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或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「残像に口紅を」(著:筒井 康隆)

2018-08-26 12:52:07 | 【書物】1点集中型
 だいぶ前に本屋で見かけて設定に俄然興味を抱いたものの、しばらく読めていなかった1冊。「日本語表記の『音』をひとつずつ消していく」ことにより、言語が世界から少しずつ消えていくという設定で、「超虚構」「メタフィクション」としてはいかにも筒井作品らしい実験的手法である。
 言語に対する実験の物語といえば、私の経験ではなんといっても最近では円城塔「プロローグ」であって、まずはそれを思い出したのだった。「プロローグ」が言語が生まれる物語だとすれば、この「残像に口紅を」は言語が死んでいく物語だ。
 実は巻末の「調査報告」では、この作品の音分布が研究され、設定と結果に数件の齟齬があることが指摘されているのだが、この超絶に手間のかかるであろう執筆条件からするとご愛敬の範囲である。

 1つ2つの「音」が消える程度であれば、シチュエーションや表現にさほど不自由さは感じない。ただ、音が消える中で主人公に近しい人やものが消えていく、その存在や記憶が少しずつ、音の消失の影響とともに薄れていく表現が面白かった。これがまさに記号表現に対する感情移入ということなのだろう。
 そして音とともに言葉が失われていく中で、読む側にも次第に想像力の幅を広げることが要求されるのである。読む前からいずれそうなるだろうなと思ってはいたものの、言葉が自由であればそのような言い回しは使わないであろう表現が次第に増えてくる。それに対して、物語を追いかけていくためにはその言葉が何を表しているのかちょっと考え込まなければいけない時もある。もっと話が進みさらに言葉が少なくなっていくと、表現が簡潔というか簡素というか、擬音語や体言の比率がどんどん上がっていくので、自分の頭の中でそのシチュエーションを想像して補っていかないといけない。

 音が消え、言葉が消え、日常が消え、世界が見えなくなっていく。ラストシーンが何を示しているのか、主人公はどうなったのか、それを誰もがはっきり誤解なく理解できる表現はその時もはや残されていない。世界が消滅するそのシーンは、読み手が想像するしかない。
 もっと考えろ、想像しろ、でなければ生きている意味がない。もしかしたらそんなことを言われてもいるのではないかと、今さら思った次第である。