心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

鉄道の想い出

2019-03-27 21:22:29 | Weblog

 先日、なにげなく新聞を眺めていたら、「JR四国『単独維持 厳しい』」「廃線回避 地元協力カギ」(読売新聞)の見出しが目に留まりました。営業係数(100円の収入を得るために要する費用)が最も高いのが北宇和島~若井(予土線)で1159円。他に、営業係数635円の牟岐線(阿南~海部)、278円の土讃線(須崎~窪川)も。いずれも、その一部の区間を「歩き遍路」の際に乗ったことがありました。
 予土線といえば先日、宇和島駅からふた駅目の務田駅まで乗った、まさにその路線です。たしか220円だったと思いますが、15分ほど走りましたから、大阪ならもう少しお高いはずです。四国の農村風景の中をひた走りました。乗客は多くはありませんでした。記事によれば、人口減少に歯止めがかからず、JR四国の合理化の余地は最早ない状況にまで追い込まれているようです。今後の老朽設備に対する改修費用を考えると自力での路線維持は難しいとも。事は深刻です。
 地方の交通網の深刻さは、四国だけではありません。JR北海道も同様な問題を抱えています。私の田舎の路線維持も、以前から問題になっています。高速道路が整備されるに従って鉄道利用者が減ってくる。そこに人口減少と高齢化が追い打ちをかける。一方で都市部は、高速道路の渋滞緩和のために、鉄道の新設と延長が政治マターになる。国土の強靭化政策とやらが取り沙汰されていますが、総合的な視点からの真面目な議論が見えてきません。地方創生とはいったいなんなんでしょうか。
 子どもの頃は、蒸気機関車が走っていました。夜の9時前になると、その日最後の機関車が悲しげな汽笛を鳴らして静かな山あいを走り、もう寝る時間であること教えてくれました。小学生の時には、友達とトンネルの中を歩いていて、急に迫ってきた機関車に追い立てられるように逃げ走ったこともありました。あとでずいぶん叱られました(笑)。

 それがいつの間にかディーゼルカーに代わり、急行列車も走るようになりましたが、その後、朝夕の高校生の乗り降り以外の時間は利用者も目立って少なくなり、ワンマンカーに代わりました。そして無人駅も登場してきました。当時の国鉄もめいっぱい合理化をしてきましたが、事態は悪化する一方でした。
 昨年、法要のために帰省した際も、ちょうど台風が迫っていることもありましたが、帰りの列車に乗ったのは私たちの親族4人だけでした。たった4人のために列車1台が動いていることに後ろめたささえ感じたものでした。かつては、大勢の児童が列車に乗って修学旅行に行った時代がありました。いつも駅前は賑やかでした。でも今はひっそりとしています。
 室戸岬や足摺岬から太平洋を眺めていると、海の向こうに明るい未来を予感させます。同じように、山間地の人びとは駅頭に立って未知の世界に思いを馳せました。夏の終わり頃、線路の端にひっそりと花咲く月見草がまだ見ぬ世界へと誘うように..........。
 きょうのブログは少しだけ深刻な内容になってしまいましたが、目の前の現実にきちんと向き合うことが求められています。歪になった国土の在り様が問われているような気がいたします。

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「いいんじゃない」と煽てられて(笑)

2019-03-20 23:50:15 | Weblog

 「日本の七十二候」を紐解くと、第十候春分初侯「雀始巣(すずめはじめてすくう)」。スズメたちが冬枯れの枯れ草や藁を集めて巣づくりを始める季節なのだそうです。そういえば最近、春めいた朝に元気なスズメたちの声で目覚めることがあります。
 庭ではクリスマスローズが満開、水仙もあちらこちらでひっそりと朝を迎えています。我が家の今年の新顔は「メランボジューム」という名の蔓性の花です。昨年の今頃、ホームセンターの園芸店で出会いました。その後1年間何の音沙汰もなかったので、どうなんだろうと思っていたところ、冬の終わり頃から花芽が見え始め、今では小さな花が房状に咲いています。

