スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

王座戦&汎神論論争

2017-10-12 19:12:22 | 将棋
 横浜で指された昨日の第65期王座戦五番勝負第四局。
 羽生善治王座の先手で角換り。後手の中村太地六段は早繰り銀を選択し,先手が腰掛銀で応戦。この対抗は腰掛銀が有利という定説なので,後手には周到な準備があったものと推測されます。早繰り銀という戦法の特色から早い段階で戦いに。
                                     
 8筋で銀の交換があり,先手が歩を打って成り込みを防いだのに対して後手が7筋に金取りと回り,先手が再び受けた局面。ここで後手は☖5六飛☗同歩☖4八桂成☗同王☖4六銀と踏み込みました。
 先手は☗3四桂と王手して☖5一玉。この局面は単に詰めろを受けても後手から☖8四角と打つ手があるので,それを防ぐ意味でも☗9五角とか☗8四角と王手をしておく手もあったかと思います。それならあるいは別の展開になった可能性もあるでしょう。しかし☗6八金と自陣の駒を使って受けました。
 後手は☖8四角とやりたかったそうですが熟慮して☖7一歩と受けました。これは好手だったのではないかと思われます。
 先手はここで☗9五角と打ったものの☖7三銀と受けられ☗8二銀のときに☖9四歩と強く催促されることに。☗7一銀成は詰めろですが☖4一玉と逃げられ,めぼしい手段が尽きてしまいました。
                                     
 強く踏み込んだ上でうまく受けたという点で,後手の会心譜ではないかと思います。こういう将棋でタイトルを獲得できたのは結果だけでなく内容的にも大きいのではないでしょうか。
 3勝1敗で中村六段が王座を奪取し七段昇段。これが初のタイトル獲得です。

 『ゲーテとスピノザ主義』の中で僕が説明が不足しているのではないかと感じた具体的箇所と,それに関する僕の考え方を説明する前に,ひとつだけ本の内容とは関わらないけれど,このブログとの関係で影響を及ぼしそうな事柄について述べておきます。これは,いわゆる汎神論論争が,どういう論争を示すのかということです。たぶん学術用語として決定されていると思うのですが,僕の用法はそれとは異なっているようなのです。
 『ゲーテとスピノザ主義』では,レッシングGottfried Ephraim Lessingが1780年7月にヤコービFriedrich Heinrich Jaobiを訪ね,そのときにヤコービが見せたゲーテJohann Wolfgang von Goetheの『プロメートイス』という詩に対するレッシングの反応が,後のスピノザ論争の発端になったとされています。ここでいわれているスピノザ論争とは,レッシングの死後に,ヤコービとメンデルスゾーンの間で交わされた論争のことを意味します。つまりこの論争はスピノザ論争といわれていて,汎神論論争とはいわれていません。
 その後,このスピノザ論争にゲーテを含めたほかの人びとも参加するようになりました。その論争のことが汎神論論争といわれています。
 これは確かに学術的には意味がある分類であると僕は思います。ヤコービとメンデルスゾーンMoses Mendelssohnの間でのみ交わされた論争と,それに別の人たちが後に加わった論争とを分けることは,無意味に分けているとはいえないからです。ただ,この分類の仕方というのは,たとえばヤコービやメンデルスゾーン,あるいはゲーテの思想を検討するという場合には意味があることなのですが,スピノザについて何が語られているのか,あるいはスピノザの哲学がどのように解釈され,また場合によってはどのように受容されているのかということを考える場合には,あまり意味がある分類ではありません。なぜならこの場合にはそこでスピノザについて何が語られているのかが重要なので,一方ではスピノザについては何も語られてなく,他方では語られているという場合には有益な分類となり得ますが,この場合はどちらも論争の中心にスピノザの哲学があるからです。なので僕はスピノザ論争も汎神論論争も,一括して汎神論論争ということにします。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする