心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

夏の京の美術館巡り

2015-07-25 15:52:57 | Weblog

 今朝は5時半に目が覚めました。ゴンタ爺さんと早朝散歩にでかけると、公園では夏蝉の大合唱です。これも夏の風景のひとコマです。つい一週間ほど前には、台風11号の余波を受けて大雨洪水警報が出るほどの大阪でしたが、一転して夏の太陽が地面を焼き、梅雨明け宣言とあいなりました。
 そんな暑い夏生まれの私ですが、65歳を迎える節目なのかどうか、このところ、年金受給方法の確認等の諸手続きやら市の健康診断、歯科検診やらのご案内が届きます。公的機関の無料案内まで。いたれりつくせりです。でも、あと1年は現役続行です。
 そんな季節の変わり目の日曜日、京都市美術館に「ルーヴル美術館展」を観に行きました。プロローグ「”すでに、古代において”風俗画の起源」コーナーでは、3千年前に石灰岩の破片に描かれた彩色画に感心し、第一章「”労働と日々”商人、働く人々、農民」や第二章「日常生活の寓意~風俗描写を超えて」コーナーでは、絵画を通じて中世ヨーロッパの生活感溢れる人物、風景に見入りました。「真珠の耳飾りの少女」で有名なヨハネス・フェルメールの作品「天文学者」は、窓から差し込む光が織り成す画風についつい見とれてしまいます。
 私は絵画に関する薀蓄は持ち合わせていないけれども、絵画を通じて中世ヨーロッパの風景と人の姿に接し、室町・江戸時代との対比のなかで、より相対的に世界史を見つめる楽しさを味わっています。特に今回の展示は、上流社会の風景に偏ることなく、物乞いたちやら蚤をとる少年など、中世の風俗描写がテーマで、それが様々なタッチで描かれているという意味で見ごたえがありました。第三章「雅なる情景~日常生活における恋愛遊戯」、第四章「日常生活における自然~田園的・牧歌的風景と風俗的情景」、第五章「室内の女性~日常生活における女性」、第六章「アトリエの芸術家」と、じっくり見て回りました。
 見終わったところでお昼前。疎水沿いにある細見美術館に向かい、カフェ・キューブで軽く食事を取りました。家内は、お店に立ち寄って、やってくるお嫁さんたちへのお土産を物色です。それが終わると、今度は京都市美術館の真向かいにある京都国立近代美術館に移動です。コレクション・ギャラリーを見て回りました。初老の夫婦は、ここでひと休み。1階ロビーで疎水沿いの夏の風景を眺めながら、静かな時間を過ごしました。
 大きな窓の外に見える、照りつける夏の陽に足が動こうとしません。祇園祭(後祭)を見学する勇気もなく、久しぶりに知恩院にお参りすることにしました。歩いて15分ほどかかりますが、汗が噴き出します。でも、靴を脱いで阿弥陀堂にあがると、そこは別世界。ひんやりとした空間に身を委ね、しばし夏蝉の声を聞きながら汗が引くのを待ちます。そして法然上人御堂に参拝です。
 さて、きょうは土曜休日の昼下がりのブログ更新となりました。ラザール・ベルマンのピアノでプロコフィエフのピアノソナタ8番が、部屋中に響いています。30度を超える暑さですが、扇風機の風がほどよい涼しさを醸し出します。そこにベルマンの奏でるピアノ。暑さはどこへやら飛んでいってしまいました。
 今日は、しばらくすると長男家御一行様がご到着になります。明日は長女一家に次男君+お嫁さん候補が加わります。こうして全員が揃う機会は、そうそうないでしょうから、月曜日もお休みをいただいて家族孝行の予定です。そして月末には高野山夏季大学に参加します。
 プロローグに続く、第一幕が終わり、第二幕が終わり、第三幕も終演を迎えようとしています。ここいらでもう一度、自らの歩みを振り返り、残された人生の立ち位置を見定める、そんな時期を迎えたようです。

