心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

梅雨の合間に楽しみ数々

2022-06-24 16:39:40 | Weblog

 今日は午前中、フランス文学講座に行ってきました。その帰り路、なんと暑かったことか。夏男の私も急な環境変化についていけません。と言いながら、今週もいろいろありました。まずは梅雨の合間を縫って、シニアの仲間たちと宇治の三室戸寺に紫陽花を見に行きました。境内には蓮の花が咲き、手水舎には紫陽花があしらわれ、あじさい園では2万本もの紫陽花が心を和ませてくれました。
 このお寺は宝亀元年(770年)の創建と言われ、平安時代には西行が訪れ歌を詠んだことでも知られています。この日は、宇治市源氏物語ミュージアムを見学したあと、大阪に舞い戻って冷たいビールをいただきながら懇親を深めました。
 その2日後、今度は大学時代の先輩たちと四条河原町のビアレストランに集いました。今秋予定している同窓会の打ち合わせのためですが、迂闊にも世話役を仰せつかってしまい、繰越金と会発足時からの古文書、セピア色の写真資料などリュックいっぱいの資料を引き継いで帰りました。
 夜な夜なたくさんの資料に目を通しながら、古き良き時代の風景を思い浮かべましたが、あれから半世紀が経過しています。
 会自体は大学紛争後数年経って消滅していますので、現在はOB会員だけ。減りこそすれ増えることはありません。それでも100名を超えますが、発足当時の会員は僅か。会自体も年と共に長い歴史から姿を消す運命にあります。私にとっては最後のご奉公かもしれません。
 この日は、中古レコード店にも立ち寄り、北欧の作曲家アルヴェーンの交響曲第4番「海辺の岩礁から」とチェロ奏者オーフラ・ハーノイの「アリオーソ」を連れて帰りました。
 聴き慣れないアルヴェーンの曲ですが、ウクライナに近い「北欧」の音楽に誘われて手にとり、歳がらもなく「激しく燃えた二人の恋は、美しい愛の交響曲を残して、悲しい破局を迎えた」と印字された帯に魅せられてのご購入でした。
 出かけることも多かった1週間でしたが、今後に向けて二つ申し込んだものがあります。ひとつは、コンサートチケットです。今秋大阪フェスティバルホールにやってくるボストン交響楽団とピアニストの内田光子さんのコンサート。内田さんの演奏を直に聴くのはこの歳になって初めてです。
 もうひとつは、3年ぶりに開催される高野山夏季大学(毎日新聞主催)です。8月上旬に2泊3日で行ってきます。定員500人という大規模なものですが、なんと1週間ほどで受付終了となる盛況ぶりです。この夏季大学、リタイアする1年前にも受講したことがありました。それが、その後の四国八十八カ所遍路の旅に繋がっています。
 ちなみに、前回は宿坊に相部屋で寝泊まりしましたが、今回はコロナ対応のため家族・知人同士以外は相部屋の斡旋はなく、金剛峯寺界隈の宿所をネットで探しました。清々しい高野の朝を散歩するのが楽しみでもあります。
 昨夜は眠りにつく前に、白洲正子「西行」の高野往来の章をめくっていました。その西行、32,3歳の頃から30年余りにわたって高野山に住んでいたとか。といっても、その間、京都に行ったり吉野・熊野、遠くは中国・四国まで足を伸ばしていたようですから、修行する傍ら歌を詠み自然と共に慎ましく生きた法師のようでした。私には歌を詠む素養はありませんが、言葉の端々に往時の風景を思い浮かべました。
 いずれにしても2回目の高野山夏季大学です。今度はどんな「心の出会い」があるのか楽しみでもあります。 

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ジャカランダの季節に「西行」を読む

2022-06-17 10:05:28 | 四国遍路

 先日、水彩画筆とスケッチブックを買いに天王寺の画材店KAWACHIあべのHoop店に行った帰りに、一心寺に寄ってきました。そろそろジャカランダの季節です。まだ咲き始めでしたが、至るところに淡い紫色の花が咲いていました。ここ大阪も4日前に梅雨入り宣言。雨が降ったりやんだりしていますが、この春小さな植木鉢に植えた我が家のジャカランダの苗もスクスクと育っています。
 その傍らでは、ブルーベリーとミニトマトの実を今年初めて収穫しました。まだ僅かですが、食卓を賑わしています。連日、朝早くからブルーベリーの収穫を小鳥たちと競いあっています。うっかりしていると啄んでしまいます(笑)。これも夏の楽しい光景かもしれません。

 
 さて、話は変わりますが、先日ご紹介した上田秋成「雨月物語」の世界を、未だ引きずっています。夜な夜なのめり込んでいるのですが、日本史に疎い私には、頭の中で人物と時代背景がもうひとつ繋がっていません。
   そんな折、NPOの帰りにジュンク堂書店を覗いて出会ったのが白洲正子著「西行」(新潮文庫)でした。崇徳院(1119年生まれ)、西行(1118年生まれ)。ほぼ同世代の人物が平安から鎌倉という時代の中でどう生きていたのか。怪談ではなく、歴史的事実に基づいて探ってみたいという知的好奇心が蠢いています。 「讃岐の旅」の章を読んでいたら「八十場の霊泉」という言葉が飛び込んできました。その霊泉は78番郷照寺から79番天皇寺に向かう途中にありました。さっそく当時の写真を探してみました。「サヌカイトの出る金山から流れ出る水は清らか」で、「崇徳院が崩御した際、(都から勅許が下るまでの約ひと月の間)遺骸をこの泉につけておいたという」とあります。
 1156年、後白河天皇と崇徳上皇が争った保元の乱。敗れた崇徳院は讃岐の国に島流しにあいます。その後も、天皇側の執拗な虐めに会った崇徳院の都に対する恨みつらみは想像を絶するものがあったに違いありません。
 白洲さんは「このあたりには陰鬱な空気がたちこめており、木にも草にも、崇徳院の怨霊が息づいているような気配がある」「実際に白峯の周辺を歩いてみると、院の亡霊が至るところに充満していることを実感せずにはいられない」と綴っています。一人でトボトボと歩いた山深い遍路道でしたが、いろんな歴史が刻まれていることを改めて知ることになりました。

