蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

ブラックペアン1988

2018年08月05日 | 本の感想
ブラックペアン1988(海堂尊 講談社文庫)

東城大学病院の佐伯外科部長は消化器関係の手術技術が抜群。その東城大学へ、ライバルの帝華大学から高階医師が派遣されてくる。高階は、スナイプという食道の手術器具の導入を提唱するが、佐伯は否定的。医師になったばかりで、出身の東城大学病院で修行中の世良の視点から佐伯と高階の確執を描く。

テレビドラマは1回だけしか見ていないのですが、面白かったので原作を読んでみました。テレビでは主役の渡海医師は、小説では(重要な役ではあるものの)脇役で、本作では世良の成長物語が展開されます。
ある程度著者の経験に基づく筋立てのようで、例によって聞き慣れない専門用語が(あまり説明なしに)飛び交うものの、それがかえって手術場面では臨場感を高めています。

私にも消化器系の大きな手術をした親族がいます。5時間くらいかかって手術が終わった後、執刀医から説明がありました。
摘出したばかりの臓器などを見せられてちょっとぎょっとしたのですが、それ以上に驚いたのは
「開腹したら当初見込みよりも病変が広がっていてXXとXX(臓器の名前)も摘出しました」
とあっさり言われたこと。
まあ、手術中に本人や親族の了解を得るわけにはいきませんし、事前の同意事項にそういう項目があるのでしょうが、
「医師の裁量って広いんだなあ」あどと思ったものです。(急いで付け加えると、その親族はこの手術のおかげで(術後8年経った今も元気です)

本作では、手術中にあやまって血管を傷つけてしまい、切除範囲を広げる検討を行う場面があります。そこを見事な手技で救うのは渡海医師なのですが、テレビでは、手術に失敗して渡海がそれを収拾する場面が毎回のようにあったそうで、医療不信を招かないか心配です。

蛇足ですが、(1回見ただけでナニですが)ドラマのキャストでは佐伯教授役の内野さんが原作のイメージにぴったりでした。渡海は・・・うーん、原作とはかけ離れていたなあ。
まあ、ドラマ自体が原作とは全くの別物のようなので、そんなことを言ってもむなしいのですが。
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トヨタ 現場の「オヤジ」たち

2018年08月04日 | 本の感想
トヨタ 現場の「オヤジ」たち(野地 秩嘉 新潮新書)

中卒(後、トヨタの訓練校を経た)の河合満さんは、工場勤務の叩き上げで、トヨタの副社長まで上り詰める。若い頃から鍛造部門にいて勤務前後に会社の風呂にはいるのが習慣で、それは今でも変わらないという。
技量とリーダーシップに秀でた工場勤務者をトヨタでは尊敬を込めて「オヤジ」と呼ぶそうで、河合さんも副社長になった後も工場に行けば「オヤジ」と呼ばれるそうである。

近年、組織の改革・改善のために、外部者の意見を取り入れることの重要性が説かれている。コーポレートガバナンス改革で、社外取締役の導入が必須とされていることなどが一例だ。同質な人ばかり構成された組織は硬直化し陳腐化するので、いろいろな意見を取り入れる多様性や開放性を維持することが必要だという。
レスリングとかアメフトといったスポーツ界でも清一色に染められた同質性から来る弊害が顕著である。※

本書を読むと、トヨタは、昔ながらの体育会体質でモノ作り精神で凝り固まってしまっているように思えなくもない。
世界中に工場と販売網を持ち数十万人従業員がいて、販売台数世界一を競うような会社なので、経営陣は高学歴エリートばかりになってしまいそうなものだ。あえて中卒はえぬき社員を副社長にしたところが、むしろ多様性の一環なのかもしれない、とも思った。

※(蛇足)
同質性が極めて濃厚なスポーツとして大相撲が挙げられると思う。
近年、たびたび選手(力士)の不祥事や経営陣(相撲協会、親方)の内紛などが明らかになったが、外部の人やその意見を受け入れようという姿勢はほとんど見られず、かたくななまでに力士と力士OBである親方のみによる運営にこだわっているようだ。
ところが、一方で大相撲は、外国人選手の受入とその育成という点では日本で最も開放的なスポーツ界でもある。なにしろ、有力選手のほとんどが外国人で、日本人が優勝することはめったにないのだから。
それでいて、チケットを取るのが難しいほど、興行としても大きな成功をおさめている。
閉鎖性・同質性と開放性・多様性の奇妙な融合・・・
人事マネジメントの研究者にこの不思議な世界の謎解きをしてもらいたいなあ。
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