つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

なにもしらないために・・・

2005-07-30 | Weblog
いつもながら ‘しんどい’毎日が続いている。夏は暑いのだとわかっていても、暑い、暑いといってしまう。いいじゃないか、人間だものとなぐさめる。あ~
さて、いつもながらの独り言を書く。
神罰が当たったと聞くことがある。神がいるとしたら、神は絶対善である。絶対善であるために、罰は与えたりはしない。神は、善である為に、悪はなさない。もし神様の罰が当たったとするなら、それは神ではなく、悪である。くるくる回る円の運動の仕組みを理解し、縁でなる世界を理解すれば、誰から教えられなくても、自然とそんなことが、わかってくる。神罰を与える神はいないのである。
善は絶対善であるため、悪はない。これが、天国となっている。悪は絶対悪であるため、善はない。これが地獄となっている。縁でなる世界である為に、悪いことをすれば、悪い縁となり、地獄となる。良いことをすれば良い縁となり、天国となる。天国は、絶対善の世界である為に、迷うことなく、考えることなくすべてが、即答えとなる。そのため苦となることがない。苦がないために、楽しい世界だけとなっている。地獄は、まったくその反対である。誰も皆、地獄へは行きたくないだろうに・・・。この世限りの命と考えているから、やりたいことをやり悪のかぎりをつくしてしまうのではないだろうか。性質が縁となり、生命は肉体を持って生まれてくる。肉体が大事なのではなく、生命が大事なために、肉体をいたわり生きていく。生命はエネルギーである為に、肉体が滅んでも生命エネルギーは滅しない為に、肉体を持って生きてきた経験のエネルギーが現象のエネルギーとなり、現象の世界となっていく、これが、死後の世界となっているために、死後の世界の現象の世界で行き続けていく。そのために、縁が縁となり、それぞれの現象の世界の縁となる。自分が生きていく生命の現象の世界を、極楽とするか、地獄とするかを肉体を持って生きている今が決めることができる、唯一の時間帯となっている。人生何十年かの経験の縁で決まっていく為に、経験を誤りのないようにして生きていくのがその方法となっている。死後の世界を極楽の現象の世界としていく目的の為に、肉体をもって生きているときに、なにも知らなくて、過ちをしてしまったことに、気がついて、過ちを正して、精進努力していくことが、方法となっている。その方法が、八正道として説かれている。唯一極楽へとつながっている道、方法なのである。、おっと、ちょっと長くなったので、本日はこのへんで、では、また。
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