つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

窮める

2014-06-23 | Weblog
本物の○○というのは、
何もそれなりの学校で学び
資格を取得したからといって先生というのでもない。
本物というのはそんなところにはいない。

感覚というのは優れた感性である。
その感性にして先生となるもので、
人から学び取れるものではない。
個の感覚である。
窮める知性。奥義。
そういうところにある。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 魂を込めて | トップ | 経験の識 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事