3月末に韓国映画「金子文子と朴烈」を観た。東京新聞の夕刊に載っていた宣伝写真を見て興味を引かれ、予告編をYouTubeで見て、これは絶対観なければと思った。
金子文子が獄中で執筆した「なにがわたしをかうさせたか」という書籍が遺され、この映画がヒットした事で日本でも再び多くの人達が読んでいるという。
この映画は抗日映画と言うよりは、過酷な状況の中での若い二人の青春と愛を描いた映画である。映画の中で朴烈が判事に「誰と同棲している」と聞かれた時の「・・・金子文子」と答えた時の愛おしげな声と表情に民族を超えた愛を見た。
金子文子は大正の初めに朝鮮から17歳で単身上京した後、東京の通称「社会主義おでん」と呼ばれるおでん屋で働き、朴烈という若き朝鮮人アナーキストが書いた「犬ころ」いう詩の中に、彼の強靭な意志と孤独を感じ取る。
「この男だと思った」金子文子は、朴烈に同志として恋人として同棲しようと持ちかけ、最初は面食らった朴烈だったが、金子文子の真っ直ぐな心と育って来た環境を跳ね返そうとする姿に共感し、二人は東京の片隅で共に暮らすようになる。この時の金子文子のちょっと照れた様なキュートな表情が実に可愛い。
二人は朝鮮人や社会主義者達が集う「不逞社」を結成するが、大正3年関東を襲った時代の荒波に巻き込まれて行く。内務大臣が民衆の不満や怒りが政府に向く事を怖れ、「朝鮮人が井戸に毒を投げ町中に火を付け回っている」という誤った情報を流し多くの朝鮮人達を捉え、民衆も恐怖と流された情報に煽動され多くの朝鮮人達を虐殺していく。(この出来事に関しては『九月、東京の路上で1923年関東大震災ー』加藤直樹著に詳細に書かれている。)
そんな中、朴烈は拘束され金子文子も後を追うが、二人は朝鮮人の誇りのため、社会を変えるために獄中で闘う事を決意する。
しかし権力者達はこの二人に「爆弾を仕掛け天皇を暗殺しようとした」大逆罪をでっち上げる。それを逆手に取って法廷で朝鮮の礼服に身を包み法廷闘争を仕掛ける金子文子と朴烈。
裁判の様子は世界中に発信され、朝鮮でも民衆の暴動を誘発して政権を揺るがす事態になることを恐れ、裁判は非公開の中死刑判決が宣告される。
金子文子が判事に尋問された時「親に捨てられた」と答えるが、文子は日本人として生まれながら両親に捨てられ無国籍者とされ、厄介払いするように植民地であった朝鮮に追い立てられた。幼い文子は朝鮮でも女中の様に扱われ、過酷な労働を強いられ、食べる物もろくに与えられず近所の朝鮮の女将さんがご飯を分けてくれたという。
この時代に強靭な意志を持ち、過酷な環境に育ちながら社会を変えようと行動した金子文子。この映画の題名は韓国では「朴烈」だが邦題は「金子文子と朴烈」。この題名にして大正解だったと思う。
映画のポスターにも使われた不思議な写真。映画のなかでは若き予審判事が妙に二人に手厚い待遇を施る。何故彼が二人に裁判所の中でこの写真を撮る事を許可したのか。二人の思想心情に心を揺り動かされたのか。別の思惑があったのか。
映画の中で韓国の俳優さん達が話す日本語の上手さに驚いた。金子文子を演じたチェ.ヒソは一時日本にいた事があると知ったが、まるでネイティブのような日本語を話していた。敵役を一手に引き受けていた水野錬太郎内務大臣の役を演じたキム.エンソの日本語と演技が素晴らしい。あくまでも自らの立場を守るために流言をでっち上げフェイクを流す。まるで現在の日本の政治家を思わせる演技だった。
コミカルな部分と金子文子という一人の女性の生き方に惹かれ、時が経つのを忘れる映画だった。朴烈が朝鮮人の仲間に「我々が闘うのは日本の民衆ではなく日本の政府なのだ」と言った言葉にこの映画のメッセージを感じた。
若い頃の浅野温子と今の黒木華を思わせるキム.ヒソが演じた金子文子を私は忘れないだろう。
