるでしょう。
このYを肯定する意志作用をひとつの意志作用としてみれば,これも第二部定理四八 の様式でこの人間の精神のうちに生じるのです。つまりそれはたとえばZを肯定する意志作用を起成原因とするのです。しかしこのZを肯定する意志作用もまたこの定理Propositioの様式に沿って説明されなければなりません。この関係が無限に続いていくことになります。よって,どこまでいってもこの人間の精神の自由意志に辿り着くことはできません。もしもこれを否定するのであれば,この意志作用の起成原因を辿っていけばどこかで第一原因causa primaに到着することができるといわなければなりませんが,これは僕が河井の主張を観念について否定したのと同じ論理によって否定されます。観念と意志作用は同じものなのですから,観念についていわれ得ることは意志作用についても妥当しなければならないからです。
この説明から理解できるように,現実的に存在する人間の意志作用,とくにその人間の自由な意志作用が,真の観念の起成原因であるということはできません。つまり現実的に存在する人間は,ある観念を抽出して,それを任意に真に認識することができるというわけではありません。そしてこの真の観念を有するということが,その人間がその観念を神Deusに帰しているということに該当するのですから,現実的に存在する人間は任意にある観念を神に帰することができるわけではありません。もちろんこれは帰さないということもできないということを意味します。つまり,ある観念を神に帰したり帰さなかったりするということは,現実的に存在する人間の思うままになるというわけではないのです。
一方でこのことは,別の疑問を生じさせることになります。
第39回共同通信社杯の決勝 。並びは渡辺‐深谷の静岡,三谷‐南の近畿,佐々木‐清水‐隅田の瀬戸内で新山と嘉永は単騎。
三谷がスタートを取って前受け。3番手に渡辺,5番手に新山,6番手に佐々木,最後尾に嘉永で周回。残り3周のバックから佐々木が上昇。嘉永も続きました。前まで上がらず渡辺に蓋をしようとすると,渡辺は引きました。これによって3番手に佐々木,6番手に嘉永,7番手に渡辺,最後尾に新山という隊列に。ホームの出口から佐々木が再上昇すると,三谷は突っ張りましたがバックに入って佐々木が叩きました。打鐘から渡辺が発進して佐々木をさらに叩くとこのラインに続いていた新山はこの渡辺の勢いに乗ってそのまま発進。ホームで渡辺を叩いて単騎の先行になりました。嘉永も捲ってきたのですがこれは深谷がブロック。嘉永を止めた深谷は最終コーナー手前から自力で発進。新山と渡辺の車間は開いていたのでどうかと思いましたが,直線であっさりと新山を差すとそのまま突き抜けて優勝。逃げ粘った新山が3車身差で2着。渡辺,南,佐々木,隅田の3着争いになり,大外の隅田が1車身半差で3着。佐々木が半車輪差の4着。渡辺が半車身差の5着で南が微差で6着。
優勝した静岡の深谷知広選手は前回出走の松戸記念 に続いて連続優勝。ビッグは2014年のサマーナイトフェスティバル 以来となる6勝目。共同通信社杯は初勝利。青森では2016年 と2017年 に記念競輪を連覇しています。競輪はラインができた方が有利なのですが,このレースはラインの前を走る選手より単騎のふたりの方が脚力は上なので,予想が難解でした。新山は結果的にいえばかましていくタイミングが早く,もう少し静岡ラインを追ってから発進した方がよかったのかもしれませんが,そうすると嘉永が捲ってきて捲るタイミングを逸するということもあり得ますので,致し方なかったのかもしれません。深谷は嘉永をしっかりと止めてから新山を追っていき,突き抜けていますから内容は文句なし。番手での走りというのに慣れてきたという面もあるように感じました。
第四部定理三七備考一 のこの部分でいスピノザがいいたいのは,神 Deusを認識するcognoscere限りにおける僕たちから生じるすべての欲望cupiditasと行為について,それを一般的にいわれている宗教心religioという語と関係づけるということではありません。そうした欲望および行為の源泉を宗教心というということなのです。したがって,いってみればこれは『エチカ』における宗教心の定義Definitioに類することなのであって,宗教心とは,現実的に存在する人間が神を認識する限りにおいて生じる欲望および行為の十全な原因causa adaequataであるとか,そうした欲望および行為の原因となる能動的な感情affectusであるということなのです。