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WALTY Classicalさん、閉店へ。

2015-07-18 22:26:59 | Weblog

 台風11号が中四国地方に上陸して、その余波のため近畿地方は昨日から明け方にかけてたくさんの雨が降りました。その数日前には気温が急上昇し全国各地で熱中症患者が多発した直後だったことを思うと、おてんとう様はなんと移り気なんでしょう。
 そんなある日のテレビニュースで、天気予報士の方が言っていました。「65歳以上のお年寄りの方は、熱中症に気をつけてください。くれぐれも無理はしないでください」と。そうだよなあと思った次の瞬間、65歳以上??私もあと1ヶ月もすれば65歳。「65歳以上のお年寄り」で一括りにされる「お年寄り」の世代の仲間入りかと、感慨深いものがありました。
 雨もあがった今日の昼下がり、畑を覗いてみると、シソの茎にしがみついている夏蝉を見つけました。梅雨明けも近いのでしょう。今日は、トマト、シシトウ、トウモロコシを収穫しました。いずれも本日の食卓にのぼったのは言うまでもありません。
 ところで、週も半ば、ブログのお知り合いから一通のメールをいただきました。中古CD店のWALTY Classicalさんが閉店するのだと。7月10日から18日まで50%オフの閉店セールがあって、行ってみたら狭い店内に溢れんばかりの客が殺到していたのだと......。
 さっそく仕事帰りに大阪駅前第一ビル地下のWALTY Classicalさんを覗きました。入口の貼り紙には「5月より入院加療中の店主の病状が今も思わしくなく、残念ながらワルティクラシカルの再開は困難であると判断致しました」「店主中岡は店頭には立てませんが、皆様のご来店心よりお願い申し上げます」とありました。
 本当に残念なことです。堂島のワルツ堂の閉店に続いて、二度目の閉店セール。奥様も気丈に振舞っておられましたが、さぞかし無念だろうと思います。私にとっても、音楽を通じてたくさんの思い出が詰まったお店を失うことは、寂しいことです。
 50%OFFとありましたが、昨日立ち寄ると70%OFFになっていました。老若男女たくさんのお客で賑わっていました。カゴにいっぱいのCDを入れてレジに並ぶ若者、1枚1枚を丁寧に品定めしている年配の方。勤め帰りの会社員、これからコンサートの練習に行くという演奏家の方、シニア世代の方々。それぞれの思いを胸に最後のお買い物でした。
 私も、グレン・グールド、マルタ・アルゲリッチ、内田光子、舘野泉、ミッシャ・マイスキーなどのCDを10枚お買い上げでした。それに加えて、どうしても欲しいものがありました。商品棚に静かに立てかけてあったステンドグラス風の小さなガラス細工です。縦横15センチ、厚み1~3センチの置き物ですが、こちらは値引きなしの500円。ほんとうはそんな値段ではないはずです。レジに立つ奥様の視線がなんとなく気になりました。たくさんの思い出が詰まっていたのでしょうか。大切にしたいと思います。
 レジを済ませて、ふと私の口から出た言葉。それは「長い間、ありがとうございました」でした。大都会の片隅にひっそりと佇む心のオアシスを、またひとつ失うことになりました。旧ワルツ堂があった所を通り過ぎながら、店主の再度の復活を願わずにはいられませんでした。年齢のせいもあるのでしょうが、ちょっぴり感傷的になったものでした。
 昨日は夜遅くまで、何枚かのCDを聴いて過ごしました。そのうちの1枚に「The Young Glenn Gould」というCDがあります。グールドがトロント音楽院でピアノの修了認定を受けた翌年、15歳の時のプライベート録音です。その年に、グールドは初めてソロリサイタルを開いています。
 曲名はモーツァルトの「4手のための幻想曲K.594」。他に1952年、つまり私が2歳の頃に録音した、プロコフィエフの「冬の妖精」、ショスタコービッチの「3つの幻想的舞曲」などが収録されています。いずれもモノラル盤です。やや荒削りなところがないわけではないけれども、彼らしさを存分に聞かせてくれます。その数年後、グールドは、あの有名なバッハの「ゴルトベルク変奏曲」(1955年)を録音し、一躍世の注目を集めることになります。そして1981年、「ゴルトベルク変奏曲」を再録音し、その翌年、50歳の若さでこの世を去ります。
 今夜は音楽一色のブログになってしまいました。実は今週の日曜日、広島に出張した際に何気なく立ち寄った駅前の中古レコード店GROOVINさんで、舘野泉さんの「シベリウス・ピアノ小品集」を見つけてしまいました。舘野さんが脳梗塞を発症された以前の、まだ若かりし頃の作品です。ほかに2枚。たくさんのCDとLPに囲まれて、この連休を過ごすことになります。これも「65歳以上のお年寄り」の、お気軽なお遊びなんでしょうよ。きっと。

