大衆迎合意識、この意識次第で社会は変わっていくが、日本国は、戦後の洗脳教育が行き届いているために、なかなか変われないでいると思われる。変わりたいとする思いはあれども、今までの慣習のもと、常識となって覆すことができていない。保守的と革新的・進歩的は今拮抗にあり、特に政治改革は最も必要とされる時である。今までの「ありのままで」いなさいとする風潮こそ改めなければならない。今この時代は、過剰な規制は規則無視の風潮となっているために、上にある者たちの悪態ぶりが、どこもかしこも目に余る状態となっている。そのために、法治国家にして、不正不正不正と連日報道される事態、明らかに「本当は」とすることが、露呈している。何を信じていいのやら、どこに信頼があるのやら、という、生真面目な性格にある日本人が、疑いの目をもって見られるようになっている。信用信頼の失墜ともいうべきゆゆしき事態にある。
日本人、昔より浦島太郎・金太郎・桃太郎と太郎と名ずく人の多い国、似非太郎もいるが、本物の太郎もいる。いまだ小さくあるも本物は芽が出てくるものである。鬼は成敗されていく、昔話は本当のことでもある。
さて、手に持った玉手箱を開けたとき、Yの字の道が現れた。一方の道は新しい黎明の道として輝いて見えた。もう一方の道は行き慣れた道のように見えたが、両方の道の行き先は交わって一本の道になっていた。その交わりの処に、
標(しるべ)が立てられていて、こう書かれていた、「かつての道」と。
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