『再会』 追加 (1) その①
「種子現行の関係は因果同時、同時ということが過去も過去という現在、未来も未来という現在、本来的時間性、この現行は一瞬、現在といえば一刹那、現行一刹那ということは世界は一刹那よりない、我々の存在はひといきにあって、息を吸う息の中に人生がある。種子というところに異時、いつでも一年、それが異時、連続一念を引延ばすのが多念でない。いつでも一念ということが多念、種子と現行は論理的意味でない。存在の因果であるが、併しそれはただ異時でない、ただ同時でない、時間というものは存在の時間、時間的在り方をして存在しているものは種子現行。種子は本願、現行は大行、本願の現行を通して本願にかえる、現行を通して本願に目ざめる。
後序では時間というものが何月何日という暦の形であらわされている。前序の方では時というものが劫というようなものを単位にしている時間で現されている。億劫、多生曠劫、一方は日常時間、一方は神話的時間、これによって日常的時間というものが単に日常的でない。神話的時間という意味をもっているとともに、神話的時間はまた日常的時間として具体化されている。こういうように意味と意味の充足、そういう関係で両者がつながっている。こういう意味で時間、時というものの意識というものが現されている。つまり本願の時間というものが、こういう形で日常的であるとともに神話的であるという形で、本願の時間というものが現されているところに意義をもっている。
(つづく)
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