これでみれば分かるように,スピノザの哲学における宗教心というのは,僕たちが普通に使うような宗教心,あるいは僕たちがもっと慣れ親しんでいることばでいえば,信心といったこととはだいぶ異なったものです。だから本当は,この宗教心という語自体を,もっと適切な日本語に訳し直した方がいいだろうと僕は思っています。ただ,では何が適切な訳語であるのかということは現在の僕には思い浮かびませんし,何よりこのことは現在の考察とはまったく関係がないことですから,ここではこの点についてはこれ以上のことはいいません。それでも,スピノザのいう宗教心というのが,やや特殊な意味を有しているという点については留意しておいてください。
畠中は,この部分でスピノザが何をいいたいのかということについてはよく理解していたので,ここでは宗教心と関係させるとは訳さないで,宗教心に帰するというように,一種の意訳をしたのです。この意訳はとても有意義なことであって,確かに宗教心に帰するといういい方をすることで,スピノザの意図を的確に日本語として表現したといえるでしょう。このようないい方をすることで,これは宗教心の定義に類することなのだということが容易に理解することができるようになっているからです。
河井が指摘しているのは,この部分だけを例外的に関係させるではなく帰すると訳すのではなくて,スピノザがreferreという語を用いているときには,おしなべて帰するという訳を用いるべきだったということです。
立川記念の決勝 。並びは新山‐守沢の北日本,真杉‐森田‐平原‐佐々木‐高橋の関東で北井と犬伏は単騎。
佐々木がスタートを取って真杉の前受け。6番手に新山,8番手に犬伏,9番手に北井で周回。残り3周のバックを過ぎると北井が内から進出。5番手に入ったので6番手に新山,最後尾に犬伏という隊列に変化。ホームから真杉が駆けていくと打鐘から新山が発進。何とか前に迫ろうとしましたが,牽制もあってバックで浮いてしまいました。このタイミングで森田が番手から発進。最後尾から犬伏が追い上げてきましたがこちらもコーナーで一杯。番手捲りを決めた森田が優勝。平原の後ろから佐々木が外を伸びて半車輪差で2着。森田マークの平原が半車身差の3着で関東ラインの上位独占。
優勝した埼玉の森田優弥選手は昨年12月に名古屋でのFⅠを優勝して以来の優勝。記念競輪は初制覇。このレースはラインの構成に偏りがあった上,分断策に出られそうな選手がいなかったため,よほどのことがない限り関東ラインで決まるだろうとみていました。森田の発進のタイミングによって,森田か平原かが決まると思っていたのですが,残り半周くらいまで真杉が頑張りましたので,森田の方が有利になることに。平原が佐々木に差されてしまったのは意外でしたが,これは早い段階からハイペースのレースになったことが影響したのだと思います。
一端が固定しもう一端が運動する直線によって形成される図形という命題は,知性 intellectusが円の真の観念idea veraを有するのに資する命題です。実際にこの命題でいわれていることをなすことによって,それをなした人間が円の形相的本性essentia formalisを正しく認識するcognoscereことがあり得るということは僕は否定しません。だからそのようにして実際に円を描いてみることが,知性が円を正しく認識するために無益であるとはいいません。しかしこの命題が知性が円を正しく認識するのに資するというのと同じ意味で,そうした認識cognitioに資するということはできないのです。これは一般に円を描くことすべてに妥当する事柄ですから,コンパスを用いて正確な円を描いてみる場合も成立します。つまりコンパスを用いて正確な円を描くことは,知性が円の真の観念を有するために無益であるとは僕はいいませんが,そのことに資するともいえないといいます。
さらに,これは方法は問わないのですが,実際に円を描くという行為のうちにはもうひとつの問題点があります。それは,現実的に存在する人間が実際に円を描くなら,描かれたその円によって描いた人間の身体humanum corpusは刺激されるafficiので,この人間の精神mens humanaのうちには描いた円の表象像imagoが発生するという点です。このことは第二部定理一七 から明白であるといえるでしょう。これは円の表象像なのですから,その円の真の観念であるどころか誤った観念idea falsaです。そしてこうしたことが生じるということは,すでにこの人間が円の真の観念を有しているかいないかということと関係ありません。第四部定理一 がいっているのはそういうことだからです。