 さて、ゆったりまったりの先週は、水彩画教室で女性のモデルさんの絵を仕上げました。1カ月前に描き始め、その後あっちに行ったりこっちに行ったりしているうちに、モデルさんの表情も思い出せません。拙いデッサンに向きあいながら、絵筆を動かしました。大きな眼、のびやかな首筋............。「いいんじゃない」なんて先生に言われて、なんとか気を取り戻して最後まで仕上げることができました。
 最近、講座に来ている方々が集うサークル「色鉛筆で描く仏画」にも顔を出しています。といっても指導者がいるわけでもなく、みんなでああでもないこうでもないと雑談しながら楽しんでいる会です。アシスタントの仕事もいろいろあって、時たま仲間入りする程度の不真面目な会員なのですが、とりあえずの一作目は、私の守り本尊(寅年)「虚空蔵菩薩」です。
 3月に入って、北海道に行ったり四国に出かけたりと、慌ただしい日が続きましたが、一昨日は恒例の3カ月検診を受けました。可もなく不可もなく、歳相応に食べ過ぎ吞み過ぎに注意すること、適度の運動を励行すること。これが娘のような若い女医先生のアドバイスでした。
 やはり健康が一番です。と言いながら、昨夜は久しぶりにシニア8人組の小宴会でした。今回は誰が見つけて来たのか会席8品に呑み放題付きで3500円という、とんでもなくお安いお店でした。個室でワイワイガヤガヤと夜遅くまで話は尽きません。呑気なものです。次回は5月末とあいなりました。
 そんなある日、ある方から肖像画をいただきました。全くの素人ながらなんとなく雰囲気は出ています。ほんのちょっとだけですが(笑)。頭の薄いのはどうしようもありません。
 それはそうと、先日の日曜日、珍しく横浜にいる次男君から母親に電話がありました。聞けば「子どもができたみたい」と。3年ほど前に結婚した次男君ですが、歳も歳ですから半分諦めていたところの朗報でした。まだ2カ月ほどのようですから、安定期に入るのはもう少し先でしょうか。でも伝えたかった彼の気持ちが分かるような気がします。無事に生まれてくれることを願っています。この歳になって6人目の孫を抱くことができるとは嬉しいことです。

