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或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「カラシニコフ」(著:松本 仁一)

2011-04-29 23:06:01 | 【書物】1点集中型

 「人々や国家にとって銃とは何か」。手入れしなくても使える、壊れない、非常に優れた銃であったがゆえに悪名をも轟かせることになった旧ソ連の「AK47」――カラシニコフという自動小銃をめぐって、筆者はアフリカを行く。
 10代の少女兵の衝撃的な告白、そしてつぶさに描かれた「失敗した国家」。さまざまな国で、生きるために銃を持たざるを得なかった(あるいは、持たされることになった)人々の、少なくとも「銃のない社会」と言われる日本に暮らす自分の日常からは想像すらすることのできなかった日々が綴られている。

 AK47の開発は「ナチスドイツから母国(ソヴィエト)を守りたい」という心から生まれたものではあった。それが、東側諸国を味方につけるための政治的な道具として各国へ生産ライセンスがばら撒かれ、それによって製造された銃はさらに各国の思惑によって中東やアフリカにばら撒かれる。そしてそれぞれの国で崩壊と悲劇を巻き起こす。
 銃とはそもそもが殺傷のための道具であるというパラドックスは解消のしようもないが、道具は使い方によっていかようにも変化するということの最も端的な現れ方だろう。

 けれど、銃と暴力のくびきから脱しようと自ら立ち上がった人々は確かに存在する。それがソマリランド共和国で、民兵を銃ごと軍と警察に吸収するという策をとり、国連開発計画の協力を得て「銃の管理」を行うことにした、とある。
 それに目処がつくようになったら、次には法と秩序を確立するために法曹を育て始める。研修生の中には女性の姿もあり、社会にその声が積極的に採り入れられるようになる。さらに、子供たちのために学校を開くこともできるようになった。財政的には決して豊かではないが、教える側も教えられる側も協力し合って生きている。

「私たちは新しい国をつくろうとしているのです。一人ひとりが我慢してがんばらないといけない。政府だって、払いたいのに払えないでいるのですから」

 それが、政府から支給される3人分の給料を16人で分け合いながらソマリランドで教える若い教師の言葉だという。
 住民が自ら考え、真剣に取り組んだ結果が確かに実を結びつつある、そんな国も存在すると思うと、救われた気になる。「失敗した国家」とそうでない国家を分けるのは「警官・兵士・教師の給料がきちんと払えているか」にあると言われるが、ソマリランドは間違いなくそれをクリアすることを目指して進んでいる。平和を求めることと、そのための礎となる力を何に求めるかということを考えさせられた。