心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

WALTY Classical 中岡さん手づくりのアンプをご存知ですか

2017-01-28 23:22:02 | Weblog

 先週末、ブログに一通のコメントをいただきました。1年半も前の記事「WALTY Classicalさん、閉店へ」(2015年7月18日)へのコメントでした。投稿いただいたのは、20年ほど前からワルツ堂閉店まで、アルバイトをされていたハタナカさんという方でした。
 「大変恐縮で突然ではありますが、中岡さんが製造された手作りのアンプを御持ちの方を探しております。ワルツ堂時代からご来店して下さっておられ、中岡さんと親しいお客様にだけ製作されておられました。元従業員の方々にも連絡もさせて頂いてお願いをさせて頂いている状況なのです。中岡さんを慕っておられたお客様方々でしたら、どなたかに繋がれると確信しながら、連絡させて頂きました。何卒宜しくお願い致します」と記されています。
 私も旧ワルツ堂時代から足繁く通っていましたから、どこかでお目にかかっている方だろうと思いますが、中岡さん手づくりのアンプのことは承知しておりません。でも、堂島のワルツ堂時代、お店の奥のステレオの前でお客と話し込んでいらっしゃった姿を時々お見かけしたことはあります。残念ながら、私が所蔵しているのは、お店のCD棚に置いてあったステンドグラス風の小さなガラス細工だけです。
   元店主・中岡さんがお亡くなりになって1年が経とうとしています。もし、このブログをご覧になっている方で、ハタナカさんがお探しの「中岡さん手づくりのアンプ」をお持ちの方がいらっしゃれば、恐縮ですが左欄「メッセージ(メッセージを送る)」(非公開です)から私宛にメールをいただければ幸いです。よろしくお願いをいたします。
 さて、きょうは大阪駅前のヨドバシカメラに立ち寄り、デスクトップ用の増強メモリDDR3-1333(2G×2)を買ってきました。仕事を離れて以後、PCに負担のかかるような操作はしていないはずなのですが、最近少し重たく感じていたので、専門家の甥に相談したうえでのことでした。冷や冷やしながらPCの蓋をあけてメモリの場所を確認、恐る恐る装着しました。でも遠慮しているとうまく填まらない。えい、やあ!と強く押し込むとカチャッとおさまりました。ふぅ~。というわけで、メモリーが4Gから8Gにアップしました。先日来の不安定さから何とか逃れることができました。
 ついでに今週は、近所のお店でスマートフォンも機種変更しました。月末まで機種変更代無料に惹かれてのことですが、別に手数料が要りますね(笑)。値引き交渉の末の決着ですが、機種は次男君がソフト開発に関わるスマホの新機種です。親馬鹿ですね(笑)。
 そんなきょう、知人と北浜・船場界隈を散策しました。4月に企画している「街歩き」の下見です。近代的なビルの間に佇む大正期のレトロな建物。芝川ビル、伏見ビル、青山ビル、生駒ビルチング、武田道修町ビル、綿業会館、高麗橋野村ビルディング、船場ビルディング。オペラ・ドメーヌ高麗橋なんて洒落た名前のビルもありました。
 このあたりは戦争で焼け野原になったはずです。お年寄りの方に伺うと、焼夷弾は木造家屋を焼き払うのが目的で、煉瓦や鉄筋コンクリート造の建物は焼け残ったのだとか。この界隈の街の歴史を眺めてきたという意味で、ひとつひとつの建物の存在感を思いました。
 お昼は、知人お勧めの中之島図書館2階にあるスモーブローキッチン中之島でお洒落なサンドイッチ&カフェをいただきました。この図書館の利用者カードを持っている私です。次は一人で来ようっと。
 今週も緊急な要件があったわけでもないのに、出たり入ったりの毎日でした。通勤手当のないリタイア世代にとって交通費が一番の出費になります(笑)。でも、この勢いを止めてしまうと、とんでもないことになるかも。

