つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

これからの社会

2024-07-11 | Weblog
司法立法行政、日本国、司法がようやく迷路から出口が見えてきたようだ。
法治国家である日本、法律に基づいて正しく判断することに、あらためて気づいたようだ。今までが行政に忖度として、本当に独立?と疑問、迷い道ウロウロ。
粛々と、「おかしなこと」が普通になっていた。権力には権力で対抗、法則は善悪の無い故の善である。法則は自然、法律は人工、法則は絶対である。
法律は人間の都合で作られている。そのため粗にしてある。
法則は自然、道理として道徳にある。だから、必然正す。
企みは一つ一つ正されていく。だから、
悪い権力は、「まさか」として、暴かれていく。
今の社会、
悪いことをしているのを、あきらかに防犯カメラで撮られていながら、テレビは犯人をぼかして報道、悪事をかばっているようにしか見えない。個人情報云々と言い訳して。悪人に個人情報は必要ない。顔が映っているのだから、そのまま報道すれば、早く捕まえられるだろうに。人間の法律というのは、気が利かない。
おかしなことがまかり通っている社会であるが、一つ一つ正されていく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日はいつも明るい日と書く

2024-07-11 | Weblog
幼少の頃、瞳は青く澄んでいた。みんな綺麗に見えていた。
少年となり青年となり、成人して大人となった。
そして、
黒い瞳となっていた。いつの間にか、闇夜(世)に生きていた。
こんなにお天道様が輝いているのに・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信心

2024-07-11 | Weblog
世界人口約80億人、日本の人口約1億2千万ほど、年々減っている。あと10年もすれば1億人を割るだろう。この状態が何を物語っているのか、一寸先は闇として、私達は道理に学んできた。「予言」は、予めて言うと書いている。
「前以って」言う事を信じるか否かは自由、「以って」に人偏を当てて「似る」。
人の言う物事、「似て非なるもの」として心得ていれば、一喜一憂に振り回されることはない。
神を信じ一途に仰ぎ見れば、その心は現象の自由に振り回される。すると、
神が現れたとなって、正しく現実が判断できなくなっていく。そのために、正しく現実に対応できなくなってしまう。惚ける、つまり、弁別力(違いを見分けて区別すること)が弱まり、正確さに欠けてしまうのである。
「鰯の頭も信心から」=イワシの頭のような価値の無いものでも、信じる心が深ければ、神仏同様に有難く思われる。
無知、「私は何も知らない」として在れば、偶像でも無批判に尊敬してしまう。
人生、何のために年老いるのか?死んでいくのか?
死んでいくことが最初からわかるのに、なぜ生まれる必要があるのか?努力とは?なぜあるのか?
一生涯、ぼーっと生きてんじゃないよ、と
5歳のチコ(智子)ちゃんに叱られる!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする