2019.12.8. Sun.
上野の美術館巡りの前の腹ごしらえに。 連れとこぱんちゃんの3人で。
「「並木藪蕎麦」は、1913年(大正2年)、かんだやぶそばの初代・堀田七兵衛の三男・堀田勝三が創業した。もともと藪蕎麦は、1880年(明治13年)、浅草蔵前のそば屋「中砂」の四代目・堀田七兵衛が、神田連雀町(現・神田淡路町)にあった「蔦屋」の支店「団子坂支店・藪蕎麦」の暖簾を譲り受け開業したのが、現在の「神田藪蕎麦(かんだやぶそば)」の始まりである。その後、1906年(明治39年)、江戸から明治にかけて一世を風靡した名店「団子坂藪蕎麦・蔦屋」は、三代目・三輪伝次郎による相場の失敗により廃業に追い込まれた。廃業後の「藪蕎麦」の暖簾は、神田連雀町の「神田藪蕎麦」に受け継がれた[2]。 「神田藪蕎麦」の初代・堀田七兵衛は、長男が早死にしたため、本店を次男・堀田平二郎に継がせた。その時、既に京橋でそば屋を始めていた三男・堀田勝三には、京橋の「藪金(団子坂藪蕎麦の四天王)」という当時の有名店を譲り受け、その店を持たせた。その後の、1913年(大正2年)、京橋の店が借地だったため、地主に土地の明渡しを求められ、浅草並木町に移転し開業した店が現在の「並木藪蕎麦」である。 「藪御三家(かんだやぶそば、並木藪蕎麦、池の端藪蕎麦)」の一角を担う店として知られている。ごひいき筋から「雷門の藪」とも呼ばれている。また、蕎麦の文化は江戸時代に始まり、江戸生れの「藪」、大阪が起源の「砂場」、信州出身の「更科」は、老舗御三家と呼ばれていた。」 ~Wikiより~
開店前に20分ほど並んで入店。 待っている間に、こぱんちゃんが雷門前のおこしを買ってきてくれる。
天ざる
やまかけ
花巻
喉越し良し、風味良し。 お出しはいかにもな関東風。 想像通りのお味。
流行りの十割の味わうお蕎麦も良いけれど、こういうレトロなお蕎麦も美味しい。
しっかり粉の詰まった感じではなく、優しい喉越しです。
粋を装い、さっと退席。(笑)