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二人の天才(大谷翔平と藤井聡太)の象徴する未来!

2021-10-23 13:40:18 | 社会問題
コロナ渦であまり外出できない生活の中で、最も楽しみにしていたのが、エンゼルスの大谷選手の活躍と将棋の藤井聡太三冠の活躍だった。今日はこの二人について語ってみたい。

🔶大谷選手

わたしは、大谷選手のほとんど全試合をTVで見ている。大リーグ100年を超える歴史の中で、投手と打者の二刀流を水準以上のレベルでこなしたのは、ベーブ・ルースなどほんの数人しかいない。

ベーブ・ルースについては最近大きく取り上げられているが、わたしの少年時代には、世界の偉人の1人として、伝記本が学校の図書館にあった。わたしは、小学校時代に彼の伝記を読んで、ベーブ・ルースについてはよく知っていた。彼がボストン・レッドソックス時代には投手・打者の二刀流で大活躍し、後にライバルチームのNYヤンキースに移籍。レッドソックスはその後優勝ができなくなった。理由は、ベーブ・ルースを移籍させたからだ、という話が囁かれ、これが【バンビーノの呪い】として有名になった。※バンビーノとはベーブ・ルースの愛称。

ベーブ・ルースは日本にも来ている。1934年、大リーグの有名選手たちが来日し、日本の野球チームと試合をしている。その時の大リーグの三番バッターがベーブ・ルース。4番がルー・ゲーリツク。
当時は航空機がなく、長い船便で来日した。勝敗は大リーグが圧勝。(16勝0敗)

しかし、日本選手も大活躍した。それが、静岡の草薙球場での試合で投げた沢村英治投手。現在で言えば、彼は高校生。その彼が、大リーガー相手に8回まで9奪三振無失点の好投を見せ、ベーブ・ルースからも三振を奪っている。最終回に4番のルー・ゲーリックにホームランを打たれ、1対0で敗れたが、大リーガーの顔色を変えさせた。

何年前だったか、NHKの「スポーツ酒場語り亭」で、沢村英治投手と推測される映像が放映された。出演していた金田投手は、沢村の投球ホームを見て、踏み込む左足の粘りに注目。これだけ、左足が落ちそうで落ちない選手はいない。球速で言えば、150Km近く出ているだろう、と語っていた。一流投手の金田が見ても、沢村投手のフォームは、超一流だそうだ。

大谷選手の活躍は、こういう歴史も掘り起こしている。

わたしは、大谷選手はベーブ・ルースよりはるかに凄いと思っている。その理由は、ベーブ・ルースが活躍していた時代の大リーグは、プロとして生活できる選手は限られていた。日常は大工や左官など別の仕事をして食っていて、試合の時にだけ野球をする選手が大半だった。今の日本の草野球に毛の生えたようなものだと考えればそれほど間違っていない。だから、投手や打者として活躍できた。日本の高校野球でも投手で4番の選手は多数いる。

ベーブ・ルース時代の野球はそんなもので、現代野球とは全く次元が違う。現代野球(特にメジャー)は、投手でも先発・中継ぎ・抑えの役割分担が明確にできており、きわめて専門職的色合いが強い。先発は、大体6回から7回くらいまで。クオリティスタートという概念は、6回まで3点以内に抑えられたら先発として合格。先発は、長く投げられ、球が速く、強い球が投げられ、変化球のコントロールも良い。投手としての総合力が優れている人間がなる。

中継ぎは、試合を壊さないように投げなければならない。(※最重要の資質はコントロールが良い事。)抑え投手は、勝ち試合を勝ち切るのが仕事。(球が速く、コントロールが良く、三振が取れる。同時にメンタルの強さが求められる。)

