心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

走行距離770キロ~土佐の国へ

2017-02-25 20:37:18 | 四国遍路

 大阪市中央公会堂で開かれた恒例の「水の都の古本展」に出かけたついでに、国立国際美術館の「クラーナハ 500年後の誘惑」展を覗いてきました。ルカス・クラーナハ(1472~1553年)のことはよく知らなかったのですが、開催案内によれば、ヴィッテンベルクの宮廷画家として名を馳せたドイツ・ルネッサンスを代表する画家で、マルティン・ルターに始まる宗教改革にも関与した人物のようです。作品の多くは宗教画、そして宮廷・皇帝を題材にしたものでした。
 共催のウィーン美術史美術館には昨年、その前を通っただけで覗く時間がなかったので、今回はじっくりと見て回りました。印象派以前の精緻に描かれた作品は写真と見まがうばかり、でも描かれた女性の不思議な表情を前に考え込む時間が多かったように思います。それでも、ひとつひとつの作品には物語があります。識字率が低かったであろう時代に、宗教画の果たす役割はずいぶん大きかったのではないか。仏教の「曼荼羅」に近いものを感じました。ちなみに、この展覧会にはアルブレヒト・デューラーの作品も数点ありました。
 さて、昨日一昨日と四国八十八カ所遍路の旅に出かけてきました。今回は土佐の国7カ寺を巡りました。早朝雨が降りしきるなか家を出て、バスに乗って高知県をめざしましたが、驚いたことに土佐の国は春めいた陽光につつまれていました。さすが南国・土佐の国です。お参りしたのはつぎの7カ寺です。
 第三十五番札所・醫王山清瀧寺(土佐市)  ご本尊は薬師如来
 第二十七番札所・藤井寺岩本寺(高岡郡)
       ご本尊は不動明王、観世音菩薩、阿弥陀如来、薬師如来、地蔵菩薩の五仏
 第二十六番札所・独鈷山青龍寺(土佐市)   ご本尊は波切不動明王
 第二十四番札所・本尾山種間寺(吾川郡)   ご本尊は薬師如来
 第二十三番札所・高福山雪蹊寺(高知市)   ご本尊は薬師如来
 第二十二番札所・八葉山禅師峰寺(南国市) ご本尊は十一面観世音蔵菩薩
 第二十一番札所・五台山竹林寺(高知市)  ご本尊は文殊菩薩

 まずは清瀧寺に向かいます。723年に行基が建立したあと、後年空海が修行したお寺です。ぽかぽか陽気のなか高さ6メートルもある薬師如来像がお出迎えしてくれました。大師堂の天井に、十二支の方位計?を見つけました。弘法大師が満願の日に金剛杖で大地を突いたら澄んだ水が瀧のように溢れ出たということで清瀧寺と名づけられました。いまも本堂の横には清水が湧いていますが、清らかな水とコウゾとミツマタ.....。清瀧寺の麓の村は、手漉き和紙の歴史を今に伝えています。
 岩本寺は、四万十川の上流、高岡郡窪川町にあります。こちらも行基、空海と続く歴史をもち、四国八十八カ所では唯一の5仏のご本尊が納められています。本堂の天井一面に描かれた絵は、本堂を再建したときに描かれたものだそうです。
 初日は2カ寺で打ち止めとなり、土佐の海辺にある温泉宿に泊まりました。28回目の四国遍路をめざすお爺さん、在阪大手電機メーカーをリタイアした方は私と同い年。同行者と何度も温泉に浸かりながら、いろいろとお話しをさせていただきました。一期一会の楽しい貴重な時間です。翌朝、宿の前に広がる海岸線を散歩しました。土佐湾といえば、江戸の末期、ジョン万次郎こと中村万次郎が船出したところでもあります。
 宿を出発したのは午前7時半。まずは青龍寺をめざしました。山門をくぐると170段の石段が続き、徐々に気持ちが高ぶってきます。波切不動明王。実はこの仏さまには覚えがあります。かつてお勉強会でご一緒に仕事をした同業他社の方のお家が関西の波切不動さんで、彼はお坊さんの仕事もしていましたが、残念なことに志半ばでお亡くなりになりました。石段を一段一段踏みしめながら彼のことを思いました。
 弘法大師空海が唐の青龍寺で恵果和尚から真言密教の奥義を授かったことはよく知られています。その空海が唐から帰国するとき、独鈷杵を投げたところ、帰国後四国を修行中にこの地で見つけたのだとか。空海は、その恩に報いるために、嵯峨天皇の許しを得てこの寺を青龍寺と名付けたと伝えられています。このお話しを信じるか信じないか。お寺の一画には恵果和尚を祀るお堂もありました。
 次に向かったのは種間寺です。このお寺は、大阪の四天王寺の仏像をつくるために百済から招いた仏師たちが、帰国の途中に嵐にあって、この地に一時避難。その際に薬師如来を彫ったのが始まりだとか。
 雪蹊寺も空海ゆかりのお寺ですが、鎌倉時代には仏師・運慶とその子湛慶がやってきて、本尊をはじめとする仏像を作ったことで知られています。その後変遷を経て、現在では臨済宗のお寺になっています。四国遍路の旅をしていると、心の中に奈良・鎌倉時代の風景が浮かんできます。
 境内から眼下に太平洋が広がる禅師峰寺。海の男たちを守るお寺でもあります。遠くには南国市のビニールハウスが点在していて、温かい地方の豊かな農業を思います。でも、台風が来たらたいへんだろうなあと。
 今回のツアーの打ち止めは竹林寺です。四国八十八カ所で文殊菩薩をご本尊とするお寺はここしかありません。行基の作と言われています。「三人よれば文殊の知恵」という格言があるように、知恵の神様として有名な菩薩です。広々とした境内には本堂、大師堂、総檜づくりの五重塔が配されています。太子堂の裏には一言地蔵尊がありましたが、先達さんいわく「お願いごとはひとつだけやで」と。
 このお寺は「よさこい節」でも知られています。「土佐の高知の はりまや橋で 坊さんかんざし 買うを見た よさこい よさこい」。この歌詞は、江戸時代の末期に起きた、竹林寺の僧・純信と美しい娘・お馬との道ならぬ恋の物語が元となっているのだそうです。悲しい駆け落ち物語でありました。
 1泊2日の行程でバスの走行距離は770キロにも及んだ今回の四国遍路の旅ですが、大阪とは違い、すでに早春を思わせる長閑な風景に気分は爽快でした。「修行の道場」と言われるだけあって、土佐の各寺は独特の雰囲気に包まれ、お参りをするたびに「不瞋恚(ふしんい)」、つまり、いかり高ぶる心を捨て人を慈しみの心でみる。「不邪見(ふじゃけん)」、邪な見かたを離れ、物の本質をありのままにみる。そんな十善戒の言葉の意味を噛みしめる旅でもありました。
 さて、土佐の国も足摺岬の先端にある金剛副寺と延光寺の2カ寺を残すのみです。来月は四国西南地域に出かけることになります。今日届いた日程表によると、バスの走行距離はなんと1000キロだとか。本が一冊読めそうです。

コメント (2)

