曽我部絵日記

曽我部昌史の写真絵日記

2014年12月22日~28日

2014-12-28 | 日記
12月28日(日)
「通路@ナンバー11(コロンボ・スリランカ)」

早朝は豪雨だったけれど、出発する頃には止みかけている。朝一でJ・バワの自邸だったナンバー11へ。既存のリノベだった1期に始まり4期に渡る増築を経て現在の姿になったらしい。内部と外部とが混然となっている。1期のリビングと中庭の間に建具がない。聞くと、既存の建物に元々ついていなかったという。そんなはずは無いだろうと思うけれど、他のスタッフにも確認してくれて、やっぱり無かったと。ということは、内外が混然となるのはここでは割と普通?


「Mihidsenpura Housing Complex@ディマタゴダ駅近く(コロンボ・スリランカ)」

昼食もバワ建築(オシャレ観光地の高級カフェ風?)で済ませ、コロンボ中心部のスラム対策エリアへ。調査不足で、ここでのスラム対策の歴史がまだハッキリしていないけれど、中層(3,4層)や高層(10階とか12階とか)の公営住宅が、クリアランスした跡の土地に出来ているようだ。費用負担も小さくないので、ある程度収入が期待できている人達が多いのか、割と片付いている(というか、コロンボは他の国に比べて、繁華街なども片付いている。ちょっと、日本っぽい)。クリアランス前のエリア(スラム)も回ってみるが、インフラがない不法占拠的な印象の場所はほとんど無い。


「ケトル・ランプ@ルヌガンガ(ペントタ・スリランカ)」

この日の宿はルヌガンガ。バワが何十年もかけてつくった自邸(?、別荘?、理想郷?)。オン・シーズンは宿泊客に公開されている。ここは純粋に楽しい。思いついたことを次々とやってみていったのか、場の設えにもディテールにも、ゆっくりしていると気づくことも多い。3つの家に分散して宿泊。一つだけ離れたところに一人で泊まることに(この家にはもう一部屋あって、そこには高齢のイタリア人夫婦が泊まっていた)。夕食の場所まで懐中電灯を持って少し歩く。照明も楽しい。お腹の調子は相変わらずなので、この日もお茶。



12月27日(土)
「水回りからの風景@ホテルの客室(ダンブッラ・スリランカ)」

朝食を食べ、館内外建築探索。部屋のテレビのプロモーションでは「ここには、伝統が今も生きる」みたいなことを言っていたけれど、建築的体験はともかく、この建築の使い方(ホテルの運営)は大型リゾート的。やっぱり高級な感じはしない。朝食で若手はクレープやパンケーキを楽しんでいたけれど、それが正しそうだ。建物は、ワンアイデア建築ではあるけど、相手が壮大な自然なので豊かな変化が多様な居心地を生む。部屋の水回りは外の自然と一体化。写真はトイレに座ったときにみえる風景。右手奥がシャワー。


「Hotel Diya Daharaのレストラン@クルネガラ湖畔(クルネガラ・スリランカ)」

ホテルにジャケットを忘れる。で、結局みつからない(ちゃんと探してくれない)。あとで落ち着いて対処しよう。なんだかなあ、と思いつつ、気分転換をしないと気がめいると、車内でパソコンの作業をしようとするものの、路面が悪すぎて無理。途中の昼食(といっても4時)の店の風景がいいのが今日の救いか。隣で飲んでいた地元の若者たちがケンカをはじめ、ガラスが割れたりしている。割と激しい。


「LAFALA HOTEL@海辺のエリアの南の方(コロンボ・スリランカ)」

この日も、ホテルについたのは夜になってから。割と新しく、中国の人達対応が売り(?)の宿。ネットが遅い。繋がるんだから文句はない。残りの日程にあわせて洗濯。終わってからホテルのファイルを見るとランドリーサービスが安い。しまった。お腹が治らないので、ビオフェルミンを日に3回飲むことに。


12月26日(金)
「エアポート・シティ・ハブ・ホテル中庭@空港のすぐ東(ネゴンボ・スリランカ)」

6時半からのスカイプ会議に備えて早起き。接続先はたくさんあるけど、どれも繋がらない。雨が上がっても同じ。フロントの人はいろいろと言うけど、どうやら思いつくことを次々に言っているらしい。結局、接続のための努力を1時間以上やって成果無し。ネットあるっていうから選んだのに。リゾート感が売り?っぽいけど・・・。


「道路水没@ホテルを出て30分くらい?(スリランカ)」

車で、島の中央部付近を目指して北上。するとあっという間に、道路が冠水していて通れないところに。最初の50センチくらいのところは無理矢理通ったけれど、これは無理。昨日、空港で聞いたのはこれのことか。色々なやり取りを経て、追加料金を約束して、遠回りして向かうことに。所々で路面がボコボコになっていたり、小さな土砂崩れがあったりも。