打者のレベルも当時とは全く違う。現在のメジャーの投手の多くは150Km以上の速球を平気で投げ、変化球もカーブ、シンカー、チェンジアップ、スプリッターなどを中心に様々な球種を自在に操る。それを打つのだから、生半可な練習では打てない。バットを振る体力、腕力、動体視力、相手投手の癖を見抜く目、相手投手の配球を読む能力など様々な能力が必要になる。そのため、今やメジャーの選手のほとんどが、イチロー選手がやったようなトレーニングを徹底的に行っている。

ヤンキースの主力打者にスタントンというホームランバッターがいる。彼が「僕は打者として毎日毎日きつい練習を繰り返している。打者として試合に出るだけで精いっぱいだ。それを投手としても出るなんて考えられない」と語っていた。

メジャーリーグのような最高峰の舞台で活躍する選手一人一人の能力は半端ではない。そしてその能力を極限まで磨いて戦うのがメジャーリーグと言う場所なのである。

だから、大谷選手が凄いのである。投手としては、160Km以上の速球を投げ、メジャー1とも称される変化球(スプリット)を投げる。彼のスプリットは、打たれる確率はメジャーの投手の中でも一番低いとも言われている。超一流の先発投手と言って過言ではない。

打者としては、メジャー屈指の長距離打者(ホームランバッター)。彼の飛距離は、メジャーでも一二を争う。打球速度も圧倒的に速い。(速いもので、180Km以上。)彼がフリーバッティングを始めると、メジャーの各選手が見物に集まるほど。

しかも、彼の能力は、これだけではない。走力もメジャー屈指と言って良い。今シーズンは盗塁26個。これは半端な数でない。アメリカンリーグで盗塁数は上位に入る。

こんな選手は他にはいない。アメリカで衝撃を以て語られるわけである。能力主義が徹底している米国でも大谷選手の能力は衝撃的で完全にスペシャルなものと評価されている。

🔶大谷選手は何故成功できたのか

大谷選手の成功の理由をいくつか挙げてみよう。
①他に優れた運動能力に恵まれた
②子供のころから、恵まれた運動能力を生かす努力や鍛錬を怠らなかった
③大谷選手の才能を伸ばす指導者に恵まれた
④大谷選手の希望(プロ野球選手になる)を後押しする両親や家族の存在
⑤野球選手が受け入れられる環境があった(野球がプロの競技として認められる社会の存在)
⑥米国では日本以上に野球が国技として愛され、野球選手が高く評価される時代。大谷選手の価値が高く評価される素地があった。

こう見てみると、大谷選手個人の努力、鍛錬だけで彼の成功がもたらされたのではない事が理解できる。彼一人の努力や鍛錬だけではどうにもならない要素が彼の成功を支えていると思う。

ただ、大谷選手の努力や鍛錬が半端でない事は、彼が高校時代に書いたマンダラチャートを見れば良く理解できる。※https://www.kaonavi.jp/dictionary/otanishohei_mokuhyosetteisheet/

実は、教育現場では、この種のチャートは良く指導されている。わたしも利用したことがある。問題は、子供たちがやらされている、と感じる場合が多く、教育効果がどの程度あるかには疑問符が付く場合が多い。

大谷選手の場合、彼の所属した花巻東高校の選手たちの多くは、宿舎生活を送っており、野球に自分の人生を賭けようと言う意志が非常に強い仲間が多数いる。そういう集団では、自分の長所や短所をよく考え、自分を最大限伸ばそうと考えるこの種のチャートの利用価値が非常に高い。そういう意味で花巻東高校の監督の指導は、素晴らしい。

大谷選手の場合、中央の目標(夢)は、ドラ1(8球団)と書いてある。ドラフト1位(プロ野球)で8球団に自分を指名してほしい、という目標である。日本中のアマチュア野球選手中で、8つのプロ野球球団に自分を1位で選んでもらいたい、という目標である。プロに指名されるだけでも野球少年にとっては、「見果てぬ夢」だと言って良い。それをドラフト一位で8球団に指名されるというのである。とんでもない高い目標だと言って良い。それを目標に掲げた、というだけで、彼は自分自身の能力をよく認識し、自信を持っていた、と言って良い。

