つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

がらりと変わる

2024-07-21 | Weblog
どんなに立派なことを言っても、お金が無ければ蔑まれる社会。
悪人でも、お金があれば立派に生きていられる。
不思議だが本当だ。人の善悪というのは転倒していて、すべて悪だらけの世の中となっている。世界中どの国を見ても戦争、紛争、殺戮の歴史である。
日本国にしても、昔は刀という、大きな刃物を振り回していた。まさに戦国時代を生きて、今に引き継がれている。常に争い、戦いの中で生きていた。
不条理で理不尽極まりない世の中を生きている。だから、未だに戦争、紛争、
あちこちで小競り合い。多くを殺して勲章もの、個人として人を殺めて殺人罪、
殺す事の違いがないのに、正義と悪が生まれる。矛盾の中に同化して、分からなくなってしまっている。だから、「どうかしてるよ」と投げやりに言葉を吐き捨てる。過去を見て今を知り未来をはかれば、行き着く先は消滅である。昔、巨大な恐竜闊歩の世界が忽然と消滅したように。
人類も、自然破壊をして生きている。爆弾によって地上を傷つけ、コンクリートジャングルを作り、アスファルトで道路を作り、人間で言えば、まるで動脈硬化促進状態、癌細胞となって蔓延っているように見える。
地球も一つの生命体エネルギーである。すべて浄化の法則の下造られている。
そのため、動くことによって熱を冷ましながら、循環という仕組みで存在している。エネルギーを転換させながら存在している。
私達の体が、意識に関係なく動いているのは、
エネルギーの転換リズム(律動的)であるからで、円運動の法則から来ている。絶対にしてあり、変わることの無い動きとなっている。
変化することが変わらない動きとなっているのが円運動の自由。これを「是」として、存在の法則となっている。宇宙の諸々のエネルギー法則である。
だから、常に浄化となって、ゼロに帰す。時間も23時から24時(零時、0時)となる。そして、一時二時と繋がっていく。
真円の動きは変化が無く、変化のないところには、空間も時間も存在しない。
永遠である。これが唯一無二のエネルギーである。フリーエネルギー、
自由能力である。
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権力の座椅子は惑わす

2024-07-21 | Weblog
国民の生命を守ると言いながら、老人の年金は減り続ける。
それでも、政府は、とりっぱぐれが無いとして、年金から強制的に介護保険料を差し引く。国民年金一月当たりの年金額5,6万にして4,5万に落ち込む。更なる生活苦、金融支配社会は、老人には早く死ねと言わんばかり、たまらず、70過ぎても働きに出る老人、老骨に鞭を打って働くために、健康を害い医者に掛かる。多額の費用を要して、更なる生活苦に追い込まれ、早速死に至る。
して、政府本心、心無くほくそ笑む。
孤独と戦い、自尊心と戦い、社会に出れば刺激となって、脳の活性化として惚けにくいと、正義だって医者の言わんとすることをあえて口にして暗示をかける。若いころと違って、
出来ていたことができなくなることに苛立ち、不意に、危険であることを察する。若気の至りはカバーもできようが、老いには誰も勝てないものである。だから、
「退き際」というのは大事である。若気の至りでは済まされない。
動物というのは儚いものである。死を知ってそれとなくいなくなる。
人間、地位と名誉、名声を得たとしても、何の徳とならないものである。
物理的なもの、そして、名を馳せ誉ても、全て跡かたもなく消え失せるものである。誰でも死にゆくものであり、また生じるものである。
この輪廻を離れてこそ魂は幸せを得る。人としての行為(人は人と交わる)を離れ、自ら然りとして生きれば、秩序の下誕生するに至ることはない。
「対」を破るという事こそ、自らに由ることである。
自然を識して、智の恵みとすれば、同意となるのである。
人生の退き際、見極めて欲しがるな!

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