歩く楽しさ~ウォーキング

2017-02-17 21:04:39 | 歩く

 先週の土曜日は雪が舞う京の街を歩く予定でしたが、集合場所のJR二条駅に到着すると、担当の方から「申し訳ありません。大雪警報が発令されたので、きょうの大政奉還150年ウォークは中止になりました」と。あっちゃあ~自宅から1時間半もかけて来たのに。配付予定だったバレンタインチョコをいただいて、この日のウォークはあえなく終わりました。
 でもねぇ、お外は雪が舞っているわけでもなく、むしろ青空が眩しいお天気です。気象台はいったいどうなってんのと思いつつ、凍てついた路上で滑っている方がいらっしゃる。やむを得ないご判断だったということにしておきました。
 せっかく来たのだからと、知り合いの方とご一緒に予定のコースを少し歩くことにしました。まずは徳川家の栄枯盛衰の場ともいえる二条城に向かいました。国宝二の丸御殿、なかでも150年前に大政奉還の意思が表明された大広間を眺めながら、日本の歴史の節目を思ったものでした。
 その後、北上して旧京都府庁舎を経て御所へ。ここで知人と別れると、私は高倉通夷川上るの京都府古書籍商業協同組合に向かいました。ちょうど「古書会館de古本まつり」を開催中で、帰りに寄ろうと思っていたところです。入口こそ閑散としていましたが、エレベーターで3階にあがると、会場は老若男女、熱気に溢れていました。この日は小川国夫著「ゴッホ」を連れて帰りました。淡い茶色の印字と絵画の口絵が気に入りました。
 こうしていつも呑気に暮らしている私ですが、実はきのう確定申告に行ってきました。職場任せの納税手続きを卒業して、今回から税制の仕組みを念頭に必要な手続きをすることになります。それにしても国税庁のホームページにある確定申告書作成システムはよくできていました。若干、電話で問い合わせもしましたが、スムーズに仕上げることができました。
 確定申告の初日とあって、お隣の市にある所轄税務署に出かけると早や長蛇の列、聞けば4時間待ちとか。これはたいへんと担当の方に尋ねると、私が並んだのは相談者の列でした。申告書を提出するだけの者は別の入り口があって、いとも簡単に終わってしまいました。半日を想定していた私としてはとんだ肩透かしでした。
 この日は何も予定を入れていなかったので、久しぶりのお天気にも誘われて、バスで30分ほどの距離を歩いて帰ることにしました。時々、バス通りから離れて裏道を歩いたり、公共施設やお店を覗いたり。すると、こんもりとした鎮守の森が見えてきました。鳥居には山田神社とあります。創立は1279年。御祭神は「素戔嗚命」「稲田姫命」。えっ、私の田舎にある神社と同じです。こんな身近なところに、幼稚園の遠足の定番だった神社と同じ御祭神を祀る神社があるとは......。本殿にお参りをして帰りました。家に帰って万歩計をみると、この日の歩数は1万2千歩でした。
 早朝散歩を始めて半年が過ぎました。それにつれて日々「歩く」ことに対する拘りが増しているように思います。ちょっとしたお買い物はすべて徒歩。繁華街にでかけたときも地下鉄のひと駅やふた駅は歩きます。週の半ばにあった呑み会も、お店までのずいぶんな距離を街の風景を楽しみながら歩きました。
 なぜ歩くかって?歩くことで何かしら脳ミソが活性化してくるのが分かります。もちろん減量も期待しています(笑)。加えて、これまで気づかなかったもうひとつの街の風景に出会う楽しさもあります。先日は、我が街に弘法大師空海ゆかりの井戸を見つけました。なかなか美味しい水でした。またある日には、10数羽の鴨が羽を休める小さな池も発見しました。都会の片隅でほっとひと息つける空間です。
 そういえばきょうの毎日新聞の夕刊「旅~風景、人、物語」は、「ユルスナールの靴」を著した須賀敦子さんにスポットを当てたものでした。「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ」。靴に合わせて生き方に磨きをかけるか、相応の生き方に合った靴をみつけるのか。さあて私はどっち?
 そうそう、先週ご紹介したヘンリー・D・ソローですが、鎮守の森を守り日本にいち早くエコロジーの大切さを説いた南方熊楠とソローの親近性も見えてきました。そんなソローが、「歩く」ことについて3つのエッセイを書いています。そのうちの1冊「ウォーキング」(1862年)を、きょうアマゾンに注文しました。
 ........来週は四国遍路の旅に出かけてきます。土佐の国を歩きます。帰ってきたら、梅の花を求めて京の街を歩こうと思っています。