大谷翔平選手はマンダラチャートに、中央の目標(夢)を達成するために必要な要素を8つ書いている。
1.体づくり
2.人間性
3.メンタル
4.コントロール
5.キレ
6.スピード160キロ
7.変化球
8.運

この要素の中で特筆すべきは、人間性や運という項目がある点である。その他の項目は考えられる項目だが、この二つの項目を挙げている点に大谷選手の凄さがある。

新自由主義的世界観が浸透するにつれ、世の中で成功している人は、「努力」している人だ。成功していない人は、「努力が足りない人」という人間観が広がっている。

しかし、大谷選手の活躍を考えてみれば、すぐ分かるが、大谷選手以上に努力している野球選手はいるかもしれないが、その人が大谷選手以上に活躍できるかと言えば、そうではない。「努力」だけではどうにもならない「才能=能力」の差がある。

つまり、「努力」だけが社会的役割の成功の要因だと考えるのは間違い。また、「才能」に恵まれ、その結果成功したからと言って、その「才能」がその人の「手柄」だと考えるのは間違い。

さらに言えば、時代の要請もある。大谷選手が江戸時代に住んでいたならば、彼の抜きんでた「才能」も評価の対象になっていたかどうかは疑問。現代と言う時代だからこそ、野球における彼の抜きんでた「才能」が高く評価されるのである。

しかし、これは大谷選手の手柄ではない。そういう時代に生きる事が出来たという一種の【運】である。たまたま大谷選手の才能が高く評価される時代に彼は生まれ、活躍できたと考えるべき。それは大谷選手の手柄でもなければ、「自己責任」でもない。

実は大谷選手の凄さは、その事を良く分かっていて、マンダラチャートに【運】という一項目を設けている点にある。努力だけではどうにもならない事もあるという点を認識している。

少し彼の書いた【運】の項目の内容を見てみる。
・あいさつ  ・ゴミ拾い ・部屋掃除 ・審判さんへの態度 ・プラス思考 ・応援される人間になる
・本を読む

彼は、【運】というものは、基本的に自己制御できないから【運】であると言う前提を良く分かっている。同時に、【運】と言うものは、他者の悪意にさらされたらなかなか獲得できないと言う事も良く分かっている。世間でいう【運を呼び込む】ためにはどうするか、をよく知っている。

それが、「あいさつ」「ゴミ拾い」「部屋掃除」などに表現されている。こういう事が普通にできる人間に誰もあまり「悪意」を抱かない。他者の「悪意」にさらされない行為を普通にできる人間を目指すことにより、【運】を呼び込もうと考えている。

この考え方は、「人間性」の項目にもよく表れている。
・感性 ・愛される人間 ・計画性 ・思いやり ・感謝 ・礼儀 ・信頼される人間 ・継続力

びっくりしたのは、【感性】という項目を設けている点である。たしかに、人は他者の人間性を評価するのに「感覚的」に評価すことが多い。あいつは虫が好かない、という風に。高校一年くらいで、他者に愛される【感性】を養おうと考えること自体が信じられないが、彼はそう考えたのであろう。

🔶大谷選手の明日!

今年の大谷選手の活躍は素晴らしかったが、彼自身は満足していないようだ。一昨年、昨年の彼は故障に悩まされ、満足できる成績を残せなかった。彼の本質である「野球少年」の楽しさが表現できなかった。彼にとっては、今年初めて、メジャーの野球が楽しいと感じたシーズンだったに相違ない。

しかし、彼の中では、まだまだ故障からの回復途上だという認識があり、来シーズンには、もう少し活躍できるはずだという認識があるようだ。その事を彼はインタビューで何度も語っている。「まだ回復途上なので、もう少し上を目指すことができると思っている」と。