したがって,どのような方法であれ,現実的に存在する人間が円を実際に描くということは,その人間が円の表象像を有するということには資する行為であるといわなければなりません。いい換えれば,現実的に存在する人間は,何らかの方法で円を描いたなら,そのことによって円の真の観念を有するようになるということは必然的necessariusであるといえないのですが,円の表象像いい換えれば円の誤った観念を有するということは必然的といえるのです。なので実際に円を描くことを,円の真の観念と結びつけることはできません。
向日町記念の決勝 。並びは坂井に和田,北井に佐藤,山田‐村上‐川村の京都,太田に尾形。
尾形がスタートを取って太田の前受け。3番手に坂井,5番手に北井,7番手に山田で周回。残り3周のバックから山田が上昇していくと,ホームの入口から坂井が合わせて出て,ホームは3つのラインが併走。残り2周となって太田を叩いたのは山田。山田が前に出たのを見て後ろで様子を窺っていた北井が外を上昇。バックで山田を叩いて打鐘からの先行になりました。3番手に山田,6番手に坂井,8番手に太田の一列棒状になったのですが,ホームで佐藤と山田の車間が開いてしまい,この時点で前のふたりの争いに。捲ってくる選手はなかったので佐藤はただついていけばいいというだけのレースになったのですが,あまり差を詰めることができず,逃げ切った北井が優勝。マークの佐藤が1車輪差の2着でこのラインのワンツー。差を詰めきれなかった山田を外から差した村上が2車身差で3着。山田が半車輪差で4着。
優勝した神奈川の北井佑季選手は5月の西武園のFⅠを完全優勝して以来の優勝。記念競輪は初制覇。このレースは地元勢が3人いたのですが,山田の先行は考えにくいので北井の先行が有力。自力選手としての脚力では他を上回っていることが歴然としていましたので,このラインでの優勝争いが濃厚とみていました。残り1周半からの先行になった上に,2番手と3番手の差が早々に開いてしまいましたから,他のラインが手も足も出なくなってしまったのは仕方ありません。とはいえ番手の佐藤も振り切っての優勝は立派で,内容は文句なしです。119期ですから新鋭の部類には入るのですが,すでに33歳ですから,ビッグの優勝まで狙うというのなら,ここ数年が正念場になるでしょう。
無限知性 intellectus infinitusのうちではあらゆる観念ideaが神Deusと関係させられます。よって無限知性のうちにある限り,あらゆる観念は真の観念idea veraです。これに対して,観念が限定された知性,たとえば現実的に存在する人間の精神mens humanaのような有限なfinitum知性のうちにあるとみられる限りでは,神と関係させることができる観念もあるのですが,神と関係させることがその知性によっては不可能な観念もあります。したがって,ある観念がたとえば現実的に存在する人間の知性のうちにあるとみられる限りでは,誤った観念idea falsaもあるといわなければなりません。しかしそうした誤った観念も,無限知性のうちにあるとみられる限りでは神と関係させることができるので,その場合は真の観念となるのです。おそらくこうしたことが第二部定理三二 の背後にはあるのであって,これがスピノザがこの定理Propositioに託したことであると僕は解します。いい換えれば,このように河井の主張を修正するということです。
それではその後の河井の主張を追っていきましょう。
河井は次にこのような例をあげています。コンパスを用いて円を描くとしましょう。このとき,もし描く過程でコンパスの中心がずれてしまうと,正確な円を描くことができません。何らかの歪んだ図形が描かれることになります。しかし,コンパスの中心がずれてしまったということは,結果effectusとして歪んだ図形が描かれることの原因causaは構成しています。これはコンパスの中心がずれずに円が描かれたときに,このコンパスの運動motusが描かれた円の原因を構成しているというのと同じことですから明白でしょう。しかしコンパスの中心がずれてしまったのであれば,中心がずれてしまった何らかの原因というのがあった筈です。河井は,そのずれの原因となった視点に立つことによって,歪んだ図形が描かれたことの十全な原因causa adaequataをなすといっています。これは原因,原因の原因というように辿り,反省的で包括的な視点に立つことによって,現実的に存在する人間の精神の能動actio Mentisが語られることになるという主旨のことをいっています。
ここまでの僕の考察から理解してもらえると思いますが,僕はこの部分に関する主張も,全面的には受け入れることはできません。
29日の松戸記念の決勝 。並びは平原‐諸橋の関東,岩本‐和田の千葉,川越‐深谷の南関東に大森,岩谷‐小川の福岡。
