能変差別門を閉じるについて整理をしておきます。
「謂く本頌の中に初能変の識は、唯所縁を明かし(不可知の執受処)、所依を明かさず。第二能変には倶にニ種ながらを明かせり(彼に依って転じて彼を縁ず)。此の六識は共の所依を明かして(根本識に依止す)所縁をば明かさず。麤にして而も且つ顕なり、又復極成するを以って頌の文に略して説かず」(『述記』)
- 初能変 第三頌(不可知執受処)で所縁を明らかにしています。
- 第二能変 第五頌(依彼転縁彼)で所依と所縁を明らかにしています。第八識を所依として転じて第八識を所縁とする、ということです。
- 第三能変 第十五頌(依止根本識) 六識すべては根本識(阿頼耶識)を所依として働いているわけです。
「前に義の便に随いて已に所依を説いて、此の所縁の境をば義の便に當に説くべし」(『論』)
前に(『論』巻四 依・所依の文 専註成唯識論ではp83・『論』巻五 六ニ縁証の文 専註成唯識論ではp103)(義の便に随って)已に所依を説いたので、ここでは此の所縁の境についても(第三能変の別名についての経典の会通の所論を指す。p108)義の便(意義内容をわかりやすく)のために当に説くのである。これはこの後に論議されます。
そして、第二自性門と第三行相門が開かれます。
第三能変は「差別なること六種有り」といわれますように、六識であることです。眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識ですが、「差別なること」つまりそれぞれが対象(所縁)を明瞭に認識する働きを持っているという事です。六識は第八識(根本識)を依り所としているのです。所縁はそれぞれ色境・声境・香境・味境・触境・法境であることが述べられています。前五識はニ群に分類され(A)眼識・耳識・身識の群で欲界と初禅に働き、(B)鼻識・舌識は欲界のみに働くといわれます。前五識と第六意識はともに表層のこころで、深層の第七・第八識と区別されるわけです。そして表層のこころは麤であり、深層のこころは細に働いていますから、表層のこころは自覚できる心作用であるということができます。第三能変は表層の心の働きを分析した心所論を展開します。具体的には六位五十一の心所論です。心所論は第九頌から第十四頌まで展開されます。そして第十五頌に「根本識に依止す。五識は縁に随って現ず。・・・」第十六頌に「意識は常に現起す・・・」心は何に依って動き、働くのかを明らかにしていますね。「縁に依る」ということです。それでは自相・行相をみていきます。
「次に了境為性相(りょうきょういしょうそう)と言うは、雙(そう)じて、六識の自性と行相とを顕す。識は境を了するを以って自性と為すが故に。即ち復彼を用って行相と為すが故に。」(『論』第五・十七右)
次に「境を了するを性とも相ともする」と言うことは、六識の自性と行相とを並べて顕すのである。なぜなら、識は境を了別することを自性(本質)としているからである。すなわち、また、そのことを以って行相(働き)ともするからである。所縁の境を了別するのは見分の作用(行相)であり、本質は直ちには顕すことができないので、作用をあげて本質も復、了境であるといわれています。(『唯識学研究』取意)
「 論。次言了境至爲行相故 述曰。於中有二。初釋頌。後會經。此初也。如前第七性相中解」(『述記』第五末・五十四右。大正43・418a)
(「述して曰く。中に於いてニ有り。初めに頌を釈し、後に経を会す。此れは初めなり。前の第七の性相の中に解するが如し。」)
第七末那識には識の所依論が述べられています。識の所依を種子依(因縁依)・倶有依(増上縁依)・開導依(等無間縁依)により、識相互の関係が述べられていました。(『専註成唯識論』p79~88)
第七末那識では我執がどのように捉えられているのかが論じられ、第三能変では六識の具体的な働きについて論述されているのです。
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