わたしは、今年大谷選手の出場している試合の大半を見たが、シーズン後半の彼のバッティングに多少の不満が残った。優勝争いやワイルドカード争いに加わっているチームは、大谷選手を徹底的にマーク。多くの敬遠の四球をはじめ、警戒しすぎての四球が増えた。これは大打者の勲章だが、このマークに対処する大谷選手に多少の不満があった。それは、一試合で投げられる数少ない打てる球を一球で仕留める技術が多少不足していたな、と思う。

問題は、振り過ぎにあると思う。あまりに投手が勝負してこないので、数少ない打てる球でホームランを打とうとするあまり、力みがちになり、強引に振り過ぎていた、と思う。

これは、ホームランバッターの宿命と言って良い。古今東西、ホームランバッターの敬遠四球との戦いは宿命だった。

四球攻めの中で一球で仕留める技術を磨いてきたのが、王貞治などのようなホームランバッター。来シーズンの大谷選手の課題だろう。

🔶大谷選手自身が意識しない歴史的役割⇒「新たな人間の総合性」

彼自身は、全く意識していないはずだが、彼はメジャーリーグのありように革命的変革を与えている。野球という競技が、国民の支持を獲得するにつれ、野球をすればお金が稼げるという形態に変化した。お金が稼げる(プロ)事になると、払われるお金に見合うパフォーマンスが要求されるようになる。それが競技の専門性を高める結果になる。これがどのプロスポーツも辿る道筋だと言って良い。先に書いた投手の専門性もこの結果である。

ところが専門性が細密になればなるほど、外からなかなかその凄さが窺い知ることが出来なくなる。丸山 眞男流に言えば、野球の「タコ壺」化である。最近、メジャーリーグの人気が低迷気味なのは、あくなき専門性の追求による「タコ壺」化が一つの要因であろう。

大谷翔平が革命的存在なのは、メジャーリーグの専門性の細密化(タコ壺化)にNOを突きつけた点にある。専門性が行きつく所まで行きついたメジャーの野球に対し、大谷翔平は、投手としてはエース級の活躍をし、打者としてはホームラン王を取らんばかりの活躍をし、盗塁もリーグ上位にランキングする。

人々は、大谷翔平に新たなメジャーリーグ選手の可能性を発見し、熱狂した。『新たな人間の総合性』の発見である。

大谷翔平が意識しない歴史的役割を果たしつつあると言える。その意味で大谷翔平と言う存在は、21世紀という時代の新たな可能性を感じさせている。

🔶藤井聡太三冠の凄さ

わたしは将棋はあまり強くない。囲碁の方が多少打てるが、典型的なざる碁である。

昔、神戸の湊川公園を歩いていたら、おっちゃん連中が縁台将棋をしていた。結構「握っている」と
話してくれた。(※握るとは、賭けているという隠語。)私の大学時代、よく町で“詰将棋”を商売にしているおっさんを見かけた。嵌め手が多く、たいていの挑戦者は金をむしり取られるのが常だった。

このように、わたしの中の“将棋”のイメージは、“賭け”と結びついており、麻雀と同じで“無頼”の匂いのする娯楽というものだった。この“無頼の匂い”が将棋が庶民のゲームになりやすい理由なのかもしれない。(※わたしたちの時代の麻雀も賭けと同義語だった。賭けない麻雀など麻雀ではない、というのが常識だった。)だから、囲碁の方が“無頼”の匂いがしない分だけ上品で、エリートの遊びという位置づけだった。

これには、囲碁と将棋の違いが微妙に絡んでいる。囲碁の勝敗は、「何目勝ち」というように、取った陣地の数(目数)の多少で決まる。そのため、負けた時のショックが少ない。10目負けか、という風に、相手との力量の差を目数で測る事ができる。

将棋は違う。負けは決定的な負け。百かゼロの違いになる。完全なゼロサムゲーム。これがこたえる。エリート連中にとって、完全な負けはプライドにかかわる。これが囲碁の愛好者がエリートに多いとされる理由の一つだと言われている。

しかし、藤井聡太三冠が現れてから、わたしの将棋に対する考え方が変わった。

▼将棋とは

将棋の歴史は長い。将棋の起源は、インドと言われている。日本では平安時代の将棋の駒が見つかっている。少なくとも、1000年以上楽しまれてきたゲームである。

インドで生まれた「チャトランガ」という競技が、西洋に伝わり「チェス」になり、中国に伝わり「象棋(しゃんち)」になり、日本に伝わり「将棋」となったとされる。
・チエス ・象棋 ・将棋 ⇒世界の三大将棋

将棋のルールは比較的簡単。
基本⇒「相手の王将を取ったら勝ち」 
・駒の種類⇒王将・飛車・角・金・銀・桂馬・香車・歩の8種類。
・相手の駒を取ったら自分の駒にして使うことが出来る。
・駒の動かし方⇒この特徴をよく理解したものが勝つ。ここでは割愛するが、将棋のルール理解では一番重要なもの。
・将棋の盤面は、縦9路。横9路。これに8種類の駒をきちんと配置し、それをかわるがわる動かして相手の王将を取るために戦う。

ざっと説明したが、同じルーツを持つ世界的な競技チエスと何が違うのかを考えると将棋の奥深さと日本的特性が見えてくる。

〇一番の違いは、将棋では、取った駒を使う事ができるが、チエスではできない。この差は決定的に大きい。
〇将棋では、取った駒を一番良いときに使うことが出来るため、飛躍的に複雑で奥深い読みが必要になる。取った駒を捨てずに“活かす”という発想に、日本人のものの見方や考え方が凝縮されている。
〇将棋は、相手が“負けました”と負けを認めて勝負がつく。囲碁の場合は、最後に目数(自分が取った領地)を数えて、勝負がつく。この彼我の違いに、将棋と囲碁の違いが集約されている。

▼将棋の戦略

将棋と言う競技のゲーム性は、現代の他のゲームに比較してもかなり「最適化」している。言葉を変えれば、ゲームとして完成されている。これを前提にして将棋を考えてみる。

①将棋を勝つための完全な攻略法はない。
②勝つための戦略は多数ある。(振り飛車・居飛車など)
③王将を取られないための守り(囲い)の方法(矢倉囲い、穴熊、銀冠など多数)

どの戦法にも一長一短があり、この戦法が絶対というものはない。最近ではAIを駆使した研究が盛んで、過去の将棋研究とはかなり様相を異にしている。プロ棋士の間では、戦術や戦法にも流行り、廃りがある。ところが、AIが導入された後は、昔の戦術・戦略にも新しい解釈が施され、昔の戦略・戦術が見直されるケースも多い。こういうゲームはあまりない。その点が他のゲームとかなり違う。

▼将棋のプロとは!

将棋のプロになるには、大変な狭き門を突破しなければならない。
・『奨励会』=(プロ養成機関)に入会しなければならない。そこを勝ち抜いて、『四段』に昇段しなければならない。※四段になれる人⇒原則1年で四名。
・原則⇒『奨励会』では、21歳までに初段。26歳までに四段にならなければ、強制的に退会。

※『奨励会』に入会できる人間は、全国でもきわめて少数。(ほとんどの人間が地方では天才。)全国の天才が集まった中でその8割が夢破れる。この中で、生き残り「四段」=「プロ棋士」になれた人間は、間違いなく『天才』である。将棋棋士とは日本でも有数な「頭脳集団」だと考えなければならない。

▼プロになってからの戦い・・苛酷な真剣勝負の世界!

・四段=プロ棋士になってからは、リーグ戦を戦わなければならない。
・C2⇒C1⇒B2⇒B1⇒A・・・⇒名人戦
C2クラスで下位の成績3年出すと、「フリークラス」に降級。フリークラスから10年の間に一定の成績が出せないと、引退しなければならない。⇒下手をすると40代で引退の憂き目に遭う。だから皆懸命に戦う。この真剣勝負の戦いが将棋の魅力。

🔶藤井聡太の凄さ

上で書いたように、将棋界(プロ)は、天才の集まり。天才の集まりの戦いの中で抜きんでた成績をおさめる天才中の天才と呼ばれる人が時折出現する。

天才中の天才を見つける一つの基準がある。
◎過去、中学生で四段=プロ棋士になった人(加藤一二三・谷川浩二・羽生善二・渡辺明)。藤井聡太は歴史上5人目の中学生棋士。過去の中学生棋士の誰もが、名人その他のタイトル・ホールダー。全ての棋士が多数のタイトル・ホルダー。特に羽生善治は、タイトルを99取っている。

藤井聡太は過去の最年少記録の大半を書き換え、早くも三冠と呼ばれる複数のタイトルを取っている。

一例を挙げてみる。
・デビューから無敗のまま歴代最多連勝記録の更新(29連勝)
・一般棋戦優勝、全棋士参加棋戦優勝、六段昇段の最年少記録更新(15歳6か月)
・七段昇段の最年少記録更新(15歳9か月)
・史上初の3年連続勝率8割以上
・タイトル挑戦最年少記録を更新(17歳10か月20日)
・その他

このように、藤井壮太三冠は、多くの最年少記録を続々と更新している。ある棋士が述懐していたが、「四段当時一瞬同じところにいたが、つむじ風のようにあっというまに昇段していった。」藤井聡太三冠の出世の速さを物語るエピソードでもある。

わたしは藤井聡太三冠の対局は、ほとんど見ている。パソコンで見るのがほとんどだが、毎回彼の長考に驚かされる。一手指すのに1時間を超えるのはざら。長いときには2時間近く考える。彼が長考し始めたら、手に持っている扇子が一定のリズムでくるくる回る。扇子が回るリズムが彼の読みのリズムなのだろう。その間、彼の脳髄は、怖ろしい速さで動いているに違いない。

◎谷川浩司が語る藤井聡太の凄さ
(1)勝率の凄さ  
今年度成績:40 戦 34 勝 6 敗 (0.850)
通算成績:293 戦 247 勝 46 敗 (0.843)

谷川はこう語る。
・・・「勝利数のペースで表現すると「4勝1敗=8割」でもすごいですが、「5勝1敗=8割3分3厘」、「6勝1敗=8割5分7厘」となります。こうしてみると5勝1敗、6勝1敗ペースは、ほとんど負けてないイメージです。4勝1敗ぐらいであれば、実力のある棋士が好調時、20局ぐらいの単位ならばできないことはない。ただ、“それ以上”ということになると……なかなか見ないですね。」・・

わたしのような藤井聡太の追っかけから言わせれば、谷川の言う通り。藤井聡太が負けるという事態が信じられない。それくらい勝ちまくっている。

プロ棋士の大半が「将棋は負ける競技」だと異口同音に語る。負けに慣れることがプロ棋士たる所以だと言う。それはそうだろう。前に書いたように、将棋の勝敗は、100対0。負けるたびに落ち込んでいたら身が持たない。如何に負けの衝撃をコントロールするかどうかが、プロ棋士として生きていくこつだろう。

谷川は天才中の天才棋士の見分け方として、対局でどれだけ勝ち越しているかが一つの目安だという。歴代名棋士の勝ち越す数の中で突出しているのが、羽生善治である。

・大山康晴:1433勝781敗/勝ち越し数=652 勝率.647/80期
・中原誠:1308勝782敗/勝ち越し数=526 勝率.626/64期
・羽生善治:1487勝640敗/勝ち越し数=847 勝率.699/99期

