心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

小林秀雄の講演CD

2006-04-30 15:43:56 | Weblog
 一昨日は仕事の関係で、奈良県吉野郡川上村におじゃましました。和歌山を流れる紀ノ川の源流「吉野川」が村の真ん中を流れ、それを吉野杉の山々が囲むという、なんとも素晴らしい村でした。立ち寄った木彫工房でいただいた一掴みの木屑の香が、いまも私の部屋に充満しています。澱んでいた頭脳の血液がさらさらと流れていくのを実感できるような、そんな贅沢な気分になります。
 さて、きょうは、小林秀雄を耳で聴くCDシリーズ「小林秀雄講演(全6巻)」新潮社に触れたいと思います。昭和という時代を代表する文芸批評家・現代批評家として知られる氏の著書は、私にとって難しい部類に入ります。しかし、難しいから拘る。私にとっての作曲家グスタフ・マーラーと同じように、難しいけれども気になってしょうがない存在。だから聴く。だから読む。これが私にとっての小林秀雄です。ことし初めの白洲正子さんとの出会いが、とんだところに発展してしまいました。
 この小林秀雄の講演録CDを、先日、京都河原町に開店したジュンク堂書で見つけました。少しお高いのが難点ですが、エグゼクティブセミナーに参加することを考えればと、とりあえず第2巻「信ずることと考えること」を聴いてみました。昭和49年夏に鹿児島県霧島で開かれた国民文化研究会主催の学生合宿教室での講演録でした。起立・礼で始まり、起立、礼で終わるこの講演録で、氏は、若い学生たちに独特の口調で語りかけます。「ベルグソンの哲学」「近代科学の方法」「文学者・柳田國男」「信じることと知ること」「考えるということ」などなど、講義と質疑応答でCD2枚120分ほどかかります。それをMP3プレイヤーにダウンロードして、時間をみつけては聴きました。文字とは異なる小林秀雄の人となりを知り、私にとっては一段と身近な存在になりました。そんなわけで、きのう街中を散策した際、もう1巻買い求めました。今度は第6巻「音楽について」でした。このCDは、氏の音楽論、作曲家論、演奏家論を、実際に氏が聴いていたSPレコードの一部を聴きながら、拝聴するというものでした。少し雑音も混じるSPレコードの音に久しぶりに出会いました。
 さぁて、3日から始まる連休は、久しぶりに湖北の山小屋に出かけます。もちろん、このCDと、それから相馬御風の古本をリュックに入れて。柔らかな若葉の下で、起立・礼、そんな日々を過ごしてみたいと思っています。
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日本の「こころ」