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7月豪雨の傷跡に接して~卯之町、大洲

2019-03-13 22:40:32 | 四国遍路

 「歩き遍路」から帰った翌日は、先週に引き続き講座日でした。この日は午前中が座学、午後は校外学習でした。でも意外と元気なのに驚きます。夕刻、家に帰ると、2日前に泊まった大洲の「ときわ旅館」さんからお礼のお葉書が届いていました。若いご夫婦で運営なさっている旅館でしたが、雛人形が飾ってあるお部屋で朝夕のお食事をいただきました。
 先週の金曜日、大阪・梅田から午後10時20分発の高速バスで宇和島バスセンターに向かいました。車中泊に慣れてくると、それとなく眠る術を覚えてしまいます。翌朝6時過ぎに宇和島に着くと、予土線に乗って務田駅下車。今回は、この駅がスタート地点になります。
 農道を歩いて半時間もすると、第41番札所・龍光寺の門前に到着です。久しぶりに般若心経を唱えてお参りをしました。次に向かう遍路道を捜していると、駐車場の中ほどに小さな階段があって、そこを登っていくと墓地。その後、遍路道が続きます。道端には菜の花が満開でした。
 そうこうするうちに、遠くに第42番札所・仏木寺の本堂が見えてきます。昔、牛馬の守り仏として信仰されてきたお寺で、最近はペットを慕う参拝者も絶えないのだとか。ここで少し休憩しました。
 次の第43番札所・明石寺へは、第一日目の難所・歯長峠を越えなければなりません。県道、農道を歩いて峠まで2.4キロの地点まで来たところで「この先、7月豪雨の影響で遍路道の一部が崩壊しているため、安全に通行する事ができません」の看板を発見。でも、ここまで来たのだからと、ダメモトで歩を進めると、今度は「この先、”四国の道”通行止め」の看板。これはヤバいと諦め、元の道に戻り県道を歩いて歯長峠を越えることにしました。
 その道すがら、所々に豪雨の傷跡が今でも生々しく残る箇所があって、復旧工事中。と、そのとき、すれ違った叔父さん、急にポケットに手を入れて五百円硬貨を取り出すと、「お気をつけて」と私の手にその硬貨を。とっさのことで状況がよく分りませんでしたが、これも所謂「お接待」のひとつであることに気づきました。「ありがとうございます」と丁寧にお礼を述べてお別れをしました。いただいた硬貨は、地元にお返しするという意味で、次の明石寺の納経代とお賽銭に使わせていただきました。
 そうこうするうちに、やっと歯長峠に到着です。すばらしい景色に見入って小休止。その後、小さなトンネルを抜けたところで、遍路道に入りました。あとは下るのみと思いきや、なんと道がズタズタで、コンクリートの橋げたまで豪雨で流されている惨状に出会いました。倒木を潜り抜け道なき道を下りながら、やっと県道に出ると、歯長地蔵の祠と遍路の墓がお出迎えです。さらに歩いて2時間。やっと明石寺に到着です。
 この日は、卯之町の「まつちや旅館」に泊まりました。女将さんの温かいおもてなしをいただき、ほっとひと息です。お客は私を入れて3名。いずれも区切り遍路でした。そのうちのお一人は、歯長峠の手前で北海道からやってきた男性と巡り合い、通行止めを無視して旧遍路道を歩いたのだと。「一人では到底できないこと」とおっしゃっていました。
 そういえば宿の女将さんから、集中豪雨のときの模様をお聞きしました。ふだんは穏やかな小川だが、ダムの放流を契機に荒れ狂いたいへんな被害が出たのだと。自衛隊が動員され、今も避難所暮らしの方もいらっしゃるのだと。お遍路さんはぱったりと止まってしまったが、代わってボランティアさんがたくさんお泊りになったのだそうです。
 こんな話もありました。街に大きな冷凍食品の製造工場ができ、フル操業のときは遠くからベトナム人の方々が応援にやってくるそうです。彼ら彼女らの真面目で真剣な仕事ぶりと生活態度が街の評判になっているのだとか。日本の若者たちも見習わなければなりません。その昔、農村地方の若者たちが集団就職で都会の工場にやってきた時代がありました。それが日本の後の高度成長を下支えしてきた。そんなことを皆でお話をしながら、美味しいビールをいただいてその日の疲れを癒したものでした。
 翌朝は、残念ながら雨模様。ポンチョに身をつつんでの出発と相成りました。この日は鳥坂峠越えです。宿の女将さんから「鳥坂トンネルは歩道が狭くて怖いから、少し時間はかかっても遍路道を歩いた方がよい」とのアドバイスをいただきました。2時間ほどで鳥坂峠に到着です。
 山道を降りると、雨の中をのんびりと歩きながら大洲の街をめざしました。この日お世話になる「ときわ旅館」の場所も確認。でも、少し早いので、さらに歩を進めて別格第8番「十夜ヶ橋」(弘法大師御野宿所・十夜ヶ橋永徳寺)に向かいました。1200年前、弘法大師が日が暮れたため小川に架かる土橋の下でひと晩野宿したところだそうです。そんな関係で、お大師さんに失礼にならないようにと、お遍路さんが橋の上を通るときには杖はつかないという風習が生まれたのだそうです。
 このお寺の納経所でお話を伺いました。このお寺も7月豪雨で大被害を被ったのだとか。大師堂の相当上の方まで水位が上がったということで、その目印が記してありました。卯之町、大洲の街は大変な被害に遭われたことを改めて思ったものでした。
 翌朝は、大洲の街を散策したあと、午前9時21分発の高速バスで大阪に帰りました。大洲から松山までは50数キロの道のりです。第1番札所・霊山寺を出発して区切り遍路で1年半。お寺の数は折り返し地点になりました。......ここ数週間、少し突っ走った感なきにしもあらず。明日の会議を終えたらしばらく休息日をとることにいたします。

