life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「吉里吉里人(一)(二)(三)」(著:井上 ひさし)

2011-04-22 22:57:40 | 【書物】1点集中型

 実は井上ひさし作品もこれまで読んだことがなかった(汗)。で、なんとなくこの大長編に手を出したのが3月も半ばだったでしょうかね。このたびの震災の報道の中に「吉里吉里」の地名を見つけ、そして本文中で照合するにあたり、ああなんでこの時期にこれ読んでるかなぁ自分、とかまず思ったもので……

 それにしても、支離滅裂なようで枝葉末節まで行き届いているし、なんといっても言葉の洪水のような、それでいて内容を掴むに難しすぎない文章のバランス。だからこそ内容のハチャメチャ感が面白く感じるんだろうなぁ、と思えたのが上巻。読めば読むほど、こういうものをこういう表現で書こうと思った井上氏の頭の中を覗いてみたくなった。
 そして主人公(だろう、多分)古橋の、健忘性記憶障害→記憶異常増進症→健忘性記憶障害と繰り返す半生にはなんだか、「アルジャーノンに花束を」のチャーリィ・ゴードンのような哀切もちょっと、感じたりなんかして。ちょっとだけだけど(笑)。

 とにかくかっ飛んだ話を中巻へ進めば、これまた相変わらず言葉と言語の洪水。のみならず記号の羅列の心象描写……もう何でもござれで、岡本太郎でもないけど「なんだ、これは」の世界であった。しかし1,000ページ近く進んでるんだけど相変わらず全然時間が経ってない(笑)。でも古橋は何故か伴侶を得ようとしている……そしてそれをなんとなく応援したくなる気持ちになっている自分がいる(笑)。
 そんな中で、さて本筋の、着々と地固めを進める吉里吉里国の独立を阻む日本国の次の手は? と思いながら下巻に入って半ばを過ぎても肝心の吉里吉里国独立に関する動きが遅々として進まない印象を受けるのだが、読んでるページ数のわりに時間が全然経ってないんだから仕方ないな、と思い直す(笑)。そんな事態を呼ぶほどに、文字数も多ければ事件も多い。
 が、いよいよもって終盤……医療立国吉里吉里の本領を見せつける古橋+ベルゴの移植手術なわけだが、物語のエンディングは驚くほど一瞬だった。「キリキリ善兵衛」の最後の独白には、ちょっとしんみり。

 物語を読み進める間、それぞれが強烈な個性を持ちながら根本ではがっちりと結束している吉里吉里人たちを目の当たりにして、吉里吉里国の独立を応援する気になってたのも事実である。何より、単純に「自分たちの住むところをよりよくしたい」という気持ちからこれだけの用意周到な計画が立てられ、実行されたということ。ひとつの理想郷として、こういう社会があっていいはずだし、そうあるべきだと思う部分もたくさんある。ユーモアや下ネタをふんだんに盛り込みながら、あくまで重くないタッチで、時代に向かって言いたいことをとにかく投げつけ続けた作品なんだろうなぁと思う。
 しかし、その言葉にいちいち頷きたくなるということから逆に、ふた昔以上も前からこの国の何が前に進んだのかをも考えさせられたりもするのだった。