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東寺・祇園祭・蝋燭能...。

2015-07-11 23:55:59 | Weblog

 日曜日に京都にでかけました。向かったのは、和紙の掘り出し物を探している家内のお供で、毎月第一日曜日に「がらくた市」を開いている東寺です。私にとっては中学校の修学旅行以来50年ぶりのお参りでした。
 正式には真言宗総本山教王護国寺と言い、世界遺産のひとつです。ウィキペディアには「平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後、嵯峨天皇より空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた。中世以降の東寺は弘法大師に対する信仰の高まりとともに「お大師様の寺」として庶民の信仰を集めた」とあります。要するに高野山と縁の深いお寺です。
 金堂に入ると、真ん中に薬師如来坐像、その台座には十二神将が見えます。そして左右には、日光、月光の両脇侍菩薩像が立ちます。お隣の講堂には、これまたたくさんの仏像が並んでいました。大日如来を中央に、両脇には不動明王と金剛波羅密多菩薩が鎮座、総勢21体の仏像が安置されていました。立体曼荼羅というのだそうです。仏像の前に立って、ひとつひとつ表情を眺めていると、なんとも心和みます。
 境内の小さな池には蓮の花が咲いていました。葉っぱの形をみると、睡蓮と蓮の違いがよくわかります。葉っぱに切り込みがなく水面より高めにあるのが蓮。葉っぱに切り込みがあり水面に浮いているのが睡蓮、ざっとこんな違いでしょうか。観光客も比較的少なく、ゆったりとした時間が流れていきました。
 ほどよい疲れが出てきたところで、バスに乗って四条河原町に移動しました。と、四条通りに人だかり。テレビカメラも何台か見えます。よく見ると、祇園祭に華を添えるお稚児さんの姿。お披露目の晴れ舞台でありました。あたりにはコンチキチンと祇園囃子が鳴り響き、京都に夏の訪れを告げています。
 そんな週の後半に、所要のため和歌山県は御坊市にでかけました。天王寺から特急「くろしお」に乗って1時間半。座席の背には高野山の案内がありました。高野山は和歌山県にあります。御坊駅に到着するとバスに乗り換え、そこから15分。目的地に着きましたが、ちょうどお昼どきだったので、バス停近くの喫茶店に入ると「食事はできない」とつれない返事。ならば、どこかに食事するお店はないかと尋ねると、20分ほど歩いたところにお店があるのだと。炎天下、田舎道のバス通りを汗を拭き拭きお店に向かいました。この日は東京から飛行機でやってきた方々と合流して、楽しいお勉強会でした。
 そうして迎えた週末、今夜は大槻能楽堂にでかけました。恒例の「蝋燭能」です。曲名は、狂言「箕被」と能「俊寛」。京都鹿ケ谷で平家打倒の謀議をしたかどで、俊寛、成経、康頼の3名が薩摩の鬼界が島に流されます。何年かたって大赦の使いがやってきて赦免状を読み上げます。しかし、俊寛だけ名前がない。悲嘆のどん底に突き落とされてしまいます。「平家物語」巻三に描かれる俊寛僧都の悲劇を舞台化したものでした。堂内の照明が消され、蝋燭の光だけの舞台。曲のなかに引き込まれてしまいました。

 振り返ってみると、なんとも落ち着きのない1週間でした。さあて、七月も半ば。夏蝉の声で目が覚める季節を迎えました。下旬には長男君一家が帰阪する予定だとか。孫君たちも夏休みに入り、久しぶりに家族全員が揃います。次男君とお嫁さん候補を含めると、なんと総勢13名、うち5名が孫です。我が家は少子化ではないですね。

 