大森がスタートを取って川越の前受け。4番手に平原,6番手に岩本,8番手に岩谷で周回。残り3周のホームから岩谷が上昇。バックで川越に接近しましたが,誘導との車間を開けていた川越が突っ張りました。岩谷は引いて周回中と同じ隊列に戻りました。突っ張った川越はホームから全力で駆けていきそのまま打鐘。ホームに戻って岩本が発進。これに対して深谷が番手捲りで応戦。岩本は浮いてしまい不発。平原が動けなかったのでこのままの隊列で直線に戻り,深谷が粘って優勝。マークの大森が半車身差で2着でこのラインのワンツー。大森マークのようなレースになった平原が1車身差で3着。平原マークから直線は内を突いた諸橋が微差で4着。
優勝した静岡の深谷知広選手は先月の伊藤温泉でのFⅠを完全優勝して以来の優勝。記念競輪は大宮記念 以来の19勝目。松戸記念は初優勝ですが,2014年にサマーナイトフェスティバル を勝っています。このレースは南関東の4人が地元とそれ以外に分かれました。なので川越がどういうレースをするのかに注目していたのですが,前受けをして残り2周半から突っ張って先行というレース。番手も自力の深谷だったので,ほかのラインはほぼ何もできないというレースになりました。深谷は自力を使ったのは概ね1周ほどですから,わりと楽な形での優勝になったのではないでしょうか。最初に上昇していった岩谷の動きはやや中途半端だったように感じます。
第二部定理三二 は,僕が示したような,すべての観念ideaは神Deusに関係する限りで十全adaequatumであるということを経由しても証明することができました。ところがスピノザによる証明 は,その手続きを省略しています。それは取りも直さず,スピノザがこの定理Propositioで証明したかったことが,僕が示したこと,すなわち,神に関係する限りで十全な観念idea adaequataは神に関係する限りで真の観念idea veraであるということではなかったからだと僕は考えます。つまり,本来的特徴denominatio intrinsecaからみた場合に十全な観念は,外来的特徴denominatio extrinsecaからみるなら真の観念であるということを,スピノザはこの定理によって示したかったのではなく,神に関係する限りですべての観念は真verumであるということを,直接的に,つまり観念の外来的特徴にも本来的特徴にも依拠せずにスピノザは示したかったのだと僕は考えます。
すると今度は,次のような疑問が浮かんできます。第一部定理一五 によれば,あるものはすべて神のうちにあるQuicquid est, in Deo estのです。したがって,何らかの観念があるというのであれば,その観念は神のうちにあるのだといわなければなりません。そして第一部定理一八 にあるように,神は神に内在するすべてのものの内在的原因causa immanensですから,そうした観念もまた神を内在的原因として存在するといわなければなりません。
僕は河井の主張には受け入れ難い部分があるので,河井が示しているようなこの定理の主旨を修正しようとしています。しかし,河井が見当外れのことを主張していたのかといえば,そういうわけではありません。第二部定理三二が,平行論と関係しているという河井の指摘は正しいものですし,それが平行論を含んでいるということは,そのうちに何らかの因果関係が含まれているという指摘も間違っているわけではないからです。ただその因果関係を,神が観念に対して遠隔原因causa remotaであるかのように主張している点が,僕には受容することができないのです。それが受容できないのは第一部定理二八備考 でスピノザがそれを否定しているからですが,この否定negatioは,この内在的原因の場合にも適用されなければなりません。つまりこの定理でいわれている観念に対して神は,内在的原因であり同時に最近原因causa proximaでもあるのです。
西武園競輪場 で争われた昨晩の第66回オールスター競輪の決勝 。並びは吉田‐真杉‐平原‐武藤の関東,清水‐山田の西国,犬伏‐松本の四国で古性は単騎。
平原がスタートを取って吉田の前受け。5番手に古性,6番手に清水,8番手に犬伏で周回。残り2周のホームの入口から犬伏が上昇していくと,吉田が早めに誘導を追い抜いて突っ張りました。犬伏は引かざるを得なくなり,周回中と同じ一列棒状で打鐘。ホームから清水が捲り上げていくと真杉が早くも番手捲りを敢行。清水は平原の外を併走することになりました。この競り合いが直線まで続いたため,ふたりとも真杉を抜きにいくことができず,そのまま真杉が差を広げて優勝。競り合いに決着がつかなかったので,直線の手前で武藤を外に弾き,平原と清水の外から伸びた古性が3車身差で2着。古性に弾かれましたが立て直してさらに外から伸びた武藤も競り合う両者を差して4分の3車身差で3着。
