蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

きりこについて

2024年10月08日 | 本の感想
きりこについて(西加奈子 角川文庫)

きりこの外見は誰が見てもブスなのだが、本人には全く自覚がなかった。しかし小学5年生のとき、好きになった同級生に指摘されて深く傷つく。きりこは捨て猫だったラムセス二世と部屋に閉じこもるが・・・という話。

私にとって西さんの作品は(あくまで私にとって、だが)当たり外れが非常に大きい。「漁港の肉子ちゃん」なんて我が読書史?の中でも有数の大傑作だと思えたし、賞を得た「サラバ!」も良かった。
一方で世評が高い「きいろいゾウ」なんかは全くピンとこなかった。

申し訳ないけど本作は(ワタシ的には)ハズレ(失礼)の方で、どこがよいのか理解できなかった。
私が読んだ本の奥付を見ると文庫(本作は単行本を文庫化したもの)で35版であるから世間の評価はとても高い、のではあるのだが。。。。

本作を買ったのは、表紙カバーが、くるねこ大和作だったから。中央に大きく描かれたラムセス二世は、兄ィがモデルかな?
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漁港の肉子ちゃん(アニメ映画)

2022年10月10日 | 映画の感想
漁港の肉子ちゃん(アニメ映画)

喜久子は、シングルマザーの菊子とひなびた漁港に係留された船(改造して住宅風の内装になっている)で暮らしている。菊子はほうぼうで男に騙されたあげく、この漁港に流れ着いて今は焼肉屋で働いている・・・という話。

原作の小説を読んだときは、たいそう感動した。今振り返っても私の読書人生?でも指折りのお気に入りだ。
なので、大変に期待して見た。うーん、原作と筋立てはほぼ同じなのだが、物語の持つ雰囲気がことなるかなあ、という感じだった。

原作の喜久子は、超能力者?で難しい文学作品を読みこなしている、という浮世離れした小学生、という設定で、この設定が本筋のド演歌&浪花節的展開とうまく絡み合って独特の味わいがあった。

映画では、喜久子がただのスレンダー美人の小学生で、シングルマザーのちょっとイイ話程度に落ち着いてしまっていたように思えた。
肉子だけをデフォルメして描いたのも、あまり効果的とは思えなかった。

美術(背景画)は繊細で素晴らしかった。
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きいろいゾウ

2018年06月03日 | 本の感想
きいろいゾウ(西加奈子 小学館文庫)

小説家のムコ(武辜歩)は、配偶者のツマ(妻利愛子)と、田舎の古い家に住んでいる。小説はあまり売れないので、ムコは近所の介護施設で働いている。
ムコの小説が売れ始めてプロモーションなどのために上京することになるが、東京には昔の恋人がいて・・・という話。

西さんの小説で読んだことがあるのは「漁港の肉子ちゃん」のみなのですが、タイトルとはウラハラに??これがとんでもない傑作でした。
「他の作品も読もうかな」と思っていたのですが、ちょうど「サラバ」などで人気爆発してしまったので何となく遠のいていました。

「漁港の肉子ちゃん」は、現実的な場面と幻想的な場面のバランスがよいのが特に気に入ったのですが、本作はやや後者の方に比重があって、章の間に挿入される「きいろいゾウ」の童話と相まってファンタジーに近いかな?という感じでした。
というか、終盤までツマはムコの想像上の(=自分の小説の登場人物)キャラなのかと思って読んでいました。

本作で気に入ったのは登場人物・動物につけられたあだ名で、
近所の、いつもズボンのチャックが全開のアレチさん(名字が荒地なので)
近所をうろつく野良犬=カンユさん(肝油ドロップ缶をかぶっていたことがあったので)
庭に侵入してくるチャボ=コソク(姑息なしぐさなので)
妻鹿(めが)さんの飼い犬=メガデス
あだ名じゃないけど、「モッツアレラ・バッカ」という品種のチーズをツマが「モッツアレラ・ばか」と(わざと)言い間違えるのも面白かった。
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漁港の肉子ちゃん

2016年07月23日 | 本の感想
漁港の肉子ちゃん(西加奈子 幻冬舎)

小学生の主人公(喜久子)は、シングルマザーの母親(菊子。太っているのでニックネームは肉子という)の男遍歴に従って様々な地域を転々とする。母親は何もかもおおざっぱで男ぐせも悪いが、人好きのする性格でどこにいっても円満な人間関係を築いている。二人は(母親のオトコを追って)北陸のひなびた漁港に辿り着き、そこで(母親は)焼肉屋の住み込み従業員になる・・・という話。

喜久子は小学生のくせに、母の恋人が置いていった文学書をよみふけり、悟りきった教祖のように世の中の仕組みがとても良く見えているし、そういう自分自身を自覚してもいる。しかし彼女は他の人には見えないものが見え(漁港に佇む今は亡き三つ子とか)、聞こえない音(トカゲのつぶやきとか)が聞こえる。

そういう小学生は、いくらなんでも現実離れしているなあ、と思いつつ、喜久子のような子供になってみたかったなあ、なんて思ってページをめくる手が止まらなかった。
そして終盤、母と娘の名前(読み仮名)が、なぜ同じなのかが明かされる場面では、めったに得られない読書による圧倒的感動(所かわわず感泣したくなるような感動)があった。

西さんの作品を読むのは初めてだった。普段は嫌気がさす幻想的な場面も非常に魅力的で、それ以上に現実世界の描写も恐ろしいほどに力強かった。
並の作家が書けば退屈極まりなさそうなシングルマザーと娘の話がこれほどまでに見事な「小説」になるなんて・・・久しぶりに興奮を覚えるような読書体験を味わえた。

(蛇足)
こんなにすごい作品なのだが、タイトルが少々アレなうえに、装丁の絵が(そのタイトルには見合いなのだた)けっこう強烈なことで、損しているような気がする。直木賞を(別の作品で)とった今となっては無意味な心配だが)

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