唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変 能変差別門 (30) 疑問に答える。

2012-08-22 22:47:57 | 心の構造について

 已に所依が説かれたのと同じように、所縁の境についても説かれる。

 「前に義の便(びん)に随って、已に所依を説いて、此の所縁の境をば義の便に当に説くべし。」(『論』第五・十七右)

 (前に、「義の便に随って」(内容をわかりやすく説明するために)、すでに所依について説いた。ここでもこの所縁の境についても、義の便に随って、まさに説くのである。)

  • 「前」とは - 巻第四の所論と、巻第五の所論を指す。巻第四の所論は所依について述べられる。「若し法が決定せり、境を有せり、主たり、心心所をして自の所縁を取ら令む、乃ち是れ所依なり、即ち内の六処ぞ、」と「此の理趣に由って、極成の意識は、眼等の識の如く、必ず不共なり、自の名処を顕し等無間に摂められず、増上なる生所依有るべし、極成の六識の随一に摂めらるるが故に」
  • 「当に説くべし」とは - 「契経に説けるが如し、眼識というは云何ぞ。謂く、眼根に依って諸の色を了別するぞ。広く説く、乃至意識というは云何ぞ、謂く、意根に依って諸法を了別するぞ。」

「論。前隨義便至義便當説 述曰。然所依少別前已廣論。所縁別者義便當説。謂次下引云眼識云何即是説也。宗明唯識故不明境 又解前文非明頌無。我長行中以麁顯故不別説也。謂如瑜伽等説。眼謂四大所造淨色爲性6有見有對。各從自種生。或是異熟。或是長養。通何界繋。漏・無漏等。斷・不斷等。有衆多門。非此所明我亦不説。此解第二句差別有六種訖。即前言種類義是差別義。謂隨六根・境立六識名。即義差別有六種也。」(『述記』第五末・五十四右。大正43・417c)

 (『述して曰く。然るに所依の少別なること前に已に広く論ず。所縁の別なるは義の便に当に説くべし。謂く、次下に引て云く、眼識云何と云えり、即ち是れ説なり。唯識を宗として明かす、故に境を明かさず。又解す。前の文(前科段の文)は頌に無きことを明かすには非ず。我が長行の中に麤顕なるを以ての故に別に説かず。謂く瑜伽(巻第一)等に説くが如し。眼は謂く四大所造の浄色を性と為す、有見無対なり。各自種従り生ず。或いは是れ異熟なり。或いは是れ長養なり。何ぞ界繋に通ずるや。漏・無漏等・断不断等という。衆多の門有り、此の所明に非ず。我亦説かず。此れは第二句の差別有六種というを解し訖る。即ち前に種類義是れ差別の義なりと言えり。謂く六の根と境とに随って六識の名を立つ。即ち義いい差別するに六種有り。」)

 「自下解第三句第二三の門也。」

 (自下は第三句の第二・三門を解す。)


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