日々是勉強

気軽に我流でワインを楽しんでみようかと。

島根県立古代出雲歴史博物館

2008-06-24 21:40:01 | Museum
島根県立古代出雲歴史博物館
 「出雲大社境内遺跡出土の宇豆柱」中央ロビー展示

   出雲びとの大きな心のより所となってきた出雲大社。この出雲大社境内から平成12年に発見された、「宇豆柱(うづばしら)」を展示します。
 「出雲大社と神々の国のまつり」

   巨大神殿であったとされる出雲大社のなぞを中心として、島根に生きる人々の心の営みの歴史を様々な角度から紹介。
 神話展示「出雲神話回廊」

   神々の国、神話のふるさととも呼ばれる島根。「古事記」や「日本書紀」には、スサノヲのヤマタノオロチ退治など、出雲を舞台とした神話が記され、「出雲国風土記」には、国引き神話など地域色豊かな神話が伝えられています。この島根を舞台とした神話伝承を分かりやすく、かつ楽しみながら紹介します。
 「石州銀」展 ~石見銀山 遺跡世界遺産登録1周年記念

   H19年7月、世界文化遺産に登録された石見銀山遺跡。かつて大量で良質な銀を生産し、16世紀後半から17世紀初めにかけて国内外に影響を与えた日本有数の銀鉱山です。ここで生産された銀は、戦国時代から江戸初期にかけて、板状のものに加工されて海外にもたらされ、また、国内では軍資金や恩賞用、あるいは実際の流通貨幣として利用されました。
 貨幣の収集界では今日、古丁銀と呼ぶ資料があります。おおかたは長楕円形をした板状のもので、江戸幕府の貨幣政策の下で製作された、いわゆるなまこ型の丁銀に先行するタイプです。その代表が、石見銀山産出の石州銀(石見銀)であったことは言うまでもありません。しかし、現存する例は少なく、しかも完全なかたちで伝わることが極めて稀です。
 島根県はこれまで、石見銀山遺跡の世界遺産登録に向けた取り組みの中、様々な角度からの総合調査や情報発信などを行ってきました。その中で、石州銀山を語る上で貴重な石州銀の購入収集にも努めてまいりました。その代表例が、いまでは石見銀山の広報に欠かせなくなった御取納丁銀です。
 この特集展は、石見銀山遺跡が世界遺産に登録されてから、ちょうど1周年を迎えるのを記念して企画しました。折しも石州銀の完全品を収集されている関西のコレクターの方から、当博物館が一括して寄託を受けることになり、今回まさにその名どおりの「石州銀展」が可能となりました。
 寄託いただいた資料は、古丁銀の個人コレクションとしては最も優れたものであり、これらが島根県所有のものとをあわせて一堂に公開されるのは、今回の特集展示が初めてです。是非この機会に、古丁銀の完全品、そして石州銀の魅力をご鑑賞いただきたいと存じます。
 「加茂岩倉銅鐸の世界」展
 
   国の文化審議会は、加茂岩倉遺跡出土銅鐸39個について重要文化財から国宝へと格上げすることを答申しました。
これにより「国宝 島根県加茂岩倉遺跡出土銅鐸」が誕生することになりました。
これらの銅鐸は、1996年の発見以来、地元雲南市をはじめ関係諸機関協力のもと、発掘調査・報告書作成・保存修復・調査研究が行われ、昨春の古代出雲歴史博物館の開館により、念願であった39個全ての銅鐸を常時展示公開することができるようになりました。
   今回の特別陳列は、新たに国宝に加わったことを記念して開催するものです。銅鐸を、ふだん公開することの稀な貴重な関連資料とともに展示し、文様表現の巧み、製作技法の妙など、銅鐸そのものの魅力についてご紹介いたします。銅鐸にいつもより一歩近づき、いろいろな角度からじっくりとご鑑賞いただけるこの機に、銅鐸が有する豊かな個性と、秘められた魅力を発見していただきたく存じます。
 「絵で見る考古学」by早川和子
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「八雲立つ風土記の丘」資料館

2008-06-24 21:36:40 | Museum
「八雲立つ風土記の丘」資料館 http://www.yakumotatu-fudokinooka.jp/
 休館日だったにも関わらず、我々のためにわざわざ館を開けてくださった。感激
 意宇(おう)のVTR
   出雲の中央部に位置する意宇平野(風土記の丘地域)は、国引き神話の最後に象徴的に登場するように、古代出雲の国造りの中心地でした。
 古墳時代の遺物・埴輪の紹介
     「獅噛環頭大刀」・「馬・鹿・家埴輪」・「銅鐸群」・「鹿埴輪」

   風土記の丘地内は、弥生時代後期以降、有力な人物の墓である墳墓や古墳が築かれています。古墳時代後期には、山代二子塚古墳に埋葬された人物が力を持ち、出雲東部の盟主となります。
 額田部臣銘文入太刀
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Q 額田部臣銘文入太刀がどうして重要なのか教えて下さい。
A この太刀から見つかった文字は 12 字。そのうち意味が分かるのは額田部臣の 4 文字だけである。しかしこれが重要なのだ。
一般に 6 世紀には日本では部民制と氏姓制という支配制度が存在してると考えられていた。この根拠は 8 世紀に作られた日本書記などの記載であった。しかし、この太刀は 6 世紀にこの支配制度が成立していた物的証拠になったのである。(玉を作り大王に納める人々を「玉作部」というように○○部とし天皇や中央の有力豪族のための食料、衣料、労働力などを奉仕させる義務を負わせる。これを部民制という。地方豪族は「臣」、「連」などの称号、すなわち「かばね」を与えられ、部民をまとめる中間管理職となった。これを氏姓制という。)
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 資料館の周りには、古墳が点在。敷地内にも遺跡がちらほら。
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