老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

歴史と歌と(2)―「死んだ男の残したものは」

2020-09-26 15:01:27 | 戦争・平和
(1)「死んだ男の残したものは」の背景

先日、久しぶりに「死んだ男の残したものは」を聞いた。

ベトナム反戦の声が叫ばれていた1965年、作詞谷川俊太郎・作曲武満徹という当時の日本を代表する俊才二人によって作られたこの曲は、多くの歌手によってカバーされている。今回聞き直してみると、当時はあまり見えていなかった歌の深みが見えてきた。

作詞した谷川俊太郎は、1931年生まれ。父親は、哲学者谷川徹三。1945年の東京大空襲を経験している。作曲した武満徹。1930年東京生まれ。軍隊経験あり。ほとんど独学で現代音楽作曲家として第一人者となる。

両者に共通しているのは、東京生まれで戦争体験者。特に谷川は、東京大空襲で戦争下での庶民の惨状を最も感性の鋭敏な時代に経験している。

「死んだ男の残したもの」の歌詞には、この谷川の経験が随所にちりばめられている。

「死んだ男の残したものは」
1.
死んだ男の残したものは
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

2.
死んだ女の残したものは
しおれた花とひとりの子ども
他には何も残さなかった
着もの一枚残さなかった

3.
死んだ子どもの残したものは
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
思い出ひとつ残さなかった

4.
死んだ兵士の残したものは
こわれた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった
平和ひとつ残せなかった

5.
死んだかれらの残したものは
生きてるわたし生きてるあなた
他には誰も残っていない
他には誰も残っていない

6.
死んだ歴史の残したものは
輝く今日とまた来るあした
他には何も残っていない
他には何も残っていない

谷川の戦争の記憶は、2番と3番の歌詞に凝縮されている。
「死んだ女の残したものは/しおれた花とひとりの子供/他には何も残さなかった/着物一枚残さなかった」

大空襲の惨禍は、空襲の後、外に出た時、はっきり見えたはずである。必死に子供をかばって息絶えた女は、焼夷弾によって着物もほとんど焼かれていた。息絶えた彼女の傍らには、熱でしおれた花と泣きじゃくっている子供だけがいた。

また歩いていると、死んでいる子供の姿にも遭遇した。爆風によってねじれた脚。ほほに残った涙の後。どれだけ痛かったか。どれだけ苦しかったか。こんな小さないたいけな子供が死んでいる。思いですらこの世に残せなかった。まして、生きている痕跡も言わずもがな。

そして、谷川にとって、歴史とは、「死んだかれらの残したものは/生きてるわたし生きてるあなた/他には誰も残っていない」。谷川は、決して「国破れて山河あり」とは、歌わなかった。「生きてるわたし/生きてるあなた」と歌う。何より人間を大切にしている。

だから、6番で「死んだ歴史の残したものは/輝く今日とまた来る明日・・」以外にないと歌う。何より人間に興味がある谷川俊太郎らしい歌である。

(2)歌手による曲の解釈

この歌は多くの歌手によってカバーされている。代表的な歌手を紹介しておく。

森山良子
https://search.yahoo.co.jp/video/search?p=%E6%AD%BB%E3%82%93%E3%81%A0%E7%94%B7%E6%AE%8B%E3%81%97%E3%81%9F%E3%82%82%E3%81%AE&tid=b620c63067ca992cc7261f9a1019807a&ei=UTF-8&rkf=2&dd=1
高石友也
https://www.uta-net.com/movie/242057/0eCmsG36NAY/
友竹正則
https://search.yahoo.co.jp/video/search?rkf=2&ei=UTF-8&dd=1&p=%E6%AD%BB%E3%82%93%E3%81%A0%E7%94%B7%E6%AE%8B%E3%81%97%E3%81%9F%E3%82%82%E3%81%AE
カルメン・マキ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8396462
長谷川きよし
http://www.youtube.com/watch?v=EYCaLh9vDE4

🔶森山良子にしろ、高石友也にしろ、友竹正則にしろ、みなうまい。彼らに共通しているのは、一種の明るさである。時代は高度成長期のとば口。それほど豊かとは言えなかったが、【貧困】とは程遠かった。

貧しさと貧困は違う。わたしたちの学生時代は、みな貧しかった。ボロ服を着て、ろくなものは食えなかったが、明日の日を絶望してはいなかった。水前寺清子の「ボロは着てても 心の錦」が実感でき始めた時代のとば口だった。現代の【貧困】は、明日の希望が持てない時代。心の灯が消え去ろうとしている時代。

だから、フォーク歌手の彼らの歌う「死んだ男の残したものは」には、ある種の希望があった。

🔶ところが、カルメン・マキと長谷川きよしの歌は、3人とは違う。もう一つ深い情念が込められた歌だと思う。

ほとんどの方がご存じだと思うが、この二人は、存在それ自体が他の歌手とは全く違う。舞台に立つだけで、周囲が全く異質な空間になる。歌は歌手の人生それ自体を映し出す鏡のようなものだと言う事が実感できる。

🔶最後に紹介したいのは、わたしに遠い青春時代のこの歌を思い出させてくれた現代の歌手。【樹根】という歌手である。

静岡県を中心に活躍しているそうだが、素晴らしい歌唱力の持ち主である。彼がアップしている「死んだ男の残したものは」は以下で聞ける。
https://www.youtube.com/watch?v=unNgJVgSVuk&list=RDplb-qwPQAX8&index=16

【樹根】という歌手の歌をもう一つ紹介しておく。「カルチエラタンの雪」。元歌は布施明。カルチエラタンとは、1960年から70年代に青春を送った人々には懐かしい場所である。フランスの学生運動が燃え盛った場所でもある。
https://www.youtube.com/watch?v=Tg67aAeRUNU&list=RDH-Vkp2H5oUw&index=26

「死んだ男の残したもの」のような時代を切り結ぶ歌を歌うには、歌手の人生それ自体が問われる。時代と歌手の向き合い方が問われる。

詳しくは知らないが、【樹根】という歌手の人生には、それなりの辛酸が込められているはずである。そうでなくては、あんな歌は歌えない。そうでなくては【樹根】などという名前は付けないはずである。おそらく、フランスの作家ジュネをもじっているはず。ここに彼の韜晦が込められている。

※ジャン・ジュネ  フランスの詩人・小説家。代表作 泥棒日記 

「護憲+BBS」「明日へのビタミン!ちょっといい映画・本・音楽・美術」より
流水

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