つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

悪の進化となった金融制度

2021-12-16 | Weblog
金融制度に支配されている以上幸せは来ない。
多くの民は奴隷である。
何かに隷属していなければ生きていけないと思わされていて、また実際に隷属から離れれば、
至極辛い生活となっている。
youtubeなる動画の配信は、すべて企業の広告が付いていて、閲覧した数によってお金が配られる。
どんなに良いことを言ってても、お金が目当てである。
それは、金融制度社会では仕方がないことだとしても、どんなに良いことを唱えても、
欲望という貪瞋痴の中に入る。そこから発せられる言葉には、真意は疑われるものとなる。真心が見えない。

愛は無償である。ただ与えて去るのみ。見返りは求めない。
この愛なくして愛は存在しない。存在するとするなら偽善の何物でもない。
愛情という心情、感情が正しく持つということは、浄化の法則にかなったことである。
私達は意識の存在である。言い換えれば、意識生命体である。肉体が生命なのではない。
肉体に宿る意識が生命そのものである。
その意識を浄化するために、宿した肉体が大事なのである。
意識が離れた肉体はただの肉の塊、何の意味もないものとなる。
意識が最も大事なために、肉体を大切にして生きていく。この順番を間違えてしまえば、
唯物となって、生命エネルギーはエネルギーの法則との摩擦となって、崩壊していく、苦しむだけである。
意識は生命エネルギーであり、エネルギーの法則によって作られているものである。
そのために、すべての生命の動きは、法則の動きとなって、浄化の動きとなっている。
その動きは円運動であり、そのために、繋がっていくものとなっていて、無くなることのない存在となっている。
常にゼロに戻り、新たになっていく。だから、浄化となっている。すべてがきれいになる。このエネルギー、これを文字に現すと、是となる。
日が正しいと書いている。つまり、太陽の動きが、このすべての宇宙の動きを表してりるものだからである。
全てはこの法則の下の存在である。この法則を超える存在はない。
これを、百千万劫難遭遇という。唯一の法則であるために、今後永劫に巡り合うことはないとして!
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