つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

理由

2006-05-08 | Weblog
ただ普通に生きている。
いつかは死ぬと分かっていても、特に気にとめることもなく生きている。
死ぬのが分かっているんだから、生まれてこなくてもいいのにと思うことも無く、
生まれたからあたりまえに、ただ生きているとしている。

ほとんどはそういうものだ。

生まれてくる理由、生きていく理由、死んでいく理由、その理はある。

生まれてくるのは死ぬためである。
死を目的として生まれ、生きる。

生命エネルギーはなくならないために、人の死後の世界が生命エネルギーの
真の世界である。
その真の世界をどのような世界とするかが人生となっている。
幸せな世界としたいのか、不幸せな世界としたいのか、それを選べるのが
肉体をもっての経験である。
肉体が自分なのではなく、生命エネルギーが自分である。
その生命エネルギーである自分が、二度と輪廻転生せず、永遠の涅槃の世界で生きていくため、人は生まれてくる。
だから、死後の世界のために人は生まれ生きていくのである。
うまれてくるのは。苦しみである。生きていくのは苦しみである。
この苦しみから逃れるために生まれてくる。
生まれてくるのは、この事を悟っていないために、目的が分からず、わからない為に誤った行為となってしまい、目的にたどり着けないためである。
たどり着けない限り輪廻する。
だから悟ることである。知ることである。

生命エネルギーは不死であるために、肉体のなくなった後の世界が、自分の本当の世界である。肉体を持っての経験が縁となるために、悪をなすなと仏はいうのである。悪に縁を持つと、悪の有る世界を永遠に輪廻してしまい、救われない生命となり、苦しみの尽きることがなくなってしまうためである。
すべて、自分のために人生はある。
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