 今年は南方熊楠生誕150年の節目の年にあたります。手始めにということで、先日、京都で開かれた学術講演会「華厳の世界~『華厳経』と南方マンダラ~」を聴講しました。お目当ては、明治大学野生の科学研究所長の中沢新一先生。いま私が最も注目している人物ですが、なにせお話しの内容が難しい。私の悪い癖です。そんな不可解な方に異常なまでの好奇心が湧いてきます。グレン・グールド、南方熊楠。次は昨年南方熊楠賞をお受けになった中沢新一先生になるかも。生物学を学び、途中から宗教学に転向。思想家でもあります。まだまだお若い先生ですが、当分、注目していきたい研究者の一人です。
 
 きょう、家内はお友達と牡蠣を食べに赤穂の方まででかけていました。夕刻帰ってくると、両手に牡蠣のほか海産物がいっぱい。今夜は美味しい焼き牡蠣をいただきました。明日のメニューはアンコウ鍋です(笑)。そして来週末は、伊勢に出かけてきます。呑気なものです。

コメント (2)

京の健康祈願所ウォーク 16キロ

2017-01-21 00:20:28 | 歩く

 きのう、「京の健康祈願所ウォーク」16キロに参加しました。その名の通り、京の町に古くから伝わる信仰の場を、リュックに「いつまでも歩いていたい京の道」のゼッケンをつけて巡りました。週の初めに雪が積もった京都ですが、大通りを少し入ると全く別の世界。まだちらほら屋根に雪が残る街並みを歩きました。なにやら四国遍路のようでした。
 午前10時にJR京都駅前を出発して、塩小路通→猪熊通→九条通→東大路通→花見小路を経て四条通の繁華街→河原町通→松原通→東洞院通→麹屋町通→御池通→烏丸通を北上して護王神社に至る16キロです。京都の街並みを熟知していないので迷いそうになりますが、要所要所に係の方が立っていらっしゃって、4時間後の午後2時に無事にゴールすることができました。
 巡った神社仏閣をご紹介しますと、まず粟島堂(宗徳寺)。室町時代に建てられたお寺で本尊は阿弥陀如来です。「婦人病平癒」を祈願するお寺だそうですが、人形供養の寺としても知られ、境内のあちらこちらに人形を奉納する場所がありました。
 即成院は、かつての即成就院の略で、その名前から「ぽっくり信仰の寺」として知られているのだとか。長患いせず寿命をまっとうできる意味だそうですが、どう受け止めたらよいのか少し戸惑います。
 今熊観音寺は、弘法大師・空海が熊野権現に導かれて建立したと言われています。大師堂の前には「ぼけ封じ観音」が安置されています。隣のご老人が「ボケになりませんように。ボケがなおりますように」と真剣にお祈りをしていらっしゃいました。また、ご本尊の十一面観世音菩薩に「頭痛平癒」のご利益があると信じられています。(西国三十三観音霊場第十五番札所、洛陽三十三観音霊場第十九番札所) 
 剣神社は、子どもの守護神として信仰され、特に「疳(かんの虫、夜泣き)」の神様として知られる白山姫命がお祀りされています。子育て中の親御さんや保育士さんにお参りを薦めていらっしゃいます。  新熊野神社の正面鳥居横に立つ樹齢900年と言われる大樟は圧巻でした。このご神木は後白河天皇がお植えになったそうで、当時は樟を植えると腹痛の病が治まったという古事により、「腹痛」にご利益があるのだと。平安末期の1160年に建立されました。また境内では今熊野猿楽、能楽発祥の地を示す石碑が目に留まりました。 
 安井金毘羅宮は、保元の乱で源義朝や平清盛などを味方につけた弟の後白河天皇との戦いに敗れて讃岐へ島流しに会い、その後崩御した崇徳天皇の霊を鎮めるため、平安時代末期に建立されたと言われます。崇徳天皇は讃岐の金刀比羅宮で、一切の欲を断ち切り、参籠(祈願のために籠る)したことから、「悪縁を切り良縁を結ぶ」ご利益があると信じられています。  仲源寺は、八坂神社に行く途中にある四条通の繁華街のど真ん中にあり、ふだんはなんとなく素通りしているお寺です。でも、いただいた資料をみると、安置されているお地蔵さんは元々雨を止ませ、鴨川の氾濫を防ぐことを願う「雨止み地蔵」と呼ばれていたそうです。その後「あ」が抜けてしまい、「目疾地蔵」と呼ばれるようになり、以後「目の健康」にご利益があるお地蔵さんとして信仰を集めています。観音堂の千手観音は洛陽三十三観音霊場第十六番札所です。  因幡堂(平等寺)は、薬師如来を因幡国(鳥取県)で引き上げたことから因幡堂や因幡薬師と呼ばれています。ここの薬師如来は、嵯峨の清凉寺、信濃の善光寺とともに日本三如来と言われていて、病にかかった人の「最後の拠り所」として信仰厚く、「癌封じ」のご利益があるとして崇敬を受けています。十一面観音を安置する観音堂は洛陽三十三観音霊場第27番札所になります。  白山神社は、「歯痛平癒」の神社ですが、あいにく当日は工事のために参拝できませんでした。  最後の護王神社(足腰守り)は、これまでも何度かお参りしたことのある神社です。長岡京から平安京に遷都される際、桓武天皇を京都を一望できる高台(将軍塚)にお連れして、遷都の決定の一因に貢献した和気清麻呂とお姉さんで孤児救済に励んだ和気広虫を祭神とする神社だとか。「いのししの神社」で知られていて、以前は境内にたくさんの猪のはく製が奉納されていました。ここで祈願すれば足腰が丈夫になる「足腰守護」のご利益があると信じられています。ウォーキングにとっては一番大切な神社になります。 
 きょうは大寒。本格的に雪が降り始める時節です。時を同じくして大寒波が日本列島を襲っています。ここ大阪も、雪こそ降らないものの、さきほどから風雨が強くなってきました。でも、春は確実に少しずつ近づいています。
 御池通りを歩いていて、満開の桜の花に出会いました。その横に添えてあった看板には、こう記されていました。「この桜は『不断桜』という種類の桜ですが1年のうち最も寒くて寂しい時期に人々の心を和ませようと一生懸命努力して咲いてくれます。ご覧のように美しい姿を12月から4月の賑やかな桜の時期までの間頑張って咲いてくれる可愛い奴です。この桜の大好きな粋な仲間が集まって『御池桜』と呼んでいます。市民の皆様今年も可愛がってあげて下さい。(粋人仲間)」とあります。なんとも心温まる文面ではありませんか。   ゴールしたあと、40数年前の学生時代を夢見ながら、京都御所を散策しました。すると、梅の枝に薄っすらと開花の兆し。みんな寒さに耐えながら自分の出番を待っています。いろいろな意味で心なごむ一日でした。   こうして「京の健康祈願所ウォーク」16キロは無事終わりました。医学、科学とは無縁の時代。大通りからはずれた場所に静かに佇むお寺や神社のご利益にすがらざるを得なかったことに思いをいたしながら、なにかほっとする風景に出会えた一日でもありました。
 そういえば、この日初めてお会いした元気いっぱいのお爺さんは、ことし91歳なのだと。その昔、満州で戦時を過ごし、終戦後はシベリアに抑留されてたいへん辛い思いをされたそうですが、この日もさっそうと歩いていらっしゃいました。出会った記念にと、自家製の干支のお守りをいただきましたが、「来年も生きながらえていたら、お守りを作って参加するから声をかけてほしい」と。.....歴史解釈の理屈は横に置いて、こうした方々のご苦労のうえに今日の日本があることを忘れてはいけないと改めて思いました。
 来月は、「大政奉還150年(1)大政奉還奏上(13キロ)」と「北野天満宮梅花祭ウォーク(14キロ)」に参加の予定です。

コメント (3)

写真集「グレン・グールド 光のアリア」

2017-01-20 10:49:05 | 古本フェア

 先週のカレッジは大阪城界隈の小ホールが教室でした。テーマは「ロマン派の音楽~無限への憧れ~」。講師は、教育大学音楽課程の先生とお知り合いのテノール歌手、そして国内外のコンクールで上位入賞した学生たちでした。お昼の休憩をはさんで4時間にわたってお話しを聴いたり、声楽、フルート、ピアノの演奏を聴いたりと、少し贅沢な時間を過ごしました。
  そして今週は、午前が「古典文学」講座でした。テーマは「ことば遊びで脳トレーニング」。回文、アナグラムなどについて学びました。回文って逆さ言葉のことです。例えば「群草に草の名はもし具はらば何故(なぞ)しも花の咲くに咲くらむ」(奥義抄)。上から読んでも下から読んでも同じです。昔の人はこんな言葉遊びをしていたんですね。古典に弱い私ですが、あっと言う間の2時間でした。(笑)
 午後は、三味線のお師匠さんから「津軽三味線」についてお話しを聞きました。三味線の歴史、種類、構造などについて説明を受けた後、実際に「津軽じょんがら節」や「あいや節」ほか数曲を聴きました。この日は夕刻から新年会でしたから一日中、クラスの仲間たちと楽しい時間を過ごしました。来週は「ワルツの宴~舞踏へのお誘い」の予定です。

 大阪城と言えば、週の初めに京橋駅から徒歩数分のところにあるツイン21に行ってきました。お目当ては今年初めての古本祭「ツイン21古本フェア」です。ネットで調べると、関西古書研究会、京都古書研究会などの今年の日程がアップされています。さっそくスケジュール表に入力しておきました。
 この日手にしたのは、写真集「グレン・グールド 光のアリア」。グールドがデビュー盤「ゴルトベルク変奏曲」を発表して注目を集めた頃、当時23歳のグールドがカリブ海の避寒地バハマの首都ナッソーで過ごした休暇に同行したカメラマン記者ジョック・キャロルが、グールドの死後、発表した回想録です。奇人変人と言ってもおかしくはないグールドの人となりが写真のひとつひとつに表現されています。そんな彼がすばらしい音楽の世界を創造する。わたしにとっては不思議な存在ですが、ベートーヴェンのソナタをLPレコードで聴きながら写真集を眺めています。
 この日はあと、河合隼雄著「イメージの心理学」、石田尚豊著「曼荼羅のみかた~パターン認識」も鞄の中に。次は2月下旬の「水の都の古本展」になります。
 そうそう、今月の家内の作品です。午後の居間が静かだなあと思っていたらこんな出来栄えになりました。専門家ではありませんが、ご近所の方々20名ほどと何やら楽しんでいます。もう10年になります。 
 昨日は京都のウォーキング団体が主催する16キロウォークに参加してきました。昨秋、神戸の12キロ、洛北の13キロに続いて16キロです。当面20キロをめざしていますが、きょう早朝散歩にでかけると腰のあたりに違和感がありました(笑)。寒いから身体が構えてしまうからなんでしょうか。 16キロウォークの模様は別途、ブログにアップします。

コメント

修行の道場「土佐」へ。

2017-01-14 00:18:30 | 四国遍路

 きょうは家内の両親のお墓参りに行ってきました。そのあと、お買い物に付き合い、いやいや私もちゃんとウォーキング用の靴を買っていただきましたが、夜は行きつけの小料理屋で食事をして帰りました。昨年末からドタバタ続きでしたから、ささやかな家内の慰労会でもありました。
 さて、昨夜は久しぶりに、京都にあるこころの未来研究センターに出かけてきました。10回目となるブータン文化講座の今回のテーマは「ブータンの教育」でした。ブータン王国のポーデル元教育大臣から、国民総幸福度(GNH)をベースにした教育の取り組みについてお話しを伺いました。小さな国だから国の「質」を高めるには「教育」が重要だとして、教育指針「Green Schools」を示しながら教育改革の現状と課題を熱っぽく語っていただきました。その日は、テレビニュースでアメリカ次期大統領の独善的な記者会見を見たばかりでしたから、そのギャップの大きさが気になった一日でもありました。
 帰りの電車の中で一冊の新書を読み終えました。岩波新書「弘法大師空海と出会う」です。著者は四国八十八ヶ所霊場第二十八番札所・大日寺住職の川崎一陽さんです。その大日寺を、私は数日前に参拝したところです。
今回巡ったのはつぎの7ヶ寺でした。

   第三 十 番札所・百百山善楽寺(高知市)      ご本尊は阿弥陀如来
 第二十九番札所・摩尼山国分寺(南国市)     ご本尊は千手千眼観世音菩薩
 第二十八番札所・法界山大日寺(香美郡)     ご本尊は大日如来
 第二十七番札所・竹林山神峯寺(安芸郡)     ご本尊は十一面観世音菩薩
 第二十六番札所・龍頭山金剛頂寺(室戸市)  ご本尊は薬師如来
 第二十五番札所・宝珠山津照寺(室戸市)     ご本尊は延命地蔵菩薩
 第二十四番札所・室戸山最御崎寺(室戸市)  ご本尊は虚空蔵菩薩

 弘法大師空海により土佐神社の別当寺として建立された善楽寺は、明治に廃仏毀釈で一端は廃寺となりましたが、地元の人々の手で再建されたお寺です。大降りになった雨の中で般若心経を唱えました。
 次に訪ねたのは国分寺。昔、この界隈に「土佐日記」を著した紀貫之が住んでいたと伝えられています。仁王門で一礼して杉林を進むと目の前に鐘楼が現れ、その先に本堂と大師堂があります。永禄元年(1558年)に再建されたという本堂は歴史を感じさせました。境内の一画には「酒断地蔵尊」の祠がありましたが、私にはできそうにありません。
 岩波新書「弘法大師空海と出会う」を著した川崎住職がお勤めの大日寺は、奈良時代に行基が開いたお寺です。こちらも廃仏毀釈の影響を受けました。境内の一画にひっそりと佇む無縁仏に出会いました。遍路の旅では、その昔遍路の途上で息途絶えた方々を弔った無縁仏を至る所で目にします。
  二日目は朝7時半に宿を出ると、神峯寺に向かいました。標高630メートルの山の中腹にあり、歩き遍路の方々には「土佐の遍路転がし」と言われるほどの難所です。そこをバスとタクシーを乗り継いで登っていきます。山門をくぐり長い長い階段を登ると、遠くに室戸湾を望む、そんなところに本堂と大師堂はありました。途中、「土佐の名水、神峯の水」で喉を潤します。
 金剛頂寺では、山門に大きな草鞋が奉納されていました。ここも厳しい土佐の遍路を思わせます。大師堂の横に「がん封じの椿御霊木」がありました。そんなに古いものではなさそうですが、癌検診に無縁でもない私です。ついつい触ってお願いをしておきました。
 津照寺の石段も登るのがたいへんでした。勾配が急なうえに凸凹で、つい踏み外しそうになります。杖を突き、膝の痛み止めの薬を飲みながら遍路の旅を続けていらっしゃる同宿の方も、なんとか本堂に辿り着くことができました。
 最御崎寺は、室戸岬のてっぺんにあるお寺です。それだけに、太平洋の風をまともにうける岬の上に立派な伽藍が広がります。虚空蔵菩薩、十一面観世音菩薩の銅像が見事でした。
 ここでは「空海の七不思議」というものに出会います。まずは「鐘石」。小石で叩くと鐘のように音を発して、この響きは冥途まで届くのだと。叩いてみて納得しました。もうひとつは、参道や境内に繁茂する「喰わず芋」伝説。大師が里芋に似たお芋を所望すると、村人は「これは食べられない」と断ったところ、ほんとうに食べられなくなってしまったというお話しです。
 室戸付近は、むかし弘法大師空海が修行に励んだ地域として知られています。なかでも室戸岬の先端にある「御厨人窟(みくろど)」と呼ばれる洞窟は、洞内から空の青と海の青が織りなす雄大な風景を望むことができるのだそうで、それが空海の名前の語源になっているのだそうです。残念ながら現在は洞内に入ることはできません。バスの車窓から眺めました。 今回もいろいろな方々との出会いがあり、清々しい気持ちでお参りすることができました。土佐の国には来月もやってくる予定です。次回は足摺岬界隈になります。

