蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

沈黙

2017年02月12日 | 本の感想
沈黙(遠藤周作 新潮文庫)

子供のころ、近所にキリスト教会がありました。教会といっても、洋館風の建物で屋根の上に十字架がある、みたいな外見ではなくて、普通の和風?の民家だったのですが、玄関の横に「悔い改めよ」的なプロパガンダ?が大きな字で書かれた看板があって、怖くて近づけなかった覚えがあります。

キリスト教関連のもろもろが、子供ごころに怖かったのは、十字架にかかったキリスト像が恐ろしかったからで、どうして人を死刑にしたところを描写した像を拝むのかさっぱり理解できませんでした。そして、もう一つ、中学校時代に読んだ本書で「穴吊り」という究極ともいえる拷問方法を知って、ふたたび恐怖を感じた、という記憶もあります。(こちらはキリスト教そのものを対象にした恐怖ではありませんけど)

キリスト教について学んだり調べたりしたことがないので、どうして磔刑姿を偶像化したのか今でもよくわからないのですが、自分勝手に思うには、それを見る人に原罪意識を想起させるためなんでしょうか??
原罪を背負って生きなければならない浮世は苦しみに満ちていて信仰だけが死後の救済を保証する、というのが原理なのではないかと、これまた勝手に思っているのですが、そこからは本書の主人公がさかんにつぶやく「なぜ全知全能の神は現世で苦しむ私たちを(今すぐ)救済しないのか」という疑問は発生しないように思います。
一見、キリスト教における神を否定しているかに見える本書が、多くの聖職者や寝所に受け入れられている(らしい)のも、信仰によって現実世界における便益を期待してはいけないのだ、ということをうまく説明しているからではないかと感じました。
ただ、主人公(およびその師であるフェレイラ)は強大で厳格な教団のエリートという設定なので、もし、私の考えが正しいのなら、そんなことを理解していないというのはおかしな話で、ということは、やはり私の考えは誤りなのでしょうね。

(これまた怒られてしまうかもしれないのですが)本書の舞台となった時代は島原の乱の直後で、江戸幕府側の視点からすれば、キリスト教団は大規模な内乱を起こす能力があるテロ集団そのものだったでしょう。そして、どれだけ弾圧しても転ばない信者たちは、マインドコントロールから抜け出せない愚者に見えたことでしょうし、マカオから潜入してくる宣教師はテロリストの首魁というふうに見えていたことでしょう。さらに視点を裏返すと、現在の中東地域とかの特定宗教の信者から見ると、西側先進国は当時の江戸幕府と同じように見えるのでは?なんてことも思ってしまいました。

初めて本書を読んだ中学校時代から幾星霜、スコセッシまでが愛読者?だったことを知って(拷問シーンなどを読むのが怖くて)恐る恐る再読してみたのですが、ほとんど寄り道せずに一直線にテーマを語る手法で最初から最後まで緊迫感を保ったとても良い小説でした(そして拷問などの残虐な描写はほとんどありませんでした。記憶というのはいいかげんなものですな)。
凡庸な作家なら、マカオの情勢やロドリゴやフェレイラの昔のエピソードとかを挿入して緊張を途切れさせてしまったのではないかと。

コメント
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