◇   ◇   ◇ 

 ところで、NPOのお仕事もなんとなく忙しくなってきましたが、そんな折、大学時代の先輩からメールが飛び込んできました。「私もそろそろ歳だから、どうだろう、クラブの世話役を引き受けてくれないか」と。既に解散してしまった会なので今は存在しませんが、現在100名ほどのOB会員がいます。毎年、文集を発行したり、同窓会を開いたりして近況を確かめ合っています。さあてどうしたものか。とりあえず来週月曜日には、京都・四条河原町のビアレストランで打ち合わせという名の呑み会があります。
 おっと忘れていました。先週末は、京セラドームで30年ぶりの野球観戦(阪神&オリックス戦)でした。セリーグ最下位だった阪神ですが、この日の交流戦では大差で勝利。その勢いに乗ってその後も勝ち進み、いつの間にかセリーグ4位にまで上がっています。チームの雰囲気も良さそうです。頑張っていただきましょう。

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蛍のように私の「心」も空を舞う

2022-06-10 10:50:32 | Weblog

 雨が降りそうで降らない、そんな1週間でしたが、季節は腐草為蛍(ふそうほたるとなる)。腐った草が蛍に生まれ変わるの意。「じっとりと湿度の高い季節、腐りかけた草の下から蛍が光を放ち始める」のだとか。庭の木陰に舞う蛍を追いかけた子どもの頃が思い出されます。ずいぶん昔のことですが、手のひらに載せた蛍から独特な虫の匂いが漂う、そんな淡い記憶があります。
 あれから半世紀以上経ち、今では蛍にお目にかかることはありません。昨日はNPOからの帰りに、電車とバスの両方で高校生と思しき若者から「どうぞ座ってください」と声をかけられました。「大丈夫ですよ」と言いますが「どうぞ」と言われて「ありがとう」と座ってしまいます。”万年青年”のつもりなんですが、彼ら彼女らから見ると私は間違いなく老人なんでしょう。

 さて、先週ご紹介した「雨月物語」ですが、白峯のあと、物語は菊花の約、浅茅が宿、夢応の鯉魚、仏法僧、吉備津の釜、蛇性の淫、青頭巾などと続きます。眠る前のひととき、夜な夜なグラフィック版を眺めます。子どもの頃、近所のお爺さんからよく怪談話を聞かされました。怖いものを怖いと感じ、美しいものを美しいと思う、そんな純真で素直だった子どもの頃が懐かしい。
 古典文学といえば、週の初めに公開講座「奥の細道」を覗いてきました。お話しは「松島・平泉」まで進んでいましたが、数年前に全10回の講座を受講したとき、例の格安JALパックを使って仙台を拠点に平泉の中尊寺、松島、立石寺など松尾芭蕉の足跡を巡ったことがありました。その時のことを思い浮かべながら先生のお話しに耳を傾けました。
 そうそう、先日大阪教育大学におじゃました帰りに日本橋に寄って、その帰りに難波の古書店「山羊ブックス」を訪ねました。以前は何店舗か入っていたビルの一画に、今は1軒だけ頑張っています。そこで出会ったのは1996年10月発行の芸術新潮でした。テーマは、現地特別取材:生きている中世「スペイン巡礼の旅」です。
 イベリア半島の西のはずれ、サンティアゴ・デ・コンポステラをめざす、キリスト教の三大巡礼地のひとつです。テレビや雑誌などで時々目にすることのある巡礼コースですが、一度歩いてみたいと思いながら、この歳になると尻込みしてしまいます。「巡礼」に対する憧れは、どこの国にもあります。
 ならばと、よく聴くのがフランツ・リストのピアノ独奏曲集「巡礼の年」です。「第1年:スイス」「第2年:イタリア」「ヴェネツィアとナポリ(第2年補遺)」「第3年」の4集からなります。リストが訪ねた各地の印象や経験をもとに作曲されたピアノ曲を、ヨーロッパの風景を思い浮かべながら耳を傾けます。
 そんなとき、ふと思い浮かぶのは、やはりウクライナの惨状です。ロシアの侵攻さえなければ、延々と続く麦畑、延々と続くヒマワリ畑、緑豊かな国土であったばずなのに、とりわけ東部地域では見る影もありません。ロシアの無差別攻撃で学校、病院、アパートそして歴史的遺産が無残な姿を晒しています。それどころか、略奪、強姦など信じられないロシアの蛮行の数々。ウクライナを解放するためと言いますが、でっち上げも甚だしい。ウクライナという国の存在自体を消し去ろうという怪談のようなお話しが21世紀の今、目の前にあります。いずれプーチンはじめその支援者たちが歴史の審判を受けることになります。1日も早い終戦を望みます。

 さて、今夜は現役時代の同業他社の仲間たちと京セラドームで阪神・オリックス戦の野球観戦です。野球観戦なんて長男君が小学生の頃に甲子園球場に連れて行って以来ですから、30年ぶり?。冷たいビールでもいただきながら阪神を応援してきます(笑)。

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