「NIPPON CENTER@ケーガッラ(スリランカ)」

小さな街をいくつも通過する。写真は、キャンディの近く、ケーガッラ。車などは、日本メーカーの看板がとても多い。20世紀に頑張った成果が残っている感じか。液晶テレビや携帯電話などについては、日本メーカーの看板はまるで見ない。町並みが今日の日本を象徴している?。地方の小都市には、ゴチャゴチャした場所はあっても、スラム的な場所は見受けられない。


「フロント@ヘリタンス・カンダラマ・ホテル(ダンブッラ・スリランカ)」

アグレッシブなドライバーの努力で、ようやく8時前に到着。長引く悪天候のせいか悪路が続き、なかなか大変だった。レセプションはあくまで受付のみで、チェックインなどは奥のカフェっぽいところでテーブルを囲んでジュースを飲みながら。そこまではいいけど、レストランの雰囲気などは、高級ホテルという感じはしない。クリスマスによる演出過多も、ちょっと。。。岩と渾然一体となったオープンな(外気の空間)レセプションまわりのムードは魅力的。


12月25日(木)
「クリケット@ムンバイ大学前の広場(ムンバイ・インド)」

ホテルから旧市街フォート地区を歩く。マイダーン(広場)ではクリケットを楽しむ人たちが大量にいて、中心エリアにはみんなが守る信号もある。牛が少ない代わりに、観光客が多い。大きな建物が多いのも特徴。大きいというのも、普通に大きいばかりではなく、塊としての存在感の大きさ。チャイを飲んでホテルに戻る。


「ドービー・ガート@市街の北の方(ムンバイ・インド)」

ホテルで事務仕事をやっつけ、タクシーで空港に向かう。途中、手洗いの大洗濯場であるドービー・ガートに立ち寄ってもらう。シーツ専門など、場所によって分かれているみたい。ジーンズ専門のところはウォッシュ加工場?。


「チャットラパティー・シヴァージー国際空港@ムンバイ北部(ムンバイ・インド)」

インドの日々はあっという間に過ぎ、スリランカへ移動のため空港へ。昨晩到着したのは国内線ターミナル。今日は国際。造形的なデザイン。SOMの設計らしい。ビールを飲むのに丁度良い時間帯だけど、そういう気が起きない。禁酒の州が多いのも、お腹の調子の問題でそういう気にならない人が多いからか。若者は、お腹の調子が悪いと良いながらケンタッキーを食べている。


「機内食@Jet Airways機内(ムンバイ>コロンボ)」

2時間のフライトだけど機内食付き。アルミホイルで包まれたナンをカレーの蓋にすることで、暖かいナンが食べられるという配慮。が、まったく食べる気は起きず。コロンボの空港には日本人も多い。ロビーで出会った現地在住の日本人によると、何十年ぶりかの大雨で、洪水とか土砂崩れとかが大変らしい。なんとかホテルに着き、春から東工大附属高校の先生となった稲用さんと合流。雨のせいでネットが繋がりにくいらしい、というか繋がらない。


12月24日(水)
「車の方向転換@SPARCのオフィス近くの駐車場(プネ・インド)」

吉岡さんにもらった味噌汁とポカリで、少し良くなる。少し早めに行って屋台でお昼をという計画は無しにしてギリギリまで部屋に。その後、リキシャでSPARCのオフィスへ。数年前に同じメンバーで調査にリスボンスラム調査に行った際に知り合ったFilipeさんがここで活動をしていたことがあって、彼を通して紹介をしてもらった。待ち合わせ場所が大きな建物だったので、この中に一室あるのかとおもったら、その隣に立つ小振りな建物の最上階。


「Yerwadaのまち並み@プネの北部・空港近く(プネ・インド)」

アーメダバードでのMHTの活動に比べるとコンパクト。大資本に支えられているというわけでも無さそう。10%は住民負担で自分の好きな仕上げなどにできるからか、現地では家主の方々が家を自慢げに紹介してくれる。もっと色々と案内をしてくれそうだったのだけれど、時間やお腹のこともあり、一カ所のみの視察。最初に駐車場を出る際、車が詰まっていてなかなか出せない。後輪に石を置いているからどうするのかと思ったら、石の上にタイヤを載せて、人力で車を落としながら後部側をスライド。


「タクシー@ムンバイ空港(ムンバイ・インド)」

余裕をもってプネ空港に着くと、出発2時間遅れで更に余裕が。。。飛んだらあっという間にムンバイ。空港の様子からして近代的。オープンレストランのテーブルが並ぶターミナル前の広場前を横切り。プリペイドタクシーでホテルへ。荷物はルーフキャリアーに載せるだけで、ベルトで縛ったりはしない(!)。で、ドアミラーは見ない(閉じたまま)と豪語するドライバーは、運転もワイルド。ホテルに着いてキャリアを見たら、意外なことに全部あった。先入りしていたムンバイ調査班に薬などもらい寝る。