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雨の日は音楽と読書に戯れる

2015-07-04 22:33:15 | Weblog

 鬱陶しいお天気が続きます。きょうは一日中、雨でした。来週も雨、台風が三つも上陸をねらっています。でも、気温が低いためか湿気は感じません。網戸にして窓を全開にして眠りにつくと、真夜中に肌寒さを感じて目が覚めてしまいます。そんな梅雨の土曜休日に、無花果の初物をいただきました。昨年思い切って剪定したためか、今年は実の付き具合が良さそうです。20個は収穫できるかも。
 さて、今週は週の半ばに東京に出張しました。それも東京スカイツリータウンビルの一画を訪ねることに。東京駅から錦糸町駅、そこから地下鉄に乗り換えてひと駅目の押上駅下車。浪速の町から江戸の町に空間移動したような「お上りさん」気分でした。スカイツリーに登る時間はなかったのですが、下から見上げるタワーの勇姿は圧巻でした。
 仕事を終えて夕刻の江戸の町を歩きながら、ふと目の前に昨年亡くなった姉の後ろ姿が?それは冗談ですが、そんな雰囲気の方にお会いしました。あれから1年が経ちました。早いものです。帰途、甥にメールを送ると、近親者で法事をすませたこと、遺産整理に半年以上かかったこと、今やっと落ち着いたことなどを報告してくれました。兄妹で頑張ったんでしょう。お疲れ様でした。
 そんな一週間を振り返りながら、きょうは一日中、音楽と戯れておりました。昼間はエリック・サティのピアノ曲集。これって梅雨の季節にお似合いです。そして今は、マルタ・アルゲリッチのLPレコードで、シューマンとショパンのピアノ協奏曲を聴きながらのブログ更新です。ワシントン・ナショナル交響楽団を指揮しているのは、チェロ奏者のムスティスラフ・ロストロポーヴィッチです。1978年1月11日の録音です。

 さて、今日の話題は何にしよう??ふと思い出したのは、昨日の毎日新聞夕刊の記事「清盛の『血曼荼羅』復元 金剛峯寺に奉納」でした。高野山金剛峯寺が所蔵し、現存する日本最古の彩色曼荼羅図「両界曼荼羅図」の復元版が完成し、奉納されたのだと。平清盛の血を混ぜて描かれたと言われ、別名「血曼荼羅」と言われている由。
 曼荼羅という言葉の意味にはずいぶん深いものがあります。私が曼荼羅という言葉に出会ったのは、鶴見和子著「南方熊楠」(講談社学術文庫)でした。それが南方熊楠との出会いでした。南方曼荼羅という聞きなれない言葉に出会いました。

『曼荼羅とは、「宇宙の真実の姿を、自己の哲学に従って立体または平面によって表現したもの」である。真言曼荼羅とは、真言の教主である「大日如来を中心として、諸仏、菩薩、明王、天を図式的にしめしたものである」。この真言曼荼羅にヒントを得て、南方は曼荼羅を森羅万象の相関関係を図で示した」・・・・・これを「南方曼荼羅」と呼ぶこととする。曼荼羅、今日の科学用語でいえば、モデルである。南方曼荼羅は、南方の世界観を絵図として示したものなのである。』(前出文庫)

 南方曼荼羅の起源は、南方熊楠と土宜法龍(後に高野山管長を務める)との、英国留学中からの往復書簡によります。異質な要素をすべて包み込む真言密教の精神とあい通じるものがあったのだろうと思いますが、あいにく私の理解は未だ断片的です。いずれ手を打って納得するときが来るのでしょうが、当分はあっちに行ったりこっちに行ったり。
 かの金剛峯寺は、今月末に参加する高野山夏季大学の会場の近くにあります。存分、曼荼羅の世界を楽しんできたいと思います。
 と、さらり書き終えて、読み返してみました。東京スカイツリーからLPレコードに変わり、曼荼羅へと話が展開していることに、ついつい笑ってしまいました。摘み食いしながら、いろいろなものを引きずりながら、なんとか生きている根無し草、そんな私の姿が見え隠れします。滑稽ですらあります。まあ、これが私の生き方だから仕様がありませんけどね。

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