曽我部絵日記

曽我部昌史の写真絵日記

北九州市(北九州デザイン塾)は、かなり問題じゃないか?

2006-08-04 | インポート

昨年秋から、北九州市が行う「北九州デザイン塾」というのに関わってきた。

北九州周辺の大学に通う学生たちが参加して行う、ゼミ的なもので、ぼくは、その第一回目として、家具を考えるワークショップ(というよりはゼミ)を昨年の半年間行った。具体的には、現在建設中の、北九州イノベーションギャラリーという建物で使うことを目的とした家具を、九州工業大学とか北九州大学とか近畿大学とかの学生たちが集まって議論しながら考え、模型やスケッチをまとめる。

ぼくは、このゼミの先生というか進行役みたいな役割だ。参加する学生たちは、建築やデザインと必ずしも関係なく、経済とか文化人類学とかを専攻している学生もいて、家具のデザインとしては技術的な水準として不十分なので、最後は実際に製作が可能なものとなるよう、みかんぐみで図面をまとめる、ということになっていた。



で、ここで「デザインを考える」という意味では、大変重大な問題が起こった。
背景をまとめると、


・ 実際に製作し使用する家具をデザインする、というのが前提。
・ 学生たちは、実際にできることを夢見て、頑張ってきた。
・ ぼくはそのゼミの座長(責任者)
・ 建物は、建設中であるものの運営方針はかなり未確定だった。


というようなかんじ。そこで、この建物の中でデザイン対象となっていたのは、大きく分けると、


・ 情報ライブラリ(いわゆる図書館的なスペース)
・ カフェ
・ 多目的スペース


の3カ所で用いる家具だ。3つを合わせると、お客さんが来るエリアのかなりの部分をしめている。


さて、で、何が起こったのかというと、上記三カ所の内、情報ライブラリの運営方針が大きく変更になったのだ。運営方針が曖昧なのだから、変更になること自体はやむを得ないことだろう。家具デザインの前提が大幅に変わったのだから、デザイン塾で考えてきたアイデアは使えなくなった。どうも、そのままのデザインの調整でいける、と思った節もあるけれど、それこそデザインに対する冒涜っていうか、普通に考えるとはじめからデザインし直すのが筋だ。


この状況が発生したのが、ちゃんとメモを調べてないけど、5月の中旬。成果品をまとめる約束の期日である5月末の直前だったと思う。そこでぼくは、


・ 情報ライブラリの成果品提出はしない。
・ 残りの部分の成果品の出し方を指示してほしい。


という方針を伝えた。
情報ライブラリについては、学生たちが半年かけて考えてきたのを、「状況変わったら、みかんぐみでまとめときました」なんていう勝手な大人のやり方に加担するようなことはしたくなかったし、再度デザイン塾を進めるにしても、タイミングとしてはちょっと手遅れだ。で、上記の方針となったわけだが、そのときに、デザイン塾の代表として、今回の状況について「こういう理由で条件が変更になったので、情報ライブラリについてはできなくなった」というように、参加していた学生たちに対して、説明と謝罪をしてほしい、と要請した。デザインする行為を尊重することが、デザイン塾という枠組みでの教育の第一段階だろうと思うので、それは当然のことだと考えた。それを無しに、残りの部分の成果品を出してしまうことは、学生たちのやったことなのでそういうことはだまって勝手にやっていい、という考え方に同意していることにもなってしまうと感じたので、この説明と謝罪はとても大事なことだった。



この要請に対してのリアクションは、ずっとなかった。この要請は、このギャラリー運営全体を統括している人に伝えていたのだけれど、再三、残りの部分の提出について指示してくれ、といっていたのに、何のリアクションも無く、7月に入って、突然市から、成果品について説明に来い、ときた。


上記の要請を再確認したら、今度は、「まずは製作を進めて、全体が完成した時のお披露目として学生を呼んで、そのとき、実現できなかった部分があることを説明する」ということにしたい、という。なし崩しで結果オーライに持ち込もうっていうことか。なぜ、一言の謝罪ができないのだろう。学生たちの手によるものであっても、デザインする、というプロセスが間違いなく存在していたのだから、どういう状況であっても、そのプロセスへのリスペクトがあっていいはずだ。


で、再度の要請に対しては「無視」という対応となった。つまり何の返信もこなくなった。一言の説明(つまり学生たちの作業への配慮)があれば、残りの資料をすぐに出せる準備はできていたのに。穿ってみれば、落としどころは始めから決めてあって、時間切れになるまで引き延ばした、ということなのかも知れないけれど。



このプロジェクトに対して、みかんぐみはクリエイティブな期待をもって進めていたわけでは当然なかったのだけれど(学生たちのクリエイティブな活動を技術的に支える立場なのだから)、少しでも良いものになるよう努力することが、参加した学生の気持ち(夢)に応えることだろうし、デザイン塾の成功には不可欠だろうと考えた。だからインテリアデザインを専門としている人に入ってもらい、実物モックアップもたくさんつくった。普段の設計でもここまでお金をかけない。実際100万円ちかい費用が、この「少しでもいいものに」するためにかかったわけだけれど、これも全部無駄だ。こういう配慮をしてきた事自体がすごく悔しい。



今回の問題の背景としてあったのは、運営が不明確なのに、かなり特別な仕様の設計でつくり込まれていたこともある。不明確ならざっくりつくっておけば良いのだけれど、その逆だ。将来的なことを考えても、こういうタイプの公共の建物が、こんな固定化のされ方をしていてよかったのだろうか?関わっている途中で疑問に思ったのだけれど、建物の変更を主張する立場ではないとおもってしまった。直した方が良いものは、そのように強く主張すべきだった。そうしておけば、また別の可能性があったかもしれない。これは大きな反省だ。



さて、繰り返しになるけれど、デザインを考えるプロセスを尊重することが重要であるという認識の無い人が、デザインを語ってほしくない。そういう意味で、今回の問題はかなり大きい。何しろ、この建物というか施設の存在理由すら揺らぐものだから。


もしかすると、市側に残っている資料でデザイン塾の成果品として適当に家具をまとめるかもしれない(まあ、まさかそこまで意識が低いとは思わないけど)。そういうことをするのは(仮に言葉の上で本人たちが納得したとしても)、学生たちを、デザインプロセスを尊重しなくてもいい、という構造に巻き込むことになる。そんなかわいそうなことだけは、起きないようにしてほしい。要請しても無視されるだけだけれど。
(こうやって文章にまとめたら、問題の性格が自分のなかでもかなり明確になってきた。この問題は、デザイン不在の日本の現状と行政的自尊心との関係をシンボリックに表しているように思う。そういう意味ではいい題材だといえる。これからもいろいろなところで、この問題の本質を深めて行きたいと思う。)