つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

鶴の恩返し

2024-08-04 | Weblog
今の社会、普通に働いても普通には暮らせない。
よほど優れた能力があるか、或いは、悪い事をしていなければお金は稼げない。
悪いことは、道徳的に反してることである。
穢い者には汚いものが集まる、綺麗なものには綺麗なものが集まる、道理である。「お金と灰皿はたまればたまるほど汚くなる」そう言われるように、確かにと納得する。
金融支配社会と言うのは、お金がすべて、命より大事と認識されるが、命あっての物種である。でも、手術にお金が掛かるように、お金が無ければ助かる命も助からない。がお金があっても、治せないものは治せない。でも、お金が「先ずとして先立たなければ始まらない。金融支配社会と言うのは、偽りの愛を作る。
愛が無償として本物であることを否定する。ただより怖いものは無いと洗脳する。この洗脳はほぼいき渡っている。
貴方は、傷ついて飛べない鳥を見つけて介抱する。状況によっては、動物病院に連れて行き、自腹を切って治してあげる。自然に哀れみを持ち、捧げる愛情。本能的に無償の愛を与える。愛は、ただ与えてただ去るのみである。
これが人間の本質、エネルギーの法則に沿うものであるために、本能として具わっている。鳥は礼を言わずに去っていくが、貴方はただ喜ぶ。
なぜ人の間に、この本能が発揮されないのだろうか?
簡単な事なのだが、金融支配社会と言うのは、人間を狂わす社会である。
もっともらしく「ただより怖いものはない」として通用している。
そんな社会には、「まさか」とする喜びなど有るはずもない。

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追って知るべし、戦戦兢兢として在る姿を

2024-08-04 | Weblog
日本国社会、経済的困窮家庭が増えている。自業自得ではない。
今の社会構造を作っている政治の悪さにある。
「普通に働けば、普通に子育てができる社会を実現してほしい」と訴えている。
政治家は知っていながら知らんぷり。自国の民をも助けられないで、どうして他国の人達を助けることができるのでしょう?まさに、気違い的政治をしている。
この夏、酷暑、猛暑としての子供たちの学校夏休みに入った。
両親そろっていても、父親の給料だけでは生活できないとして、母親も働きに出る。幼子を抱えていれば働くこともままならないが、それでも義務教育ともなれば、子供が学校に行っている間、少しでも家計の為として、母親も働きに出る。
時間制限を設け、働いても僅かな給料、夏休みになれば、子供をどうするか、誰が面倒を見るのか、見てくれるのか、見てくれる人がいれば、お金が掛かる。僅かな給料から払って、結局そのことに消えてゆく。もっと幼子がいれば保育に掛かるお金は高額となる。夏休みは無くしてほしいという親の切なる願いは、親であればこその哀しい願い。そんな願い事をしなければならない社会の風潮は、ただ政治の至らなさである。本当に国民を守るというのであれば、
早急に問題をかたずけなければならないのだが、今の政治家は、今だけ金だけ自分だけの方針、だから、その長たる総理の責任、嘘八百を並べ立て、実行が伴わない。メディアもぐるになって、貧しきものの報道は極力避ける。現実は切羽詰まっている状況。
現総理になってから、命を守ると口では言うが、ただの一度も全国民に給付金は出したことが無い。それなのに外面よくして、何兆円も他国に支援、米国の属国、傀儡と言われてもしょうがない。金が無いと言いながらよく支援できるものだ。無い袖は振れないのが道理である。自国の民を苦しめておいて、他国の民を救えるわけがない。大臣皆高学歴にありながら、
だから、「わざと」していると見て取れるのである。
現政権党の自民の悪事は、女は不倫、視察と言いながらのただの観光(慣行)旅行、他人の給料搾取、裏金問題の脱税、どれ一つとっても厚顔無恥にして、意に介さず、堂々と悪事を貫き通している。
世の中そんなに甘くはない。これから、追って知るべしとなる。悪業悪果であるために。道理は絶対である。隠れていても露になって来ることにある。
行いは、地知る天知る神知る我知る、である。
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無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇

2024-08-04 | Weblog
腐りきった世の中にあっても、道徳心にある人はいるもので、
法則にのっとって、粛々と秩序正しく回りゆくものである。
私達が存在している法則は、正しいから存在しているもので、正しくなければ存在はしない。正しさとは、存在の正義である。
正義とは、道理に適っていて、正しい事、またその人と辞書にある。【ー派】不正を憎み情実を排し、正義を守る事だけを考えて行動する、純粋な心の持ち主、とある。
世の中には、そういう人達もいるもので、そのため秩序は保たれている。
道徳に優れている人達の割合は、2対8の割合であると思われる。それは、
善人が2に対し8が悪(わる)と言う感じであるが、8の中には日和見的な人達が4割ほど含まれる。それは「漁夫の利」のことわざにある人達で、いけ好かない人達。つまり、定見が無く卑劣で軽薄、非理性的、左右どちらにでも簡単に動く人達である。盲目的な心情の人達である。
善人は少なくあっても優れているために、少数にて賄う能力がある。全てにおいて、優秀と言うのは希少にある。これがこの世の道理でもある。
この2対8の割合の中での本物の悪は4、悪魔である。どうしてそのような悪事を思いつくのかは、悪魔たる正義があるからである。悪魔の自由なのである。
悪魔たる正しい義(意味)なのである。自由は「自らに由る」としてあるために、外部からのいかなる力も寄せ付けない。そのため、強制的には無理となっている。道理が無いのである。自らに気づかなければ、正せないのが自由である。本物の悪(わる)にはその気づきもない。従って、悪が揺れ動くのは、日和見的にある悪(わる)に由る。この中の2割だけが動くだけで、事態は変わる。もともと、存在の法則には善も悪も無い。ゆえに善となって動いている自由で存在している。私達がいる所以である。だから、悪事はいつの間にか発覚して裁かれ、消滅していく。浄化の法則となっているためである。必然である。この法則を普通に感じ見ることができるのは一日としての時間の流れである。必ず一旦ゼロに戻る。この法則は、宇宙の星々にある時間の流れによってまちまちであるが、統一されている法則である。地上は24時間という時の流れで回る(浄化)となっている。この宇宙の法則は唯一無二としての法則、これを「無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇」と言う。


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