現在までの藤井聡太の勝ち越し数⇒201。 
ところが藤井聡太の対局数293。羽生善治は2、227、藤井の約7,6倍。単純に計算すると、藤井聡太の勝ち越し数は約1、528になる。如何に藤井聡太の勝ち方が凄いかが理解できる。(当然、こうはならない。年齢とともに衰え、勝ち越し方が少なくなる。)

◎藤井聡太の凄さを測る一つの指標⇒レーティング
現在の棋士の強さを測る一つの指標にレーティングという測り方がある。「イロレーティング」という計算方式に基づいて計算する方法である。

詳細な計算方法は各人でお調べいただくとして、全棋士の平均を1500として、強さの指標を数字で表す指標である。藤井聡太は、全棋士の中で断トツの一位。平均(三つの調査)2083。二位の豊島竜王が、1943。100を超える差というのは、信じられないほどの差だという。

※イロレーティング (Elo rating) とは、対戦型の競技(2人のプレイヤーまたは2つのチームが対戦して勝敗を決めるタイプの競技)において、相対評価で実力を表すために使われる指標の一つ。数学的裏付けのある最も著名なレーティングシステムである。
 (例)
国際チェス連盟の公式記録
日本アマチュア将棋連盟の公式記録
将棋囲碁などのオンライン対局場
サッカーFIFAランキング
ラグビーなどの一部の競技団体のランキング
•対戦型オンラインゲームのランキングやマッチング
イロレーティング - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0

🔶天才が与える集団(組織)と時代への影響

現在の将棋界は、一種の「産業革命」の時代に突入した、というのがわたしの見方である。AIが出現して、将棋の研究が飛躍的に進み、過去の常識が音を立てて崩壊しつつある。藤井三冠と豊島竜王の二人の戦い(現在竜王戦を戦っている)は、新しい時代の将棋の象徴である。

藤井三冠の戦いを解説する棋士の多くが、藤井将棋の新しさに驚きを隠さない。同時に、藤井将棋を吸収し、自分の将棋に生かそうと懸命に学んでいる姿勢が、見ているわたしたちにもひしひしと伝わってくる。

多くの棋士の共通した意見は、藤井聡太と言う稀有な才能の出現の結果、現在の将棋界のレベルは、物凄く上がってきているという。とにかく、毎日、将棋の研究を重ねないと、将棋界のレベルの上昇について行けないようになったそうだ。

解説者の多くが、AIの示す最善手を見ながら、「この手は、人間は差せない」と言うケースが多く見られる。AIが人間的感性を排除して、客観的合理的手順を示す事に違和感を感じる場合が多いのだろう。

この違和感こそが、時代の変化に戸惑う人間の素直な感情だろう。産業革命時、都市労働者たちが、機械の打ちこわしを行ったが、おそらく21世紀の人々は、AIに多くの仕事を奪われ、時代の変化にどのように自分を変化させたら適応できるのかを悩みぬくだろう。

藤井聡太という稀有な存在が将棋界に与えた衝撃は、21世紀日本が直面する人間の衝撃を先取りしたものだと思う。彼が天才であればあるほど、その衝撃は大きく深い。

大谷翔平の与えた衝撃も似たようなものだが、彼の与えた衝撃は「野球の原点」回帰の衝撃である。「新たな人間の総合性」の発見の衝撃である。「投げて、打って、走って、楽しく野球をする」という野球という競技の原点回帰を促した衝撃である。専門性が極限まで高められたメジャーの野球を超えた地点に、大谷翔平は、「新たな人間の総合性」を提示した。

藤井聡太が提示したAI時代をどう生き抜くか、の新たな地平と、専門性を超えた地点に「新たな人間の総合性」を提示した大谷翔平の革命性とは、新しい時代の到来を見事に象徴している。

若いこの二人の革命性を超える新しさを、今の日本で発見は出来ない、とわたしは考えている。この若い二人を追いかけているわたしの率直な感想である。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
流水

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