つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

老人先進国という貧困

2017-06-04 | Weblog
老後の生活を最低限不安なく暮らしていくために年金制度があるのに、
受給資格は引き上げられていく。いったいいつまで働かなければいけないのだろう?
と不安だけが募る。元気であればいいのだが、歳を追うごとに体の動きは鈍くなり、
あそこが痛いここも痛い、今度はこっちも痛み出したと
身体のあちこちが悲鳴を上げてくる始末。
大方歳をとるということはそういうことになる。むしろ、誰の手を借りずとも元気で、
矍鑠としていられる人のほうが少ないように思われるのだが、
社会保障制度、特に年金などはそんなことを考えての救済策にあると思っていたのだが、
老後の安心にはお構いなしに、少数派の元気なお年寄りだけを焦点にしているために、
まだまだ働けるんだから働け働けと言って働かせて、年金受給額を減らし続けている。つまり、政府の本音は、
働けない老人は早く死んでもらいたいのだ。そんなことを口に出していったら囂囂たる非難をあびるために
建前上いわないだけで、でも受給額を減らし続けるということはそういうことだろう。まして、二か月に一度の受給。
少ない額にも関わらずに所得として税がかけられて、振り込まれる額はさらに減る。
そして、不自由な体にもかかわらず、年度末に確定申告をしていくらか返してもらう面倒を強いられる。
そうしなければ少しも返してもらえないのであるから。
態度であらわされているのであるから弱者たる老人には死活問題である。非人道的行為であると思われるがいかがなものか?

あちこちの体の痛みを耐えしのいで働きに出て、これまたわずかな賃金、そのために更に健康を害し、苦しみの中で死んでいく。
せめて安らかに死んでいきたいと思っていても、それができない金で縛られた社会である。病める先進国である。
子供を増やす政策も満足にできずに、姑息な案でその場をしのぎ続けて今の現状、住みにくい社会。
それは、廃れていくという現象にある社会。
その果は又ある一面自殺大国となっている。
介護する側される側、双方年寄りなのだから、そのうち介護疲れでどちらも倒れてしまう。
介護疲れの果てに殺人まで起こしてしまう報道をよく耳にする。これからますます増えてくるであろう悲しいニュース。
特養施設は僅かしかなく、国民年金だけでは難しい。お金がたくさんなければ満足な介護施設には入れない。
全く巷の現状に追い付いていないのである。すべてが金持ち優遇社会なのである。
これがみんな頭のいい人たちがやっている政策なのである。そして彼らはみんな税金で食べていて、富裕層の人たちである。
いい学校を出て、いい経歴を持っている人達である。ただ、いい人格かといえばなんともである。

若かりし頃のあなたの先見の目がなく、努力の至らなさのためになった果を社会の所為にしてはいかがなものか?
と勝ち組?の人は言うのだろうが、果たしてそうであろうか?

世の中は、ままにならないのが常である。そして、
あざなえる縄のごとしが時の流れでもある。
正と負があることを知り、どちらにも長短があり、そして、
どちらも必要であり必ず受ける宿命にあるのが生命である。
だから、
我が身に置き換えて、悠久の時の流れを渡っていかなければ、
その場の受想行識を正しくこなすことができない。
今生が他より幸せであったと思っての人生であったとしても、
来世がそうだとは限らない。
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