2006-04-23 10:09:03 | Weblog
 1週間が慌しく過ぎて、平穏な日曜日の朝を迎えました。あいにく天候は小雨。それでも、ゆったりとした時間を楽しめる休日は、さまざまな人間関係のなかを浮遊しながら生きる私にとって、何ものにも代えがたい貴重な一日です。今朝は、久しぶりにCDを聴きました。「アヴェ・マリア(聖なるアリアと合唱曲集)」。バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」、ヘンデルの「涙の流れるままに」、モーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」....。そうそう、今週は、国に申請していた大きな事業提案が採択されたという嬉しいニュースがありました。他愛ない社内ポリティックスに振り回され大切な時間を奪われたこともありました。悲喜こもごもの一週間を振り返ります。
 ところで前回紹介した相馬御風の本、実は先週も、眠りにつく前の僅かな時間、ぱらぱらとめくっていました。大正の半ば、東京から故郷の新潟糸魚川に転居して以後、当時の「現代社会」を少し距離を置いて眺めた氏の思いが綴られていました。都会と田舎。人間の生き方。今日ほど心が荒れた時代はないだろうと思っていたのですが、当時は当時なりに、似たような状況にあったのだと思ったものです。
 そんな彼の著書も、戦時下になると少し趣きが変わってきます。「郷土人生読本」には、非常時局編と題して、いわゆる支那事変の意義を説く論調に変わってくる。人を愛し、田舎を愛し、自然と人間を考えた抒情歌人・詩人・自然主義評論家が、ごく自然にそういう思いに至ったのであれば、私にとっては非常に重たいテーマになります。このところ、教育基本法の改正をめぐって議論が浮上しつつありますが、「国を愛する心」を素直に表現できないでいる背景に、ひょっとしたらこうした複雑な事情があるのかもしれません。
 でも、難しい検証、議論は別にして、わたしは、相馬御風の「心」を素直に受け止めたいと思います。いろいろ調べていて、少し驚いたことがあります。♪春よ来い 早く来い  あるきはじめた みいちゃんが  赤い鼻緒の じょじょはいて  おんもへ出たいと待っている♪。そう、彼は「春よこい」を作詞しました。ちなみに作曲したのは「浜千鳥」「叱られて」「靴が鳴る」を作曲した弘田龍太郎氏でした。「カチューシャの唄」を作詞したのも相馬御風でした。「シャボン玉」「てるてる坊主」「肩たたき」「兎のダンス」などを作曲した中山晋平氏が作曲を担当しました。古き良き日本の「こころ」は大事にしたい。大切にすべきものとそうではないものを詳らかにしたうえで、時代を見つめる新しい視点を得たい。それが、相対的に宗教意識の希薄な私たちにとっての戦争責任の取り方なのだろうと、最近、そんなことを考え始めました。
 ところで、きょうは午後、家族と一緒に京都・知恩院にお参りです。お彼岸に行けなかったからですが、久しぶりの京都散策です。少し早い連休気分かも(^^♪
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温故知新

2006-04-16 18:53:41 | Weblog
 きょうは正午から、大阪梅田のど真ん中にあるホテルで、4月の人事異動に伴う職場の歓送迎会がありました。年度初めのごたごたで伸び伸びになっていたのですが、繁忙という時の流れに竿さす意味で、えぃ、やぁとばかりの開催と相成りました。でもねぇ、日曜日は避けてほしいなぁと思いながらも、多忙な時期に企画立案、進行を務めていただいた若い方々には感謝です。みんなも、ちょっとしたギアチェンジを図れたのではないかと思っています。
 70名余りの昼食会で、2時間ほどでお開きになりましたので、少し寄り道をして帰りました。一軒目はいつものとおり中古レコード店です。手にしたのは、「歌の翼に(シュワルツコップ珠玉の名歌集)」でした。このレコード、昭和30年代に発売された東芝EMIの赤盤で、帰るとさっそく試聴です。無傷で、美しいシュワルツコップの歌声が、スピーカーから流れてきます。かつて、このレコードを聴いて過ごしたのは誰?、どんな方だったんだろうと思いながら、心は歌の世界に...。「乾杯してよ」「愛の歓び」「わが歌に翼ありせば」「ささやくそよかぜ」「おん身を愛す」「農家の庭の歌」...。お昼のお酒のせいでしょうか、少し眠ってしまいました。それほどに自然に聴くことができる素晴らしい歌曲でした。
 もう一軒目は、古本屋さんでした。これまでは、大型書店で新刊本を手に時間を潰すことが多かったのですが、どういうわけか最近は、古色蒼然とした古本屋さんを訪ねる機会が増えてきました。とりたてて何か目的があるわけではありません。大正・昭和初期の本に、何か心温まるものを感じてしまいます。同じ本を文庫本で読むことができるのに、あえて薄茶けた単行本をぱらぱらめくりながら読む。出版された当時の時代の臭いを嗅ぐ。そんな時間を楽しんでいます。きょう手にしたのは、相馬御風の「郷土人生読本」「郷土文学読本」の2冊でした。氏は、早稲田大学をはじめ多くの校歌を作詞した、明治・大正・昭和に生きた抒情歌人・詩人・自然主義評論家でした。夜な夜な眺めてみたいと思っています。ちなみに、古本は、ナフタリン入りのビニール袋に数日保管したあと、陰干しをしてから書棚に入れる。これが、私の蔵書整理法です。
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春の休日

2006-04-09 16:24:45 | Weblog
 やっと桜花爛漫の季節となりました。窓を開けると、爽やかな空気が心地よく、なんとも幸せな気持ちになります。そうそう、けさ嬉しい発見がありました。湖北の里に咲く美しい椿の花が、我が家で初めて開花しました。何回も挿し木をいただき、何回も失敗をして、そしてやっと根付いた小さな椿の枝に、1輪の花。色も姿形もお気に入りです。
 そんな日曜日の朝、わたしは洋ランのお手入れをしました。植え替えです。まずは、ホームセンターに行って素鉢とミズゴケを買い求めます。次に、根が回ってしまった株を、鉢を壊しながら丁寧に取り上げて、古い根やミズゴケをピンセットで取り除きます。そして、水に浸しておいた新しいミズゴケで根をつつみ、新品の素鉢に植える。ざっと、こんな作業ですが、新しい根や芽が動き始める時期なので、先端を傷つけないように細心の注意をはらいます。株数が多いわけでもないのに、ずいぶん時間がかかってしまいました。その間、愛犬ゴンタは何をしていたかって?。私の横で大の字になってお眠りでした。
 話は変わりますが、先日発売された季刊誌『考える人』の特集は、「直して使う」でした。要するに、「もの」が壊れても修理して大事に使うことの意味を問うものでした。ケチの象徴としてではなく、傍にあって当たり前の「もの」に対する思いやりと、自らの生きざまの証としての存在を、壊れたからといってすぐには捨ててしまうことができない、人間の拘りのようなものを考えました。取っ手が壊れた茶瓶の後ろに母親の姿が透けて見えることだってある。小さな傷に、子供たちの悪戯の跡をみることもある。こう考えていくと、すべてを捨てることができなくなってしまいますが、「もの」への執着ではなく、忘れかけていた「こころ」の在り様に焦点をあてようというものでした。....春の休日の昼下がり、柔らかな春の陽の下で、この季刊誌をぱらぱらと眺めながら過ごしました。愛犬ゴンタは、午後も私の足元でお昼寝でした。
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『春』

2006-04-02 11:05:56 | Weblog
 日曜日ぐらいは晴れてほしいなぁという期待も裏切られ、きょうは朝からどんよりとした天気です。でも、気温が高いぶん、春の訪れを体感できて、心の中に曇りはありません。マルタ・アルゲリッチのピアノ演奏を大音量で聴く休日の朝を迎えました。
 小雨が止んだので、庭先に出て花壇の前にしゃがんで地面を見つめていると、いろいろな草花の芽がみえます。なかでも、花壇の一画にあるハーブの畝には、ミント、レモンバーム、カモミール、ラベンダー、セージ、ローズマリーなどが芽吹きはじめています。先週の日曜日に購入した山椒の若木もなんとか元気に育っていました。その横では、ブルーベリーの枝先に花芽が大きく膨らんで、いまにも開花しそうな勢いです。確実に「春」は訪れているんだと、そう思いました。
 このところ、年度変わりも手伝って、ずいぶん忙しい日々を過ごしています。先週の半ばには、久しぶりに「徹夜」もどきの経験もいたしましたが、これだけ仕事に振り回されると、その反動なんでしょうか。やたら難しい本を読みたくなります。それも、寝る前に、頭脳の疲れを癒す妙薬のように、30分ほど長椅子に座って、おもむろに本を開きます。仕事を忘れ、本の世界で呼吸している自分に気がついた頃、本を閉じて眠りにつく。ときどき、その続きを夢の中で見ることもあります。おそらく心の安寧を求めて無意識のうちに身体が求めているのでしょう。昨日の夜は、ずいぶん昔に訪ねたことのある南方熊楠記念館の薄暗い展示室で一人見て回っている私がいました。少しお疲れなんでしょう。きっと。
 とはいえ、昨日は4月1日。人事異動もあって、職場にはこれまでとは違う緊張感が漂っていました。環境の変化で、こうも人の振る舞いが違って見えるものかと思ったものでした。いずれにしても、新しい年度を迎えました。心機一転、大きな夢をもって大きな事業に取り組みたいものです。
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