つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

火宅である

2017-11-22 | Weblog
先進国であるにもかかわらず、貧困にあえぐ国でもある。
冬になると灯油の価格を上げて、これ見よがしに庶民を苦しめる。
ガソリンもじわりじわりと値上がり、車を乗るのもためらう。
貧しき者は凍死しろと言わんばかり。と、貧乏人はあらぬことを思うものだ。
二か月に一度の年金は、
年々引き下げられて、仕事のできない老人は、早く死んでしまえということだろう。
社会保障費を減らせるからね、と勘ぐる。
元気で働ける老人より、元気でない老人のほうが多いのではなかろうかと
思うのは私だけ?
元気で働けるという老人でも、適した仕事はあまりに少ない。
元気でないのだけれども、働かなければならないほど、社会は冷たいものである。
金の切れ目は縁の切れ目と言うが、その縁、命の切れ目なのだろうとつくづく思う。
ほぼ毎日のように鉄道人身事故のニュースを聞くが、足早にして僅かに流れるそのニュース、
ただ事務的に聞こえてくるのは何だろう?寒々として、
空を見上げると、冬空である。
♪春を眺める余裕もなく、夏を乗りきる力もなく、秋の枯葉に身を任せ、冬に骨身をさらけ出す♪
春夏秋冬の歌詞だったと思うが、すべてがなんか終わるような気がしてならない。
そんな折、
原発事故被災者の住宅立ち退きを迫るニュースを聞く。なんとも心無いやり方である。
弱者いじめに他ならない。子供には「いじめはいけないよ」と教育していながら、
社会の大人は、平然と弱者を苛め抜く。

矛盾の世の中にいると同化して、気がつかなくなるものである。

人で無しの世の中は、ただただ荒れ果てて行き、衰退して、崩壊の道を歩むものである。
過去にもそうであったし、未来にもそれは同じである。
背筋の寒くなるニュースばかりが飛び込んでくるが、愛情の欠如の顕れである。

衰退し崩壊の道を私達は歩んでいる。火宅の人である。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 慈悲は如何に | トップ | 抵抗勢力 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事