第三能変につけられた識という別名について、
「斯に由って、兼ねて所立の別名をも釈して能く境を了別するを以って名づけて識とは為すが故に。」(『論』第五・十七左)
「斯に由って」とは「了境為性相」を指し、立てられた所の別名をも説明して、よく境(対象)を区別して知ることを以って、識と名づけるからである。
- 「心」ー第八阿頼耶識を「心」といい、
- 「意」-第七末那識を「意」といい、
- 「識」-第六意識は「識」という別名を持つのです。「斯に由って」いわれていました「境を了すること」を自相・行相とも為す、といわれていたことが、同時に別名の識を説明したことになるといわれています。「境を了別」することが「識」と名づけられるからである、と説明されています。そして了別の働きは麤であるからともいわれます。
「 論。由斯兼釋至名爲識故 述曰。釋心・意・識三種名中所名識別名也 能了別境名爲識故。謂了別行麁故。非心・意名識。」(『述記』第五末・五十四左。大正43・418a)
(「述して曰く。心・意・識の三種名の中に名くるところの別名を釈す。能く境を了別するを名けて識と為す故にと云う。謂く了別の行麤なるが故に。心と意とを識と名くに非ず。」)
経典をもって会通する。経典の文を挙げる。
「契経に説けるが如し。眼識というは云何ぞ。謂く、眼根に依って諸々の色を了別す。広く説かば乃至意識とは云何ぞ。謂く意根に依って諸法を了別すと。」(『論』第五・十七左)
「論。如契經説至了別諸法 述曰。下會經也。此言可解。謂有問言。且如眼識。亦依餘根。縁境通能了一切法。云何但説依眼了色。不言依六・及七・八識了聲等耶。牒經問已 爲答此問故次論云。」(『述記』第五末・五十五右。大正43・418a)
「述して曰く。下は経を会するなり。此の言は解すべし。謂く有るが問うて言く。且く眼識の如きは亦余の根にも依る。境を縁ずることも通じて能く一切の法を了す。云何ぞ、但眼にのみ依って色のみを了すと説いて、六(分別依)と七(染浄依)・八(根本依)との依って声等を了すとは言わざるや。経を牒して問うなり。此の問に答へん為の故に。次の論に云く。」
『論』に言われていることから、経典の内容について疑問が起こると、『述記』には論述されています。経典では眼識は眼根に依って諸々の色を了別すると説かれているけれども、眼識の依り所は眼根だけではなく、分別依・染浄依・根本依の三つとあわせて、計四つを所依としているのではないか。また自在位には一切法を了別するといわれている。にも拘わらず「但眼にのみ依って色のみを了すと説いて、六(分別依)と七(染浄依)・八(根本依)との依って声等を了すと」言わないのか。という疑問です。「眼根に依って諸々の色を了別す」とだけ言われていて自在位には眼識が了別するはずの声等の一切法を挙げないのかということです。未自在位では眼識の対象認識は色境のみですが、自在位では眼識が認識するのは一切法なのです。このことを会通するわけです。前五識の所依・識が依り所とするのは五根だけではなく、分別依・染浄依・根本依の計四つの所依を持つと述べています。
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