優勝した栃木の真杉匠選手は先月の静岡のFⅠ以来の優勝。グレードレースは5月の宇都宮記念 以来の優勝でビッグは初制覇。このレースは残り2周を前に吉田が発進し,そのまま残り1周から真杉が番手発進。すぐ後ろが競り合いになり,この競り合いに決着がつかなかったため,真杉にはもってこいの展開になりました。関東勢の結束が導いた優勝といえるでしょう。吉田は規則に反する走行で誘導を追い抜いて先行したため失格になりましたが,僕はこれはいただけないと思います。犬伏も吉田が規則は守るという前提で叩きにいっているのですから,規則違反を覚悟で突っ張られてはレースにならないでしょう。
スピノザがユークリッド原論第3巻命題35を念頭に置いて,第二部定理八備考 を記述していることは明白です。そしてこれは読者にとって有益でまた重要な情報といえます。しかし岩波文庫版の『エチカ』では,このことについて何も触れられていません。畠中はいくつかの訳注を付していますし,また本文の中にも自分自身で語句を補ったりしているのですが,この箇所では何も触れていないのです。たぶんこれには次のような理由があります。
岩波文庫版の『エチカ』のカール・ゲプハルト Carl Gebhardtが編集した,いわゆるゲプハルト版を元のテクストとして,それを邦訳しています。このゲプハルト版にはこの点に関する言及はありません。さらに,ゲプハルト版にも図が示されているようなのですが,その図ではスピノザが示している線分Dと線分Eが直交しているようです。つまりそれは岩波文庫版の図に一致しています。つまりこの部分を邦訳するにあたって,畠中はゲプハルト版に完全に依拠したのだと考えられます。
さらにもう一点,河井は次のことをいっています。
畠中の訳では,相互に等しい無限に多くのinfinita矩形が含まれている,となっています。しかしこの部分の原文からすると,無限に多くの相互に等しい矩形が含まれているとすべきだとのことです。これは原文に忠実に訳するか否かだけのことであるように僕には思えるのですが,河井にとってはそうでなく,原文に忠実な訳,つまり畠中の訳より河井の訳の方が,いらぬ誤解を招かないと主張しています。スピノザが参照しているユークリッド原論からは,矩形が等しくなる,これは面積が等しくなるという意味ですが,そのようにさせているのは矩形ではなく円であるのだから,無限に多くの相互に等しい矩形が円の中に含まれるというべきであって,相互に等しい無限に多くの矩形が含まれるというと円の中の,無限に多くの矩形のうちに相互に等しいものがあると解されるおそれがあるというのが,河井がいっていることの主旨と思われます。僕はそこまでこのことにこだわる必要があるのかいささか疑問に感じるのですが,もしも誤解を招きかねないのであれば,修正した方がよいのは確かでしょう。
京王閣競輪場 で争われた昨晩の大阪・関西万博協賛名輪会カップの決勝 。並びは鈴木‐河村の東京,窓場-松岡の近畿,河端‐久保田‐田尾‐室井の中四国で大坪は単騎。
鈴木と窓場がスタートを取りにいき,内の鈴木が誘導の後ろに入って前受け。3番手に窓場,5番手に大坪,6番手に河端で周回。残り3周のホームの入口から河端が上昇開始。それに合わせて窓場も動き,まず窓場が鈴木を叩きました。河端はバックに入ってから外を進出。窓場を叩きましたが,その間に鈴木がインを進出。室井が追走を阻まれ,4番手に鈴木,6番手に室井,7番手に窓場,最後尾に大坪という一列棒状になって打鐘からホームへ。バックに入って窓場が捲りにいきましたが,これを鈴木が阻止して直線に。番手から久保田が踏み込みましたが久保田マークの田尾がその外をさらに伸びて優勝。久保田が4分の3車輪差で2着。窓場を阻止した鈴木は返す刀で外から踏んでいきましたが届かず半車身差で3着。
優勝した高知の田尾駿介選手はGⅢ初優勝。というかS級ではこれが初優勝でした。このレースは4人のラインができた河端が先行。鈴木が河端よりも窓場を意識したようなレースになったために,捲りが来ませんでした。ただ河端はどちらかといえばスプリンターで,捲りが届かなかったのはそのためでもありますが,駆けたタイミングからゴールまでは保ちませんでした。このために番手の久保田よりも3番手の田尾の方が有利になったということだったのではないでしょうか。
それでは『スピノザーナ11号 』の中から,僕の関心を惹いた部分,僕が気になった部分,あるいは僕にとって有益であった部分について,それぞれ紹介し,それについて僕自身の考察も加えていきます。
