つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

伏魔殿、顕著

2024-07-09 | Weblog
日本の選挙、またしても「まさか」を見た。
なんかおかしいと思う人の勘は正しい。姑息な企みは露骨であるために、
諦かにそう感じるのである。正しく生きている証である。ちっとも悲観する必要はない。
「私だけ?」ではないために、これから起こる社会現象の「まさか」は、浮かれている人達の天国から地獄の逆転現象の兆候である。以前に述べたように、現職にある人は退く。これは変わらない。
他国の選挙は変化、日本国は、戦後の洗脳教育がしっかりいきとどいているために、平和ボケにして変化を求めない。原爆の体験国であるため、地獄絵の記憶の恐ろしさを封印している。二度と再び起こさないように誓った思いは、洗脳教育と相まって、完全に牙をもがれた。
あらゆる面で、依存体制が確立、従属、隷属することに違和感を持たなくなった。素直さは、強い者に対しての敬意として、逆らっては「損」をするという
損得勘定に置き換えられた。「出る杭は打たれる」事の有様をいやというほど見せられてきたためである。
それはある意味、人間としての尊厳を失わせ、一様である事を善として、知らずしらず教え込まれたのである。皆と一緒である事に安心を覚え、独自性を、
自ら捨て去っていった。「天才は変わり者」として、世間の目を気にして、
気違い扱いされることを忌み嫌い、口を閉ざした。にわかに、世渡り上手の知識を得ていったが、時が経つにつれ、社会の隷属に違和感を持ち、独自性こそ大事であることに気づかされた。変化こそ道理である。
が、未だ古い知識に覆われて、変化を認めない、好まない風潮が日本に残る。
保守として革新を好まない。しかしながら、世の道理は変化である。ただ変わりゆくものである。変わって当然。それを自然の成り行きという。
変わることを望みながら、変わらないことに安堵する矛盾は、人の儚さである。
はかない=来たる時に確実にどうなるという目当てがない、事の意。
つまり、「私は何も知らない」、無知にあるためである。
道理は無くならないものである、として無知を破れば、この物理の世にある不自由さも克服でき、精神的にして死の無い魂を悟ることができる。それは、
ミクロ的現象世界となり、マクロ的世界に不思議を適える。
目が自身ではない、手が自身ではない、頭が自身ではない、集合エネルギーが自身を構成する。
貴方達は知識を間違えた。
公に、属するという事は、
自分と言う本人がいるのに、身分証明書を求められる。
本人よりも証明書が大事で本人とされ、証明書が無ければ、貴方は貴方ではなくなる。おかしな現象となる。なかなか信じてもらえない。実体・実態がありながら嘘とされる。
現仏教である。仏はそうは訓えなかった。間違えて解釈した貴方の自由。
「返り見る」事は要である。
返り見る=通り過ぎたあとを振り返って見る、の意。


コメント
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