つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

どう思うか?

2024-08-25 | Weblog
貴方が、心の中でどう思おうが、それは自由である。
つまり、思いには壁は無い、障害物は無い。障害物を作るのは、自身の心の不自由さにある。貴方が、眠っているとき見る夢の世界には、時間と空間は無い。だから、どこへでも行っているではないか。子供の時に行ったり、
未来にまで行ったりする。ある時の夢には空を飛んでいたり、怖い思いをしたり、楽しい思いをしたりしている。夢想の世界は、空想とも言われる。
空(くう)を釈迦は生命の空白の間と捉えている。どんなに覚っても、あの世を知ることができなかった。そのために、生命エネルギーの記憶が作られない世界、つまり、「生命の空白の間」であるとして、あの世を「空」とした。これが、「色即是空」である。「色」はこの世、物質世界の事を指している。
つまり、「この世は即、是(エネルギーの法則)に由って、空(あの世)となる」
と説いた。人が死んだらすぐにあの世になると言っているのである。
「空即是色」は、「空の世界(あの世)も、是(エネルギーの法則)によって、そくこの世となる」この世とあの世は少しも変わらない世界であるとしている。これが、輪廻の法則を示している。生命は、この世とあの世をただ行き来するのである。つまり、肉体と言う物質に宿りながら、その記憶の現象世界を創っていることになる。意識(魂)は、肉体の消滅後、肉体より離脱して、死後の世界へ赴くが、生前の記憶の現象世界があの世となっている。そのため、この世とあの世は少しも変わらない世界であるとして、
「色即是空 空即是色」と輪廻の法則である事を訓えたのである。つまり、魂である生命エネルギーに死は無いのである。
釈迦の下で弟子となって修行した菩薩、観自在と言う修行僧が、
この法則を「般若心経」として説き広めた。
観音菩薩ではない。観音菩薩は総称である。釈迦の説いた修行を一心に行じ、
観音と呼ばれるようになった修行僧たちの総称である。だから、
観世音菩薩は観音経を説き、観自在菩薩は般若心経を説いた。それぞれ全くの別人である。
さて、話を心の自由に戻そう。
心は自由であるために。どこへでも行ける。いけないとする不自由さは、貴方の自由である。自由をどう扱うかで事態は違ってくる。ある意味、パラレルワールド(平行宇宙)である。心、どう思うか?である。


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