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冬の北海道を楽しむ。

2019-03-05 23:21:34 | 旅行

 冬の北海道を楽しんできました。思っていたほど寒くもなく、最終日は晴れやなか一日でもありました。いつもどおりJALパックの格安チケットを利用して、往復の飛行機代と連泊する札幌のホテルだけを指定しての3泊4日。あとは自由行動という気侭な旅でありました。
 帰阪した翌日、つまり今日はカレッジの講座日。明日、明後日と野暮用が続いた後、金曜日の夜には高速バスにのって今度は四国・宇和島に向かいます。なので、ちょっとしたスキマ時間を使って今夜、ブログを更新をすることにいたしました。(上の写真は小樽駅のプラットホーム、下の写真はホテルのラウンジの飾り物)
 3月1日。初日は午後2時頃に関空を出発しました。15分もすると早や中央アルプスの山々が見えてきます。北海道はさぞ寒いことだろうと思いましたが、4時前に新千歳空港に到着すると積雪はあるものの思ったほど寒くもなく、その足で札幌に向かいホテルに飛び込みました。でも日が暮れるにつれて、寒~い。雪が積もって凍りついた歩道を滑らないように注意しながら「すすきの」に向かい、夜の札幌を楽しみました。
 二日目は、札幌駅北口からリゾートホテルの送迎バスに乗って40分、シャトレーゼ・ガトーキングダムサッポロホテル&リゾートに向かいました。家内がネットを駆使して予約したところですが、ランチビュッフェ付きワカサギ釣り企画に参加しました。午前中2時間半ほどワカサギ釣りに興じました。
 30センチほどの厚さの氷上に直径15センチほどの穴をあけて、釣糸を垂らして根気よくアタリを待つ気の遠くなるような釣りですが、釣果は家内が5匹、私が2匹。でも、大きさでは私の方が子持ちの大きなワカサギを釣り上げました。釣り上げたワカサギを天婦羅にしておいしくいただきました(笑)。
 釣りのあとはホテルのランチビュッフェ、そして温泉を楽しむというプログラムです。寒い季節に最適なリゾートホテルとあって、地元の方々もたくさんにおいでになっていました。そしてその夜はまたしても「すすきの」の街を徘徊しました。むかし出張で訪れた時に味わって忘れられない「ほっけ」を肴に美味しいお酒をいただきました。
 三日目は、これも家内の発案で、札幌駅北口から走行距離560キロ(往復)もある紋別まで、バスツアー「日帰りで紋別ガリンコ号Ⅱ流氷紀行」に参加しました。一日仕事ですが、新井満の曲を聴きながら、ぼんやりと車窓に流れる冬の北海道を楽しむことができました。
 お目当ての流氷はといえば、暖冬の影響で遠く沖合に引っ込んでしまい、見ることはできませんでした。ただ、オホーツクの海に浮かぶ薄い氷を掻き分けるガリンコ号Ⅱの有志を垣間見ることはできました。デッキの先頭の寒かったこと寒かったこと。顔の肌が引き裂かれるほどの冷たさを感じながら、北海道を全身で受け止めました。
 そして最終日の4日は、小樽に向かいました。といっても滞在時間は4時間ほど。若い頃に訪れた頃とは異なり、やや観光地化が進み過ぎている感なきにしもあらずでしたが、小樽運河界隈や堺町商店街通りを散策しました。北一硝子店やヴェネチア美術館、オルゴール店が軒の連ねていました。どこに行っても外国人観光客ばかり。とは言いながら、外国人観光客に来ていただかなければ日本各地の観光地も閑古鳥がないてしまいます。存分に冬の北海道を楽しんでいただきましょう。
 北海道旅行は何度目になるでしょうか。根室、釧路、石狩、登別方面を除いて、主だった観光地はおおよそ回ったことになります。何度行っても、もう一度行きたい。それが北海道です。

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