「畠中尚志『エチカ』の訳業」の中で,第二部定理八備考 について触れられています。これは個物 res singularisの形相的本性essentia formalisと現実的本性actualis essentiaの関係を,円の内部でふたつの直線が交わる点で分割される線分によって形成される矩形の面積が,相互に等しくなる例によって説明している部分です。ただしここでは,この説明によってスピノザが主に何を意味しようとしているのかということはあまり関係ありません。むしろこの説明の背景にあるものが何であるのかということについて河井は敷衍しています。
『エチカ』の岩波文庫版では,この説明の部分に図が掲載されています。ここではふたつの線分がDとEで表されています。この表記はスピノザが備考Scholiumで示している表記に準じたものですから,とくに意味があるわけではありません。スピノザの説明では,もし円の中にEとDの線分によって形成される矩形だけが現実的に存在すると仮定するなら,この矩形の観念ideaも円の観念の中に包容されている限りにおいて存在するだけでなく,それらの矩形の現実的な存在existentiaを含む限りでも存在するようになり,そのように現実的に存在するようになることによって,ほかの矩形の観念と区別されるようになるというようになっています。つまりここではスピノザは,単に個物の観念の現実的存在について語っているわけでなく,個物の観念がほかの個物の観念と様態的にmodaliter区別されるようになる条件についても語っているのです。
岩波文庫版に掲載されている図は,このふたつの線分,つまり線分Dと線分Eが,円の中で直交しています。つまり線分Dと線分Eが垂直に交わっています。しかし実際にはこれらふたつの線分は,交わればよいのであって,直交する必要はありません。円の中で交わる直線の線分によって形成される矩形の面積が等しくなるためには,それが直線であれば十分であり,直交する必要はないからです。このゆえに無限に多くのinfinita相互に等しい矩形が円内に含まれるのです。
和歌山競輪場 で争われた大阪・関西万博協賛競輪の決勝 。並びは阿部‐竹山の宮城,小林‐金子‐芦沢の関東,岡崎‐古賀の近畿,立部‐中村の九州。
スタートは取り合い。最後まで争ったのは金子と古賀。内の金子が誘導の後ろに入り小林の前受けに。4番手に岡崎,6番手に阿部,8番手に立部で周回。残り3周のバックを出てから立部が上昇を開始。ホームに入ってからスピードアップし,バックへ向かうコーナーで小林を叩きました。バックに入るとこのラインを追っていた岡崎が巻き返していき,このラインに阿部も続いて打鐘。このときに先頭の岡崎が自転車を外に振ったのでマークの古賀も外に。がら空きになったインを立部が突いて岡崎の番手に入りました。古賀は外から番手を取り返しにいき,阿部は中村の後ろに下りました。番手戦はバックに入るところで立部が奪い,そこへ小林の捲り。これに対応するように立部が発進。小林マークの金子も最終コーナーでは小林の外に自転車を出していって,直線の入口では岡崎,立部,小林,金子の4人が雁行。直線は外の金子が突き抜けて優勝。前のふたりを捲った小林,直線で小林と金子の間を割った阿部,金子マークから大外を伸びた芦沢の3人で2着争い。接戦となりましたが,2車身差の2着は阿部。芦沢が8分の1車輪差の3着で小林は4分の1車輪差の4着。
優勝した栃木の金子幸央選手はGⅢ初優勝。このレースは今年に入ってからS級を優勝した選手が不在という,GⅢの決勝とは思えないようなメンバー構成。ですから展開が占めるウェートが高くなるだろうと思っていました。僕が考えていたのは立部が先行し,自力選手ではない阿部が3番手に続くというもので,その場合には5番手を小林と岡崎のどちらが取るのかということと,番手の中村と3番手の阿部が捲ってきた選手を相手にどのような対応をするのかということが焦点でした。実際は僕の見込みとは違ったものに。立部は展開的には有利だったと思いますが,併走の経験も番手から抜きにいくという経験もそれほど多くはなかったでしょうから,一杯になってしまったのは止むを得ないような気がします。小林マークだった金子は早めに踏む構えをみせ,自分で勝ちにいく競走をしたといえ,その貪欲さが優勝に繋がりました。このメンバーの中で強豪選手とのレース経験が多いのは金子ですから,その部分も生きたような気がします。
3月8日,水曜日。総講の日でしたのでお寺に行きました。ただこの日の総講には住職は来ませんでした。これは本山で会合があったためです。本門仏立宗の本山というのは京都にあります。
3月10日,金曜日。妹を通所施設に迎えに行きました。
3月13日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
