大垣記念の決勝。並びは橋本に佐藤‐菅田の北日本,松谷‐山賀の南関東,犬伏‐荒井‐園田の西国で浅井は単騎。
犬伏がスタートを取って前受け。4番手に浅井,5番手に松谷,7番手に橋本で周回。残り3周のバックから橋本が上昇。残り2周のホームの入口で犬伏と並ぶと,誘導が退避するタイミングで犬伏を叩きました。浅井がスイッチすると,松谷もスイッチ。差のある4番手に浅井,5番手に松谷,差のある7番手に犬伏,最後尾の園田は荒井と車間が開き,縦長の一列棒状で打鐘から残り1周のホームに。ここから犬伏が巻き返しを図りましたが,浅井が先んじて発進。松谷が浅井の捲りに乗ったこともあり,犬伏は不発に。浅井はそのまま猛スピードで橋本を捲り,マークの松谷との差は直線で詰まったものの抜かせずに優勝。浅井マークのレースになった松谷が1車輪差で2着。佐藤マークから直線で松谷と山賀の間を突いた菅田が4分の3車身差で3着。松谷マークの山賀が8分の1車輪差の4着で橋本マークから内に進路を取ることになった佐藤が半車輪差で5着。
優勝した三重の浅井康太選手は4月の四日市での協賛競輪以来の優勝でGⅢ32勝目。記念競輪は一昨年9月の松阪記念以来となる31勝目。大垣記念は初優勝。このレースは犬伏が人気に推されていましたが,先行するのは橋本でしょうし,浅井の位置取りが犬伏よりも後ろになるとは考えにくかったので,簡単ではないだろうと思っていました。結果的に松谷がずっと浅井マークのレースになったため,余計に苦しくなりました。浅井の捲りに対して佐藤がもう少し抵抗するのではないかと思っていたのですが,あっさりと乗り越えることができたので,差こそ詰められたものの展開的には楽な形での優勝。佐藤が牽制できなかったのは浅井のスピードがよかったためですから,浅井の脚力が以前に戻りつつあるということなのだと思います。
この観点についてはここでは明確な解答はしないといっておきましたから,これ以上の探求はここではしません。何らかの意味で理性ratioが悪malumを認識するcognoscereということを肯定するaffirmareのであれば,ここまでにいってきたことは守られなければなりません。それを守った上で,各々が,何らかの意味というのがどのような意味であるかということを考えていかなければなりません。もちろん,理性が悪を認識しないという見解opinioもあり得ますが,その場合でも,そこで考察をストップするのではなく,理性が悪を認識していると読解することができるような定理Propositioに関して,それらは善悪の認識cognitioとは関係していないということを説明する必要があります。
これで第二の課題は第一の観点も第二の観点も説明することができました。なので第一の課題の解決に向かうことにします。この課題は,受動的な愛amorが理性に従って生じる感情affectusによって抑制されたり除去されたりすることは有徳的であるといわれなければならないのに,愛が一般的に合倫理的な感情であるといわれるのは不条理ではないかというものでした。このことは第二の課題の中で,合倫理的であることがより合倫理的になるという事例によって説明したことからも解決することができそうですが,こちらの課題は愛という感情を一般的にみたものなので,それとは異なった仕方で解決を目指します。というのは,理性から生じる感情によって愛が抑制されたり除去されたりするというとき,もしもそれが理性から生じる愛によって受動的な愛が抑制されまた除去されるなら,この説明でもよいのですが,受動的な愛を抑制したり除去したりする理性から生じる感情が,愛であると限定することができるわけではないからです。
前もっていっておいたように,このことは,第三部諸感情の定義六で定義されている愛は,一般的なものであって,現実的に存在する人間は,このような一般的な仕方で愛を感じるわけではないということを踏まえておくことが重要です。すなわち,外部の原因の観念を伴った喜びLaetitia, concomitante idea causae externaeはすべからく愛といわれるのですが,外部の原因の観念というのは現実的には個別のものであって,AでもBでもCでもあり得るのです。
