唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

初能変 第三 心所相応門(29)受の心所(5) 護法正義 (1)

2015-09-27 02:19:32 | 初能変 第三 心所相応門
 

 「彼の説くこと理に非ず。受は定んで倶生の触を縁ぜざるが故に。」(『論』第三・二左)
 護法菩薩の論破は一言を以て尽きています。正理師は自性受を以て受の自相と主張しているが、受は、触と倶生である、倶生であるところの触を縁ずるということはできない。つまり、所縁の対象とすることが出来ない。認識の対象としての触はどこにもないからであり、ここを以て正理師の説くことは理に合わないのである。
 『述記』は逆に問いを以て正理師に訊ねています。
「述して曰く、今は彼に問うべし。如何ぞ受は能く倶なる触を領すと説く。」
 何故、受は倶生の触を縁ずると説くのか?倶なる触を領納することはできないではないか。何故ならば、受は定んで同時倶生の触を縁ぜざるべし。同時に一緒に起こってくる触を、受は認識することはできないのである。受け取ることが出来ないんだということですね。
 よって
 「故に縁ずと云うを以て受いい触を領すと名づくとは説くべからず。・・・若し触は前にして受は後ならば、(相前後するならば)後の受が前の触を領すべし。既に前の触を縁ぜずんば如何が名づけて領とせんや。・・・」
 慈恩大師はやさしいですね。ここに救済方法を正理師に変わって弁明されています。
 論主の論破はよくわかります。しかし、触を縁じて受が起こると云っているのではないのです。
 「倶時の触に似るを以て説いて名づけて領とす。」(『述記』第三末・十六左)
 論主は、この主張をも批判して論破されます。
 「若し触に似て生ぜるを以て触を領すと名づけば、因に似たるの果は皆受が性なるべし。」(『論』第三・三右)
 『演秘』に喩がでています。
 「順正理を按ずるに云く。父の子を生む時に、子の媚好皆な父に似たるが如し。亦だ果を種より果を生じ因に似るが如し。受が触に従って生ずる、まさに知るべし。亦た爾なり。」(『演秘』第三末・五左)
 受は触を縁じて、それを受け取るのではなく、受は触に似て起こってくるのである。それを触を領すると名づけているのである、と。
 そうしますと、因が触で、受が果になります。つまり、因である触に似た果である受は、すべて受が性になってしまうであろう。それはおかしいではないか、と再論破されてきます。触に似て起こってくるのが受であれば、すべてが受になってしまうからですね
 「又既に因を受するを以て因受と名づくべし。何ぞ自性と名づけん。」(『論』第三・三右)
因を受するということであれば、因である触を受するわけだから、因受と名づけるべきであろう。どうして自性受と名づけるのか。論主が突っ込んだ問いをだされてきます。
 本科段の意味するところは、
「触は能く受を生ずるを以て、即ち是は受が因なり。既に因を領するを以て因受と名づくべし。自性受と名づけるや。理に於て成ぜんや。此れ名を難じて破す。」(『述記』)
 ここで、又慈恩大師が、何故、自性受というのか、と正理師に変わって釈明します。
 「受は是れ触が果なり。触は是れ受が因なり。受(王)は能く触(土田)の所生の体(禾稼(カカ)実った穀物)を領す。即ち受の自ずから領する義なり。自主受と名づく。触を領すと言うは所依に従って説く。邑を食うと言えども彼が所生を食うが如し。」と。

 禾稼について、幕末の志士、吉田松陰の遺言。
 「今日死を決するの安心は、四時の順環に於て得る所あり。蓋(けだ)し、彼の禾稼を見るに、春種し夏苗し秋苅り冬蔵す。秋冬に至れば、人皆その歳功の成るを悦び、酒を造り、醴を為り村野歓声あり。未だ曾て西成に臨んで歳功の終るを哀しむものを聞かず。吾れ行年三十一。事成ることなくして死して禾稼の未だ秀でず実らざるに似たれば、惜しむべきに似たり。然りとも義卿の身を以て云えば、是亦秀実の時なり。何ぞ必ずしも哀しまん。何となれば、人事は定りなし。禾稼の必ず四時を経る如きに非ず。十歳にして死する者は十歳中自ら四時あり。二十は自ら二十の四時あり。三十は自ら三十の四時あり。五十 百は自ラ五十、百の四時あり。十歳を以て短とするは惠蛄(夏蝉)をして霊椿(霊木)たらしめんと欲するなり。百歳を以て長しとするは霊椿をして惠蛄たらしめんと欲するなり。斉しく命に達せずと。義卿三十、四時已に備亦秀。亦実その秕たると、その粟たると、吾が知る所に非ず。若し同志の士、その微衷を憐み継紹の人あらば、乃ち後来の種子未だ絶えず。自ら禾稼の有年に恥ざるなり。同志其是を考思せよ。」

(訳)今日、私が死を目前にして落ち着いていられるのは、四季の循環というものを考えたからです。おそらくあの穀物の四季を見ると、春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈り取り、冬それを蔵に入れます。秋や冬になると、人は皆その年働いて実った収穫を喜び、酒などを造って、村は歓声にあふれます。未だかつて、秋の収穫の時期に、その年の労働が終わるのを哀しむということは、聞いたことがありません。私は享年三十歳。一つも事を成せずに死ぬことは、穀物が未だに穂も出せず、実もつけず枯れていくのにも似ており、惜しむべきことかもしれません。されども私自身について言えば、これはまた、穂を出し実りを迎えた時であり、何を哀しむことがありましょう。何故なら人の寿命には定まりがなく、穀物のように決まった四季を経ていくようなものではないからです。十歳にして死ぬ者は、その十歳の中に自らの四季があります。二十歳には二十歳の中に自らの四季があり、三十歳には三十歳の中に自らの四季があり、五十歳や百歳にも、その中に自らの四季があります。十歳をもって短いとするのは、夏蝉を長寿の霊椿にしようとするようなものです。百歳をもって長いとするのは、霊椿を夏蝉にしようとするようなものです。それはどちらも、寿命に達することにはなりません。私は三十歳、四季は己に備わり、また穂を出し、実りを迎えましたが、それが中身の詰まっていない籾なのか、成熟した粟なのか、私には分かりません。もし、同志のあなた方の中に、私のささやかな真心に応え、それを継ごうという者がいるのなら、それは私のまいた種が絶えずにまた実りを迎えることであって、収穫のあった年にも恥じないものになるでしょう。同志の皆さん、このことをよく考えてください。


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