3月15日,水曜日。この日に1冊の本を読了しました。『スピノザーナ11号』です。
『スピノザーナ 』はすでに15号 と10号 を読んでいますから,3冊目になります。これは2011年4月22日に発行されたものです。ざっと内容を紹介しておきましょう。
巻頭言は河井徳治による「畠中尚志『エチカ』の訳業」です。
この後に工藤喜作の訃報が報じられています。さらにこの関連で「工藤喜作氏に聞く」という工藤へのインタビューが掲載されています。インタビュアーは桜井直文と高木久夫で,吉田和弘が記録者になっています。
この後は論文が5本掲載されています。順に,伊豆蔵好美の「ホッブズとスピノザにおける「自然権」」,松田毅による「ライプニッツはスピノザをどう読んだか」,平尾昌宏の「スピノザ『神学・政治論』からメンデルスゾーン『エルサレム』へ」,合田正人による「欲望の倫理」です。これらの論文にはそれぞれ副題があるのですが,それはここでは割愛します。
ここからは工藤喜作関連のエッセイが2本です。ひとつ目が齋藤博の「工藤さんを悼んで」でもうひとつは巻頭言も担当している河井徳治による「工藤喜作先生を偲んで」です。
その後に2本の書評があります。1冊目は福岡安都子の『国家・教会・自由-スピノザとホッブズの旧約テクスト解釈を巡る対抗』で,書評を担当しているのは吉田量彦です。もう1冊は福居純の『スピノザ「共通概念」試論 』です。この書評を担当しているのは藤井千佳世です。この本は僕も読んでいて,内容は紹介していますから,それも参考にしてください。
実質的な内容はこれで終了です。最後に教会事務局からのお知らせが掲載されています。協会の規約,文献のオンラインネットワークの案内,2009年度と2010年度の講演および研究会の一覧と,同期間内の主要記事です。
富山記念の決勝 。並びは真杉‐恩田の関東,北井‐郡司の神奈川に佐藤,松浦‐柏野‐小倉の中四国で浅井は単騎。
スタートを取りにいったのは浅井と郡司と恩田の3人。一番内の浅井は単騎ということもあり,郡司に譲って郡司が誘導の後ろを確保し北井の前受けに。4番手に浅井,5番手に真杉,7番手に松浦の周回になりました。残り3周のバックに入るところで松浦が恩田との車間を開けると,そのタイミングから真杉が上昇。北井は突っ張ったので,ここからホームに掛けて先行争い。制したのは北井で,真杉はバックで浮いてしまって打鐘。北井ラインに続いた浅井の後ろに松浦が入りました。そのままホームから松浦が発進。ただ佐藤,郡司と立て続けに牽制を受けてバックでは失速。後ろから来る選手がいなくなったので,郡司は直線まで待ってから踏み,余裕綽々に抜け出して優勝。逃げた北井が1車身差の2着に残って神奈川のワンツー。このライン追走から直線の手前で佐藤のインに進路を取り,北井と郡司の間を突いた浅井が8分の1車輪差で3着。直線で柏野が落車しています。
優勝した神奈川の郡司浩平選手は4月の小田原記念 以来の優勝で記念競輪17勝目。富山記念は初優勝。このレースも小松島記念に続いて郡司と松浦が決勝に進出。ただここは郡司には北井という強い味方がいた上,後ろも佐藤が固めることになり,圧倒的に有利でした。さすがにこのように並ばれてしまってはほかの選手たちは厳しかったろうと思います。庇ってもらったところがあったとはいえ,早い段階から真杉を突っ張って2着に残った北井は強い内容で,記念競輪の優勝も近いかもしれません。
2月20日,月曜日。妹を通所施設に送りました。妹の担当の職員に妹の眼鏡のことを尋ねられましたので,事情を教え,もう少し予備の眼鏡で過ごすことになったと伝えました。
2月24日,金曜日。妹を通所施設へ迎えに行きました。そのままО眼科 に赴き,目薬 の処方箋を出してもらい,薬局 で処方してもらいました。
2月25日,土曜日。妹の眼鏡の引き取りのために眼鏡市場に行きました。引き取った眼鏡を妹はそのまま掛けましたので,予備の眼鏡での生活はここまでになりました。この眼鏡市場が入っているビルの中にはサイゼリヤがあります。妹は以前はガイドヘルパーを利用してカラオケに行くことがありましたが,そのときにはよくここのサイゼリヤで昼食を摂っていました。ということでこの日はそこで食事をしてから帰りました。といっても,僕たちは少し遅い時間を選んで行きましたから,この食事というのは夕食です。眼鏡市場もサイゼリヤも同じ建物の2階にあったのですが,妹はサイゼリヤがある場所は覚えていたようで,そこまで僕を案内することができました。
帰宅後,午後8時5分にピアノの先生から電話がありました。翌日のピアノのレッスンの開始時刻の通知でしたが,開始時刻の変更はありませんでした。
2月26日,日曜日。妹のピアノのレッスンがありました。午後5時半の開始です。