コメント

気になるヘンリー・D・ソローの「森の生活」

2017-02-10 20:26:00 | Weblog

 昨年、ウィーンの街角で買った小さなカレンダー。今月の写真は雪を被るブラームス(1833~1897年)です。家内と一緒に音楽家の像を求めてウィーンの街を歩き回ったのは2か月前のことでした。
 きょうはグレン・グールドが1960年の秋、ニューヨークのコロンビア30丁目スタジオで録音した、ブラームスの「間奏曲集」を聴きながらのブログ更新です。人生の晩秋や孤独を表したブラームス晩年の作品を、28歳の誕生日を迎えたばかりのグールドがみずみずしい感覚で歌い奏でています。
 2月も半ばを迎えたこの時季、旧暦では「立春」と言いますが、日本列島に寒波が押し寄せています。でも、ここ大阪は風こそ強いものの雲の合間から陽が覗く、そんなお天気でした。なんと春が待ち遠しいことか。待ちきれず先日はお花畑の土づくりに汗を流しました。きのうは駅前の花屋さんの店先で、売れ残った格安のガーベラに出会いました。来年の開花を思い描きながら2鉢ほど連れて帰りました。
 そうそう、先日は小雪舞うなか「特定健診」を受けてきました。癌検査の関係で3カ月ごとに通院していますからあえて受診する必要もないだろうと思いつつ、生活習慣病の予防、医療費の節減というお国の方針に沿うかたちで市内の指定病院に出かけました。検査項目は身体測定、血圧、血液検査、尿検査、内診までが無料ですが、オプションで心電図と聴力検査を加えました。来月の癌ドックを前に、準高齢者にとってささやかな「安心」を確認するための作業になります。

 さて、話はがらりと変わりますが、現役を退いて以後、社会の動きを一定の距離感をもって眺めるようになって、最近なんとも気になるのがアメリカの行く末です。時代を牽引する先進国に追いつき追い越せと頑張ってきたのに、どうも先進国のリーダーの言動が怪しい。なぜ?どうして?
 そんなことをぼんやり考えているとき、NHKカルチャーラジオ(文学の世界)の今期のテーマが「はじめてのソロー~森に息づくメッセージ~失われた豊かさを取り戻せ」(全13話=講師は伊藤詔子先生)であることを知りました。既に4回まで終わっていますが、幸いなことに初回からネットで聞くことができます。さっそくテキストを買ってきました。
 手許にはソローの代表作「森の生活」があります。その帯には「森の自然観察と畑仕事と読書を愉しむシンプルな生活が、2世紀を生きる深い思索を生んだ。自然と文明、個人と社会・・・・そして、ひとが心豊かに生きていくとは、どういうことなのか」とあります。
 ソローは、アメリカ独立宣言の41年後の1817年、マサチューセッツ州にある独立戦争発端の地コンコードの村はずれで生まれました。ことし生誕200年になります。ブラームスが生まれたのが1833年、かの南方熊楠が生まれたのが1867年(生誕150年)。今週のカレッジの授業「近代文学①=大阪が生んだ文学者たち」に登場した与謝野晶子が生まれたのが1878年。そしてグレン・グールドは、カナダのトロントで1932年に生まれています。
 いろんな人々が現れては消えていく。さまざまな個性がぶつかり合い、いろんなものの見方が輻輳しながら徐々にひとつの流れを形成していく。この世の中、急に場面転換できるほど呑気なものではありませんから、こうしたひとの生きざまを丁寧に繋いでいけば何かが見えてくる。そんな気がします。建国間もないアメリカに生きたソローが何を思い何を考えていたのか。興味は尽きません。

 温かい部屋の中で長椅子に横たわってページを開く。贅沢なものです。.......明日は、大政奉還150年①「大政奉還奏上」ウォークです。今年は、徳川15代将軍慶喜が二条城で朝廷への政権返上を表明して150年を迎えるのだとか。そんな激動の時代を思いつつ、雪が舞う京の町を13キロ歩いてきます。

コメント

お伊勢参りで「おかげ犬」に出会う

2017-02-05 00:28:11 | 旅行

 ブログ「心の風景」を立ち上げた頃は、いくつかのカテゴリーを設定していましたが、テーマを絞りづらくなって以後、「Weblog」に統合していました。でも、昨年の夏、四国八十八ヶ所遍路の旅を始めてから記事にひとつのまとまりができてきたので、カテゴリー「四国遍路」を設定しました。そうこうするうちに検索機能を駆使して「旅行」「ウォーキング」「古本フェア」「愛犬ゴンタ」と相次いで細分化を試みました。あと「音楽」「読書」あたりもできそうですが、残念ながら的を絞りにくく、当面はこのあたりで留めておくことにします。細分化の作業をしながら思ったのですが、私ってこの10年、ほとんど成長していないなあと。同じところをぐるぐる回っているような、そんな気がいたします。