コメント (2)

「考える人」の特集記事は「ことばの危機、ことばの未来」

2017-01-07 16:46:52 | Weblog

 年が明けて1週間が経ちます。でも旧暦のお正月はこれからです。小寒から大寒に移り変わるこの時期にお正月を迎えます。旧暦の方が日本の気候・風土にあっているような気もしますが、どうなんでしょう。
 そんな我が家の居間には、いま洋ランのひとつが満開です。我が家にお越しになって3年目ですが、名前はもう忘れてしまいました。花の少ない季節に潤いを感じます。
 きょうの昼下がり、近所の書店で季刊誌「考える人」2017年冬号に出会いました。今号の特集は「ことばの危機 ことばの未来」です。ふだん新聞を読んだり本を読んだり、はたまたブログを更新したり、メールを送ったり。なにげなく使っている「ことば」ですが、立ち止まって考えてみると深いテーマと言えます。
 「ことば」と「言葉」では微妙にニュアンスが違うように、同じ「ことば」でも、伝える側の思いが受け手にきちんと伝えられるかと言えば必ずしもそうでもありません。
 以前、ブログで「四角い言葉と丸い言葉」(2015.2.1)をテーマにしたことがありました。鶴見和子さんと石牟礼道子さんの対談「魂と”日本”の美~水俣から学ぶ」によるものですが、観念的な言葉、裃を着た言葉を「四角い言葉」、ふつうの人の言葉、ふだん使っている言葉を「丸い言葉」と言い、魂を入れて丸い言葉を磨いて玉にするべきとありました。私たちは意外と、もの知り顔に難しい言葉を使いたがる癖があります。
 「ことば」について広辞苑は、「ある意味を表すために、口で言ったり字に書いたりするもの。物の言いかた。口ぶり。語気。言語による表現。言葉のあや」などと言います。一方、同じ岩波書店の「語感の辞典」 には「人間が気持ちや情報を伝え合うために用いる音声や文字をさし、くだけた会話から硬い文章まで幅広く使われる日常の最も基本的な和語」とあります。そこには、ことばの「意味(概念)」と「語感」の微妙な違いがあります。
 「考える人」では、「使ってみたいこのことば」「響くことば、届かないことば」などの視点から複数の方々の小論が掲載されています。長椅子にでも横たわって季刊誌「考える人」を眺め考えてみたいと思います。
 「ことば」と言えば、ニューズウィーク日本版(ネット配信)は1月6日、「『言語の絶滅』で失われる世界の多様性」という記事を掲載しています。「現在、世界では7000の言語が使用されているが、そのうち半数は今世紀中に消滅すると言われている」と言い、「日本でもアイヌ語が危機的状況にある」と。「言語が失われることは、文化が消滅することを意味する。言葉は生物学的な多様性を反映しているので、言葉の絶滅は人類にとって大きな損失となる」とも。
 方言ひとつとってもそうです。最近は田舎に帰っても子どもたちの話ことばは標準語に近い。テレビの影響なのでしょうか。小さな島国で地方創生などと叫んでみても、ハコモノ投資の掛け声にしか聞こえてきません。もっと根っこの部分に対する検証を置き忘れているような気がいたします。その土地その土地の文化度は、しっかりと大切に守っていきたい、その意味でも「ことば」の果たす役割は大きいと思います。
 さて、昨年7月から始まった四国八十八ヶ所遍路の旅も7回目を迎えます。明日は「修行の道場」と言われる高知県を巡ります。小雨が降りそうな気配ですが、室戸岬の先にある札所を7カ寺歩きます。日付・住所・氏名・年齢を記入した御札を14枚、蝋燭14本、お線香42本、お賽銭。そして「納経帳」。あとは白衣と輪げさ、念珠、お経本、雨合羽。一式をリュックに入れて準備完了です。
 そういえば、これまで四国遍路に関する本は何冊か読みました。でも、実際に自分の足で歩いてみる、体感してみることで初めて本に書かれている「ことば」の意味がぼんやりと分かるような気がします。リュックの中に「考える人」も入れておきましょう(笑)。

