スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

よさこい賞争覇戦&レベルの差

2023-04-11 19:33:56 | 競輪
 9日の高知記念の決勝。並びは新田に荒井,平原に松川,町田‐松浦‐才迫の広島,犬伏‐宗崎の四国。
 平原がスタートを取って前受け。3番手に新田,5番手に犬伏,7番手に町田で周回。残り2周のホームから町田が上昇。しばらくは犬伏の外で併走。打鐘を迎えてから前を押さえにいきました。平原は3番手に入ろうとする動きをみせましたが,才迫が位置を守り,平原が4番手となってホーム。今度は犬伏が発進。犬伏のかまし先行になったのですが,宗崎が連結を外してしまったために,町田が犬伏の番手に嵌りました。町田は最終コーナーから発進。バックから車間を開けていた松浦もそこから踏み出しました。しかし後方からの捲り追い込みになった新田が直線で外からふたりを差し切って優勝。松浦が4分の3車輪差で2着。町田が1車輪差の3着で新田マークの荒井が4分の1車輪差で4着。
 優勝した福島の新田祐大選手は立川記念を完全優勝して以来の優勝で記念競輪10勝目。高知記念は初優勝。このレースは普段は連携することの方が多い広島勢と四国勢が別ラインで戦い,残りのふたつが即席のラインということで,脚力それ自体が結果に占める比重が大きくなるだろうと予想していました。そうなると優勝候補は松浦と新田。展開は松浦に向いたといえますが,松浦が予期していたよりも新田のスピードが上回ったようで,最後は新田に軍配が上がるというレースでした。松浦は新田よりも平原の方を気にしていたのかもしれません。宗崎が犬伏に続くことができていれば,また違ったレースになったように思います。

 もしあのティラノサウルスとかこのティラノサウルスという形で知性intellectusがそれを概念するconcipereことができるとすれば,その観念ideaはティラノサウルス一般の観念,あるいはそうしたものがあったとしてティラノサウルスの共通概念notiones communesよりさらに明瞭判然とした観念であることになります。そしてティラノサウルスの観念として,これ以上に明瞭判然とした観念はないといえます。したがって,知性がティラノサウルスを知るためには,このティラノサウルスとかあのティラノサウルスといわれるような,個々のティラノサウルスを十全に認識していくのが最もよい方法であることになります。
 この場合のティラノサウルスというのは一例であって,事物は具体的に認識されるほどより明瞭判然となっていく以上,これはあらゆる事物の認識cognitioについて妥当します。したがって,人間のことを知るためには,人間に共通の本性essentiaを知るよりも,あの人間この人間といわれるような諸個人を十全に知っていく方がよいということになります。このとき,あのティラノサウルスとティラノサウルス一般の認識のレベルには,これは共通概念の一般性のレベルの差とは異なったレベルといわなければなりませんが,一般性のレベルに差があるということは明白だといえます。同様に,ある特定の人間の認識と人間に共通の本性の認識とでは,一般性のレベルに差があるといわなければなりません。しかしその双方のレベルの差が同じだけのレベルの差であるのかといえば,僕はそうであるとは考えないのです。つまり,ティラノサウルス一般とこのティラノサウルスの間にある一般性のレベルの差と,人間一般とあの人間との間にある一般性のレベルの差は,異なると僕は考えています。そしてその差は,人間一般とある人間の間の一般性のレベルの方が大きくなると僕は考えているのです。
                                   
 第二部定義七により,個物res singularesというのは多数の個体が協同して構成される場合があります。この多数というのは当然ながら決まった数を意味しません。よって,より多くの個体が協同することによって構成されている個物ほど,より複雑な個物であることになります。そして僕の考えでは,この個物の複雑さの度合が,一般性のレベルの差に比例します。
コメント
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