 さて、今週は現役時代に顔を出していたお勉強会のOB会がありました。会場は大阪駅のお隣「福島」界隈でした。物珍しく街並みを眺めながらお店に向かっていると、ビルの片隅に菅原道真公を祀る福島天満宮がありました。ずいぶん古い神社でしたが、このあたりは大昔、大阪湾だったはずです。どんな変遷を経たのでしょう。
 福島界隈で呑むのは2回目です。キタのお洒落さはないけれど、一歩細い路地に入るとお店の提灯があちらこちらにあって、かつリーズナブル。集まった仲間たちは、長い仕事人生を終えて新しい「時間」というものに少し慣れ始めた頃です。すっかり腰を据えて夜遅くまで呑み語らいました。
 ところで、今週もお出かけの多い一週間でした。そんななか昨日と今日は、家内のお供(?)で、お伊勢参りに行ってきました。お寺とは異なる神秘さを肌で感じる境内を歩いていると、自然に背筋が伸びてくるから不思議です。
 お参りのあと、おはらい町通りを散策していると、おかげ横丁の太鼓櫓のあたりに人だかりができていました。なんだろうと行ってみると、豆まきが始まろうとしていました。そうなんです。節分の日でした。頑張って2個ほどいただきました。豆まきなんて何年ぶりでしょう。とんだ贈り物をいただきました。
 その帰り、おかげ横丁のお店で、「おかげ犬」のお人形が目に留まりました。その由来をネットで調べてみると、病気や様々な都合で伊勢に行けない人が、伊勢参りに行くという人に自分の犬を預けて連れて行ってもらうことのようで、中には道中で誰かが犬を連れて行ってくれることを期待して犬一匹だけで送り出されることもあったのだとか。ワン君は人々の善意に支えられ、伊勢へと送り届けられたと。真偽のほどは定かではありませんが、お人形の「おかげ犬」の愛くるしさが何とも言えません。やはりヒトとワン君は互いに寄り添って生きています。
 この日泊まったのは鳥羽の温泉宿でした。遠くに夜の海を眺めながら、そして美味しいお酒をいただきながら、まったりとした時間を過ごしました。次の日は、鳥羽湾を巡る屋形船で美味しい昼食をいただいて帰阪いたしました。
 ところで、この小旅行のなかで、私は一冊の小説を読み終えました。玉岡かおるの「虹、つどうべし~別所一族ご無念御留」(幻冬舎時代小説文庫)です。織田信長の命を受けて播磨平定に乗り出した羽柴秀吉と別所一族の悲惨な戦いを題材にしたものですが、織田方から別所一族の居城、三木城に送り込まれた女間者(まわしもの)・希久を軸に、のちに黒田と名を改める小寺官兵衛らも登場するという意味で、スケールの大きな、玉岡さんらしい小説でした。播州・三木は玉岡さんが生まれ育ったところです。ふだん、歴史小説を読むことの滅多にない私ですが、戦国時代の人の生きざまがひしひしと伝わってきて、いっきに読み終えました。

追悼

 「虹」と言えば、以前ご紹介したブログ「愛犬まるの風だより」http://blog.goo.ne.jp/aikenmaru-kazedayoriの主人公・愛犬まるが亡くなりました。「突然ですが・・・愛犬まるが、2月3日午前6:32に虹の橋へ旅立ちました」。このブログには愛犬まるの気持ちを飼い主さんが九州弁で代弁する「愛犬まるのつぶやき」という1行コメントがあります。その何とも言えない言葉が読む者をほっこりとさせてくれました。最後になった「愛犬まるのつぶやき」には、こう記されています。【ボクは、21才と3ヶ月14日やったとよ~。みなさん、ほんとに長い間応援してくれてありがとう!】 。ご冥福をお祈りいたします。

コメント