ウーマンリブ(女性解放運動)、一見正しい意味として捉えられるが、
その裏にはおどろおどろしい思惑が隠れている。例えば、100組の夫婦がいたとすれば、父が働き母は家庭を守り子育てをする。子はかぎっ子とならず、親の愛情をいっぱい受けて育ち、優しい子が育つ。
しかし妻たるものから税金は取れない。妻も普通に働けば税金が取れる。
子供は社会が面倒を見るとして、学校教育、義務として一様な教育を施す。小さいうちから、ある意味、洗脳教育ができる。「皆と同じでなければ」として間違った同和社会が作られた。差別、偏見をなくすことの目的が、逆にそれを生んだ。競争社会が作られ、戦う事が善となっていったのである。人よりも優れることを誉とし、戦いに勝ち、のし上がっていくことが正しいとされた。そのために、人を蹴落とすことに何の違和感も覚えない。ただ勝ちを喜び、負けることの
悔し涙にある人を思いやることが無い。勝ち負けというのは非情な事であり、非情な者となる。
解放運動という一見自由を盾に、不自由となっていったのである。いろいろな規則で縛る羽目になった。