12月23日(火)
「IIM@ユニバーシティエリア(アーメダバード・インド)」

朝早くIIMへ(IIM見学を計画している方は、月金9時5時ってことで)。ホテルからは近くて、リキシャで40ルピー。三度目の正直。9時より早く着いたけど、フライングはオッケーらしい。コンクリートと煉瓦の組み合わせ方が、構法的にどうなっているのかが調査不足でわからない。帰国後に調べるか。丸い開口は、なんというかバカっぽく感じるのではと想像していたけど、そんなことはなかった。腰掛けやすい手すり壁とか居心地の良さそうな場が各所にある。一方、ちょっとフォトジェニックすぎるか。


「空港近くの様子@機上(アーメダバード>プネ)

ホテルの清算に手間取り(カードが使えない)、コルビュジエの繊維ビルは断念。空港に直行。ムンバイとプネの二班に分かれる。機上から見下ろすと、空港近くはスラムが集積しているみたい。その中に、規則正しく密度の高いエリアがある。MHTの活動の中に、州の建築基準(隣棟間隔とか廊下巾とか)を緩和することで単位敷地面積あたりの住戸数を倍増させるというものがあったけれど、その事例かも。機体はムンバイまで海岸沿いを南下してから、プネに向けて内陸に向かう。


「町並み@プネ(インド)」

夕方、プネ着。インド9番目の都市で、学園都市でもあるらしい。そのせいか、クラクションの音は少ないし、色々片付いている。動物の数も少ない。翌日に視察をお願いしている団体との待ち合わせ場所を確認がてら、ちょっと散策。ホテル近くのVaishali Restaurantで食事。後で調べると、有名なところみたい。その後、夜9時半頃、腹痛発症。頻繁にトイレに立ち、食べたものを戻す。悪寒がひどくて色々工夫を重ねながら、何とか睡眠。

http://timescity.com/pune/fc-road/south-indian-restaurant-vaishali-restaurant/57399

12月22日(月)
「レストランとジープ@Restaurant PAKVAN(アーメダバード・インド)」

スラムでさまざまな角度から居住環境対策を行っているMHT(Mahila Housing Sewa Trust)というNGOの活動を取材。午前はレクチャー。社会システムの前提が異なるので直接参考になる感じはしないけれど、街や建築の使い方の自由さに繋がる思考は興味深い。ターリと呼ばれるわんこそば形式のカレーのランチ(総じて辛くないカレーがたくさんの小皿に入っていて、減ると追加される)を経て、午後からは視察。視察用の車は写真の白いジープ。NGOの人達の他、地域の住民も一緒で、これに11人。まあ、高効率ということか。


「改善されたスラム@アーメダバード空港の近く(アーメダバード・インド)」

最初の視察先。建物の建て替えのほか、電球選定の助言で電気代を下げたり、住戸エリアの細街路網を舗装するようなこともしている。トイレ対策も大事。CBO(Community Based Organization)が地域の代表を選出して集落をまとめる。MHTがもともと女性の地位向上を目指している組織だからか(スタッフもみんな女性)、地域の代表も女性。日本人が珍しいのか、子ども達は写真を撮れとせがむ。


「公営住宅@アーメダバード駅の近く(アーメダバード・インド)」

次は市内にもどって国営住宅。インド南部のダム建設で立ち退きになった人達が入る。ここでもMHTがCBOをまとめている。天井も高くて、廊下の巾や階段回りが豊かで、居心地は良さそう。さらに、どんな風に改修したり用途を変えたりしても良いようで、一階の部屋が無理矢理ショップになっていたりもする。牛や山羊や犬も一緒に生活。各家庭毎のカスタマイズも楽しそう。ある意味、理想的な環境か。夕方、MHTのオフィスに戻って終了。ホテルの隣なんだけれど、街に出ることに。


「フード・フェスティバル@IIM(インド経営大学新キャンパス)」

カーン設計のIIMについたら、ちょうど見学時間が過ぎたところだとか。日本から来た建築関係者で今日見るしかない、って言ったものの、そういう人はたくさん来ると、にべもなく。となりの新キャンパスでやっていたフード・フェスティバルに入ってみる。入場料10ルピー(20円)。アーメダバード周辺の各地郷土料理の屋台が、ものすごい数並んでいる。フェスティバル会場からカーンの大学を見る。やっぱり、明日の朝頑張って見学か。ホテルの隣の不思議に高級そうなレストランで夕食。ここも酒は無し。