つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

真逆だった

2024-08-06 | Weblog
腹を痛めて産んだ子が、少年兵、青年兵として戦争に駆り出され、強制的に国の為として死んでいった。親心として、誰でも戦争にはやりたくなかった。それを万歳として三唱し送った時代の過ちは、ただ人災。戦争末期には、特攻隊として否応なく突撃、万歳と叫んで死んでいく様は何ともやりきれない。人道あるまじき行為がまかり通っていた時代、封建主義的時代。独裁でもあると言える。
つい最近、
貴方は国のために戦えますか?とある有識者が言っていた。言った本人は戦争に行くことはない人である。何とも悲しい、哀れな有識者。非情な人。
権力者が道を踏み外せば、下に犠牲者は多くでる。今の社会にも当てはまる。
今の政治、議会政治ではあるが、権力者に媚びする議員が多く、国民の意に反する人が多い。だから、今だけ金だけ自分だけと揶揄される。のである。
その集団、
民主と言いながら独裁的である。不祥事だらけで、そんな議員たちで法律が作られているとは、如何なものか。社会がよくなるわけがない。国民の税金に群がり、搾取し放題、と見て取れる。だから、社会、変革は必然である。
あらゆるところの「善」とした面て向きが剝がされて、「悪」が顔を覗かせている。どこもかしこも悪魔が仕切っていたのである。
さて、金融支配に陰りが見えて、一途に崩壊に向かっている。社会の変革である。慾に絡んだ社会構造、いよいよ終焉。あの人もこの人もと、馴染みの顔が歪む。いい人だと思っていたのに、大間違い。「まさか」を亦聞く。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自然への波長の同化(自主的な心の発露・感情)

2024-08-06 | Weblog
実際にブラックマンデーとなった。
慾の絡み合いのこの社会、刻々と変化は「アタオカ」と言われていた人達に追い風となる。慾が絡み過ぎてほぐれない人達には気の毒だが、どんなに立て直しを図っても、姑息である。それに一喜一憂、安堵と不安を繰り返し、全て御破算。
新たなる旅立ちと言うのには、引き摺る事と言うのは無い。後ろ髪を引かれて
後退り、振り返ることはない。
一日が一旦という区切りを持つように、昨日と今日は全く違う一日である。
自身の心、思いが引きずるために、同じ一日と見てしまうが、けっして昨日には戻れないのは、違う一日としてあるためである。
何事も‘過ぎたるは及ばざるがごとし‘である。それを心得て、
‘及ばざるは尚過ぎたるより優れり‘と思えれば、昨日を取り返すことができるだろう。だから、一日は、変わらない一日としてあなたにやってくるが、
見方を変えるだけで違いは見えてくる。いつでも明日は「明るい日」と書く。
つらいと思う日々は、自身の素直な感想、誕生した世の中が世の中だけに、
虚誕と覚れば、この世への未練も無くなるだろう。これが、人としての行為の連鎖を断ち切る思いに精神が絡む。示し申す自然の波長を精げて、同調すれば
物理に縛られることはない。冷静に(霊性)感情を沸かせることが、私という魂、心の在り方である。これこそ正しい同化である。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする