つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

成文法に縛られて

2024-08-29 | Weblog
自民党総裁選、実質日本国の総理となる選挙である。
だれになるか?はすでに決まっている。日本国は米国に負けた敗戦国である、それ以来、日本国は米国の植民地化となっている。属国と言われても仕方が無い。
なぜなら米国にお伺いを立てて政策が建てられているからである。大方、そうではないとする独立国としての表向きであるが、過去の出来事を見れば、やはり属国であると認識せざるを得ない。全ての成り立ちに表と裏があるように、
この三次元世界、例外ではない。まったく違う顔が君臨している世界である。
その意味からして、日本国総裁選小泉氏と言う「ポチ」に決められている。
が、
しかし、世の中、将来は未定、米国そのものが大きく揺れ動いているさなかである。隷属としてきた慣習は法としていき渡っていて、慣行化されてきたのである。習慣というのは恐ろしい。それが正しいとなってしまい、疑いを持つことに疎くなっていく。人間は「慣れ」るものであるために、一度慣れてしまうと、なかなか改めるのは難しくなってしまうのだが、
戦後約80年も経てば、人間のある周期にも栄枯盛衰は当てはまり、事態は一変する。戦勝国である米国の思惑通りにはいかなくなっている。して、日本国の、総理選、三度にわたって苦虫顔となった人の面に、最後の餞(はなむけ)が下りてきた。普通、あらゆる頂点に立つことは難しい、有難いことである。
本来ある事が難しいことであるために、「有難い」という。その事があったとして、有難い有難いと感謝を述べるのであるが、この道理に胡坐をかけば、
それはまた、奈落の底へ落ちていく破目になる。
だから、「貴重な立場」ほど、気が気でなく、引き締めなければならない。

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