犬伏がスタートを取って前受け。4番手に浅井,5番手に松谷,7番手に橋本で周回。残り3周のバックから橋本が上昇。残り2周のホームの入口で犬伏と並ぶと,誘導が退避するタイミングで犬伏を叩きました。浅井がスイッチすると,松谷もスイッチ。差のある4番手に浅井,5番手に松谷,差のある7番手に犬伏,最後尾の園田は荒井と車間が開き,縦長の一列棒状で打鐘から残り1周のホームに。ここから犬伏が巻き返しを図りましたが,浅井が先んじて発進。松谷が浅井の捲りに乗ったこともあり,犬伏は不発に。浅井はそのまま猛スピードで橋本を捲り,マークの松谷との差は直線で詰まったものの抜かせずに優勝。浅井マークのレースになった松谷が1車輪差で2着。佐藤マークから直線で松谷と山賀の間を突いた菅田が4分の3車身差で3着。松谷マークの山賀が8分の1車輪差の4着で橋本マークから内に進路を取ることになった佐藤が半車輪差で5着。
優勝した三重の浅井康太選手は4月の四日市での協賛競輪以来の優勝でGⅢ32勝目。記念競輪は一昨年9月の松阪記念以来となる31勝目。大垣記念は初優勝。このレースは犬伏が人気に推されていましたが,先行するのは橋本でしょうし,浅井の位置取りが犬伏よりも後ろになるとは考えにくかったので,簡単ではないだろうと思っていました。結果的に松谷がずっと浅井マークのレースになったため,余計に苦しくなりました。浅井の捲りに対して佐藤がもう少し抵抗するのではないかと思っていたのですが,あっさりと乗り越えることができたので,差こそ詰められたものの展開的には楽な形での優勝。佐藤が牽制できなかったのは浅井のスピードがよかったためですから,浅井の脚力が以前に戻りつつあるということなのだと思います。
この観点についてはここでは明確な解答はしないといっておきましたから,これ以上の探求はここではしません。何らかの意味で理性ratioが悪malumを認識するcognoscereということを肯定するaffirmareのであれば,ここまでにいってきたことは守られなければなりません。それを守った上で,各々が,何らかの意味というのがどのような意味であるかということを考えていかなければなりません。もちろん,理性が悪を認識しないという見解opinioもあり得ますが,その場合でも,そこで考察をストップするのではなく,理性が悪を認識していると読解することができるような定理Propositioに関して,それらは善悪の認識cognitioとは関係していないということを説明する必要があります。
これで第二の課題は第一の観点も第二の観点も説明することができました。なので第一の課題の解決に向かうことにします。この課題は,受動的な愛amorが理性に従って生じる感情affectusによって抑制されたり除去されたりすることは有徳的であるといわれなければならないのに,愛が一般的に合倫理的な感情であるといわれるのは不条理ではないかというものでした。このことは第二の課題の中で,合倫理的であることがより合倫理的になるという事例によって説明したことからも解決することができそうですが,こちらの課題は愛という感情を一般的にみたものなので,それとは異なった仕方で解決を目指します。というのは,理性から生じる感情によって愛が抑制されたり除去されたりするというとき,もしもそれが理性から生じる愛によって受動的な愛が抑制されまた除去されるなら,この説明でもよいのですが,受動的な愛を抑制したり除去したりする理性から生じる感情が,愛であると限定することができるわけではないからです。
前もっていっておいたように,このことは,第三部諸感情の定義六で定義されている愛は,一般的なものであって,現実的に存在する人間は,このような一般的な仕方で愛を感じるわけではないということを踏まえておくことが重要です。すなわち,外部の原因の観念を伴った喜びLaetitia, concomitante idea causae externaeはすべからく愛といわれるのですが,外部の原因の観念というのは現実的には個別のものであって,AでもBでもCでもあり得るのです。