コメント (2)

2017年の運勢は「大吉」

2017-01-02 23:04:03 | Weblog

あけましておめでとうございます。2017年という新しい年を清々しい心でお迎えになったことと思います。本年もどうぞよろしくお願いをいたします。

 さて、ふだん老夫婦で静かに暮らしている我が家は、年末から孫5人を含めて総勢13名の大家族となり、食事どきは大騒ぎの毎日が続きました。ひと昔前なら当たり前の風景でしょうが、核家族化の時代にあって家内も大奮闘。きょう最後の一陣が東京に戻って、急に静かになった我が家です。ふたりで静かに「お正月」を祝いました(笑)
 元旦の早朝、いつもどおりお不動さんに初詣にでかけました。朝早く参拝したためか人出は少なく、静かに新年のお参りをすることができました。そのとき引いた今年の御神籤は「大吉」と出ました。「花も開けば散り 月も満ちかける 人生は巻き戻せず今この瞬間も時を刻む」「自然の理に従い 受け入れ生きることであなたなりの幸せの道筋も見えてくる」とあります。当たり前のことのように思いますが、読み込んでいくと意味深いものを感じます。言葉のひとつひとつを素直に受け入れる私がいました。
 御籤の中には、開運招福お守りとして、小さな「鷽鳥(うそどり)」の縁起物一体が入っていました。説明書には「一年中のよくない事を嘘にして吉と取り換える”うそ替え”神事」とあり、「幸運の守り神として信仰があり広く親しまれている」「財布の中に入れて大切にお持ちください」と記されていました。良いことばかりです(笑)
 信じるか信じないかは人それぞれですが、現役時代に近代科学の粋を凝らした高層ビル建設の地鎮祭に列席したとき、建築学の最先端を行く研究者の方に「なぜ氏神さまを信じるのか」と問いかけました。すると「地鎮祭をしないなんて考えられない」と。「どうして?」と思いましたが、ご自分ひとりで大きな責任を負うことはできないということなんでしょうか。
 そういえば以前、ブログで小林秀雄の講演CD「信ずることと考えること」に触れたことがあります。......「信じること」は責任をとることだ。信ずる力を失うと人間は責任を取らなくなる。すると人間は集団的になる。誰も自分の責任は問わない。「考える」とは付き合うという意味だ。だから、人間について考えるとは、その人と交わることだ。それは科学の方法では駄目だ。その人の身になって考えなければ駄目だ。しかし考えるためには、大きな想像力がいると。
 ひとりの人間の生き仕方も同じかもしれません。社会に対して、時代に対して、ひとりの人間としてどう向き合い責任を果たすことができるのか。今年1年の課題になりそうです。.....と、難しいことを書いてしまいましたが、ここは肩の力を抜いて、自分の置かれている環境を素直に受け止め、考えていきたいと思います。
 そんなお正月を迎えた元旦の夜、NHKテレビで「ウィーン・フィルニューイヤーコンサート2017」をオーストリア・ウィーン楽友協会からの生中継で見ました。といってもおおぜいの孫たちに囲まれていましたので、きょうその録画を見ました。指揮は、ニューイヤーコンサート史上最年少35歳のグスターボ・ドゥダメルさん。テレビ画面には、市立公園にあるヨハンシュトラウス像やカールズ教会など、半月前に歩いた風景も現れ、楽しい時間を過ごしました。
 ちなみに、今年は6月下旬にフェスティバルホールで開かれるプッチーニの歌劇「トスカ」のチケットを年末の先行予約でゲットしています。久しぶりにアンジェラ・ゲオルギュー(http://www.angelagheorghiu.com/)のソプラノが聴けるのが楽しみです。
 

コメント (2)