「護憲+コラム」より
パンドラ
金子文子が獄中で執筆した「なにがわたしをかうさせたか」という書籍が遺され、この映画がヒットした事で日本でも再び多くの人達が読んでいるという。
この映画は抗日映画と言うよりは、過酷な状況の中での若い二人の青春と愛を描いた映画である。映画の中で朴烈が判事に「誰と同棲している」と聞かれた時の「・・・金子文子」と答えた時の愛おしげな声と表情に民族を超えた愛を見た。
金子文子は大正の初めに朝鮮から17歳で単身上京した後、東京の通称「社会主義おでん」と呼ばれるおでん屋で働き、朴烈という若き朝鮮人アナーキストが書いた「犬ころ」いう詩の中に、彼の強靭な意志と孤独を感じ取る。
「この男だと思った」金子文子は、朴烈に同志として恋人として同棲しようと持ちかけ、最初は面食らった朴烈だったが、金子文子の真っ直ぐな心と育って来た環境を跳ね返そうとする姿に共感し、二人は東京の片隅で共に暮らすようになる。この時の金子文子のちょっと照れた様なキュートな表情が実に可愛い。
二人は朝鮮人や社会主義者達が集う「不逞社」を結成するが、大正3年関東を襲った時代の荒波に巻き込まれて行く。内務大臣が民衆の不満や怒りが政府に向く事を怖れ、「朝鮮人が井戸に毒を投げ町中に火を付け回っている」という誤った情報を流し多くの朝鮮人達を捉え、民衆も恐怖と流された情報に煽動され多くの朝鮮人達を虐殺していく。(この出来事に関しては『九月、東京の路上で1923年関東大震災ー』加藤直樹著に詳細に書かれている。)
そんな中、朴烈は拘束され金子文子も後を追うが、二人は朝鮮人の誇りのため、社会を変えるために獄中で闘う事を決意する。
しかし権力者達はこの二人に「爆弾を仕掛け天皇を暗殺しようとした」大逆罪をでっち上げる。それを逆手に取って法廷で朝鮮の礼服に身を包み法廷闘争を仕掛ける金子文子と朴烈。
裁判の様子は世界中に発信され、朝鮮でも民衆の暴動を誘発して政権を揺るがす事態になることを恐れ、裁判は非公開の中死刑判決が宣告される。
金子文子が判事に尋問された時「親に捨てられた」と答えるが、文子は日本人として生まれながら両親に捨てられ無国籍者とされ、厄介払いするように植民地であった朝鮮に追い立てられた。幼い文子は朝鮮でも女中の様に扱われ、過酷な労働を強いられ、食べる物もろくに与えられず近所の朝鮮の女将さんがご飯を分けてくれたという。
この時代に強靭な意志を持ち、過酷な環境に育ちながら社会を変えようと行動した金子文子。この映画の題名は韓国では「朴烈」だが邦題は「金子文子と朴烈」。この題名にして大正解だったと思う。
映画のポスターにも使われた不思議な写真。映画のなかでは若き予審判事が妙に二人に手厚い待遇を施る。何故彼が二人に裁判所の中でこの写真を撮る事を許可したのか。二人の思想心情に心を揺り動かされたのか。別の思惑があったのか。
映画の中で韓国の俳優さん達が話す日本語の上手さに驚いた。金子文子を演じたチェ.ヒソは一時日本にいた事があると知ったが、まるでネイティブのような日本語を話していた。敵役を一手に引き受けていた水野錬太郎内務大臣の役を演じたキム.エンソの日本語と演技が素晴らしい。あくまでも自らの立場を守るために流言をでっち上げフェイクを流す。まるで現在の日本の政治家を思わせる演技だった。
コミカルな部分と金子文子という一人の女性の生き方に惹かれ、時が経つのを忘れる映画だった。朴烈が朝鮮人の仲間に「我々が闘うのは日本の民衆ではなく日本の政府なのだ」と言った言葉にこの映画のメッセージを感じた。
若い頃の浅野温子と今の黒木華を思わせるキム.ヒソが演じた金子文子を私は忘れないだろう。
「護憲+コラム」より
パンドラ
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