つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

智慧の心

2013-08-07 | Weblog
一日という道理をみる。朝起きて夜眠る。
こうして一日が区切られて明日に繋がる。
昨日もそうして繋がってきた。
眠る姿は死んだときの姿と同じに見える。その時見るのが夢の世界。
朝が来れば夢から覚める。そうして、一日がまた始まっていく。
この現象が生命の輪廻と同じとなっている。眠っている時に見る世界があの世と同じ世界。
心の記憶の現象の世界である。だから、夢を判断すればあの世の判断がついてくる。
怖い夢を多く見れば、あの世は怖い世界、地獄であると知れてくる。

記憶に強く刻まれた事柄は、気になって夢の世界となって現れてくる。
これが夢想の世界、気の現象である。
夢を見たり見なかったりという日があるが、実のところ、眠れば必ず夢は見る。
見なかったと思うのは、完全熟睡となって一切の反応を示すことがないから。それは、
あの世が一切の反応しないのと同じである。だから、知ることができない。

夢想の世界に悪を思わないこと。恐怖を思わないこと。
悪をつくらなければ怖がることも無い。地獄となることがない。
地獄でなければ天国、極楽である。
あの世は、気の世界、心の世界、法則の世界そのものである。
曖昧ということの無い世界。絶対世界であるために、どちらか一方である世界である。
一つに正反対を持たないもので、
完全に相対が分離してある世界である。
善は善、悪は悪、天国の中に地獄は無く、またその逆もそうである。
それが法則の絶対世界である。そのようにして対立してあるものである。
生命は、天国を目的として生きているものである。
心に悪を抱かない、相手を悪としないで生きること、そのために、
愛すること、愛する者として生きよということである。すべては
自分の為である。
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