2月27日,月曜日。妹を通所施設に送りました。
2月28日,火曜日。隣家の建築工事が開始されるときに担当者が訪ねてきて,下水管が詰まっているのではないかという話をされたといいましたが,この日に僕の家の排水に問題が生じました。僕の家にはトイレがふたつありますが,そのうち1階のトイレの水が流れなくなってしまったのです。外に出て確認してみると,そのトイレの排水のある下水槽から水が溢れ出てしまっているようでした。僕の家の排水でこの枡に流れるのは1階のトイレの水だけで,それ以外の排水には何の問題もありませんでしたが,洗浄は必要です。ということでネットで横浜市が指定する修理業者を調べて,みてもらうことにしました。依頼したのは午前中で,業者は午後6時に来てくれました。
名古屋記念の決勝 。並びは新田‐守沢の北日本,渡辺‐武藤の東日本,取鳥‐桑原の山陽で,山口と南と伊藤は単騎。
桑原が前に出ましたが,外から新田が勢いよく追い抜いていって前受け。3番手に伊藤が上がってきて,4番手に取鳥,6番手に渡辺,8番手に山口,最後尾に南という周回に。残り3周のバックの出口から山口が内に進路を取って進出の構え。内に来られた渡辺がホームに入ると動いていき,新田を叩きました。この時点では3番手に新田,5番手に伊藤,6番手に取鳥,8番手に山口,最後尾に南で,やや車間の開いたところはありましたが一列棒状。バックに入って取鳥が発進して打鐘。渡辺は応戦しようとしましたが明らかに踏み遅れた感があり,ホームで叩いた取鳥の先行に。このラインを追うような形になった山口がバックから発進。最終コーナーを前に取鳥を捲り,そのまま抜け出して快勝。直線は後ろで守沢が落車するアクシデントがあったこともあり,逃げた取鳥が3車身差の2着。取鳥マークの桑原が4分の3車輪差で3着。
優勝した岐阜の山口拳矢選手は前々回出走の向日町のFⅠ以来の優勝。グレードレースは日本選手権 以来,GⅢは2月の伊東温泉での施設整備等協賛競輪 以来で2勝目。記念競輪は初優勝。このレースは脚力から新田と山口の優勝争いになるだろうとみていました。新田は山口より後ろの位置になり不発に終わりましたが,前受けをするのに脚を使ったことが多少の影響を与えたかもしれません。その意味では山口に捲られて2着と3着になりましたが,山陽のふたりが前を取りにいく構えをみせたのが,いい作戦だったといえそうです。山口は単騎で好結果を出すことが多い選手ですが,単騎でこれだけ走れるということは,本当はラインができればもっと強い筈だと思います。
12月28日,水曜日。妹を通所施設へ迎えに行きました。この日はそのままО眼科 に行って診察を受ける予定でした。ただそのために必要な保険証およびおくすり手帳 を,妹が持参していませんでした。目薬 の在庫にはまだ余裕がありましたので,診察は中止にしてそのまま帰宅しました。なお,この日に妹を迎えに行ったのは,翌日から妹が年末年始の休みに入るからです。つまり妹は年末年始は家で過ごしました。
12月30日,金曜日。後期の三者面談のお知らせが郵送されてきました。前期と同様に,対面形式か書面形式のどちらかを選択できるようになっていました。
1月1日,日曜日。三者面談のお知らせはこの日に郵送しました。書面形式を希望しました。どちらでもよいのであれば,グループホームまで出向かなくてよい分だけ,僕にとっては書面形式の方が楽だからです。
1月4日,水曜日。妹はこの日が今年の初の出勤日でしたので,通所施設へ送りました。
帰宅後,午後1時15分に,Gという友人から電話がありました。高校のときの同級生で,2年生と3年生のときに同じクラスでした。その当時から仲が良かったのですが,Gと僕はそのまま同じ大学の同じ学部に進学しましたので,学生時代もよく遊んでいました。Gは現在は京都に住んでいるのですが,実家に帰省しているので会わないかという誘いでした。Gの実家は品川区,駅でいえば大崎駅の近くで,僕も何度か行ったことがあります。ただ,会うことができるのはこの日か翌日のどちらかだということで,さすがに予定を作ることができなかったので,会うことは断念せざるを得ませんでした。年賀状のやり取りはしていますが,電話で話すのは久しぶりでしたから,それができただけでもよかったというほかありません。
1月6日,金曜日。О眼科に眼科検診に行きました。右目は視神経に変化があるけれども,これが緑内障によるものか近視の影響なのかは不明とのことでした。眼圧は14で,これはさほど高くありません。なのでまだ治療には入らず,経過を観察することになりました。網膜症は異常がありませんでした。I歯科にも寄って,予約を入れました。この日から診察券が新しくなりました。